第二話
「考え過ぎだよ、少し休んで来たら?」
とは、女王陛下のお言葉である。
なので、ルリーナは今、城下町を歩いていた。そのような言葉を直々に賜ったのだから、大義名分は通っている。
それが戦の後処理で城内がどたばたしている時で、文官武官から使用人に至るまで忙しさのあまりときたま奇声が聞こえるような修羅場でも、仕方ないことだ。
そうに違いない。そう決めた。どちらにせよ、ルリーナにできることは高が知れたものだ。
銃兵隊の処遇に関わる件についても、城内と王都が落ち着くまでは留め置いておくことになっている。
兵らには悪いが、現在の状況では彼らを自由にすることも訓練に就かせることも出来そうにはない。
仮設の兵営の中に押し込まれている兵達には、今度、酒でも差し入れてやろう。と、ルリーナは思っていた。
戦場で活躍したにもかかわらず、そんな扱いでは、彼らも腐ってしまうだろう。
一歩城門の外に足を踏み出してみたところでは、王都の戦勝ムードはまだ引きそうにない。
というのも、諸侯はまだ戦後処理に詰めていて、傭兵を含めた兵はまだここに留まっているからだ。
人の多さがそのまま活気に繋がっているようなもので、中央通りは人に当たらずに歩くことも難しい様子である。
活気にあふれている。というのは、混乱の中にあるというのと紙一重の差だ。
「げぇ、ちょっと、押さないでください」
小柄なルリーナは人々の間を縫って……とはいかなかった。
無理やり押しのけていけば通れないこともないだろうが、そんなことをすれば将棋倒しにでもなりそうなものだ。
人波に飲まれて潰されたカエルのような声を出しながら、新鮮な空気を求めて何とか顔を出そうと試みる。
ぴょんぴょんと飛び上がったところで、無駄な努力ではあった。
「……ルリーナ卿、何をしているんだ?」
いや、無駄な努力ではなかったかもしれない。
手を伸ばして、ルリーナを人混みから引きずり出したのは、警備にあたっていた従士隊長だった。
呆れたような声音、というより、それを隠そうともしない顔である。
戦場で槍を持ち、暴れまわっていた騎士が、人混みのなかで子供のように飛び跳ねていたらそんな顔にもなるだろう。
獅子が兎に襲われているのを見た、というような顔だ。
馬上に引きずりあげられて、ルリーナは助かった、と息を吐くと同時に、嫌そうに眉をしかめた。
この男と二人乗りなど、まっぴらごめんである。というのが心中である。
ともあれ、ルリーナはまるで猫の子を運ぶようではあったが道の隅に下ろされた。
馬の脚の踏み場もないような中ではあるが、流石に蹄に巻き込まれたいという者はおらず、どうにか人混みは抜けられた。
「とりあえず、ありがとうございます」
「いや、構わない……のですが」
貴族に対する扱いと、同僚や子供に対するそれの間で揺れているように、従士隊長は微妙な顔をした。人前と言うこともあり、軽く扱うのは憚られるというものらしい。
人いきれに揉まれて乱れた服の裾を直しつつ、ルリーナはようやく人心地がついたと溜息を吐く。
「これ、人死にが出ますよ」
「ああ、それはもう出ているんだ」
「……そうですか」
どうやら従士隊長はいつも通りに話すことに決めたらしい。
ルリーナからしても、彼に敬語で話しかけられるというのは気持ち悪いことなので、それはありがたい。
「それで、ここで何をしている。またサボっている訳ではあるまいな?」
「失礼な。陛下のお言葉を受けて、ちょっと外回りしているだけですよ」
また、とは何だ。またとは。と、ルリーナは腕を組み頬を膨らませて見せる。
「いや、戦に出る前にもあっただろう。あの時は陛下に呼び戻すように言われたが」
「そんなことありましたっけ? いやぁ、このところ忙しくて」
戦の前、と言うと随分前の事に思える。ひと月も経っていないのだが。
今回の会戦は、というべきか、今回の会戦も、というべきか、唐突に始まり、あっという間に終わったという印象が強い。
本格的な遠征というとリュング近辺の奪い合い、ルリーナがこの地に訪れる前まで遡るが、その傷は深く両国に刻まれている。
国境線くんだりまで出て来た竪琴王国の軍が早々に退いたのも、それがあるだろう。
諦めが良すぎる。というのはルリーナの感想ではあるが、ここで踏みとどまれば互いに更なる消耗を強いられ、これを取り戻すには更なる時間が必要になる。
「あれ? 今、騎士の兄ちゃんに捕まってるのって、例の騎士様じゃねぇか?」
「例の、ってーと、あの傭兵から騎士になったって言う?」
そうして従士隊長と話していると、ちらほらと立ち止まる者が出てくる。
傭兵隊長をしていたときならさておき、最近は市民と近くで顔をあわせるということも少なく、また、現在も村娘のような服を着て誤魔化しているとはいえ、多少は気付く者もいるようだ。
「他人の空似ですよー」
彼らの目ざとさに舌を巻きつつ、棒読みに否定の言葉をつぶやいた。
この調子だと、のんびり街を歩くというのも難しくなるかもしれない。
「従士様、助けていただいてありがとうございます」
「あ、あぁ」
声のトーンを上げて、お嬢様、といった風に装えば、従士隊長は新種の虫を見つけたような顔をする。
それに対して言いたいことをぐっと飲み込んで、ルリーナは言葉をつづけた。
「このお礼はいずれいたしますわ。それではご機嫌よう、おほほ……」
言うが早いか、ルリーナは路地裏を進んでいく。
礼は礼でもお礼参りをすることを心に決めつつ、比較的空いている道を選んで歩き始めた。
「これは、ベアトリスさんのところに行くのも大変そうですね」
彼女の経営する酒場宿は大通りに面しており、常ならば便利な立地ではあるのだが、この日に限ってはそうもいかなかった。
闘技会の時にも王都は混雑していたが、今はその比ではない。街を歩く者たちの身なりも、その時とは多少の違いが見える。
武具を置いても傭兵と窺えるような、武張った印象の者らが多いのは変わらないが、懐具合の良さを示すように派手に着飾っている者が多い。
ざわめきの中からも彼らが騒ぎ立てるのが聞こえ、あるいは悲鳴めいた声が上がる。
おそらくは、諸侯の軍から出て来た兵は少ないだろう。彼らはそう金を持っている訳でもなければ、そもそも城壁の内に入れられないことも多い。
面倒事を避けるためともいえるが、現状でもこれだけ混雑した王都の様子を見れば、全員を受け入れるだけの余裕がないというのは確かだ。
今頃、城壁の外は外で、行商や出店が出ていることだろう。兵らはしばらく野営続きにはなるが、戦場でのそれと比べれば、移動もなく気楽なものだ。
「……あれ? ここ、どこですかね」
人混みのある方を避けながら進んでいくうちに、見知らぬ細道へと入っていたようだ。
路地裏は言いようもないようなひどい状態なので、それを避けたということもある。
都度、必要に応じて作り足されたような街であり、中央部はまだ整然としたものもあったが、外縁に近づくにつれて道は複雑に絡み合ってくる。
喧騒も遠く聞こえるということは、まず間違いなく、そのような場所に迷い込んだということだろう。
「さて、どうしたものですかね」
帰ろうと思えば、多くの街と同じように教会の尖塔、あるいは王都であるゆえに王城を目指せばいつかは帰りつくものだ。
とはいえ折角、外に出て来たのだからということもある。どうせなら散歩していくのも悪くはないだろう。
そうと決まれば、と、どことも知れぬ方向へ足を向ける。
行く先を見失ってしまったものだが、石畳に響く靴音も軽やかなもので、いっそすがすがしい気分だった。
数階建ての住宅の軒を連ねる道だったが、漆喰の塗も新しく鮮やかなもので、昼日中ながら静かなものだ。
みな、中央街の方へと向かったのだろうか。祭りともなれば多くの者がそれに加わるもので、それは商売する側も客の方も同じだ。
そんな人気のない街を走っていくのは、誰も見ていないとしても、その仕事を果たそうとしている猫だ。
ちょろちょろと逃げ回るねずみを追って、しなやかに身を躍らせていく。縦横無尽、といった言葉がぴったりで、天然の狩人である彼らは目にも留まらない動きを見せた。
ひとつ見上げれば屋根の上には、一際大きな姿がある。この辺りを統べる頭目だろうか。一つ頭を下げると、満足げに一声鳴いて見せた。
その地が豊かであれば人が集まり、人が増えればその倉を狙ってねずみが増え、それを狩る猫もまた増える。
今、この場所はまるで、猫の王国のようである。それは王都の豊かさを示すものなのかもしれなかった。
拡張を続ける王都には、その発展してきた歴史を表すように、あるいは切り株の年輪のようにして何重にも城壁が築かれている。
とはいえ、過去に作られたそれは街の中に取り込まれて、形跡を残すだけという事もあるが。
そんな城壁の跡を横目に更に歩を進めていけば、街の終点、外縁を形成する地区に辿り着く。
常であればここは中央街に次いで賑やかな場所である。というのも、新しい市壁に囲まれ、作りかけの家屋が並ぶそこは、王都の発展の最前線とでもいうべき場所だからだ。
一方で、最も外側にあるということは、王都が戦火に晒される時には真っ先に被害を受ける場所でもある。
前回の動乱では控えめな攻撃に終始していたものの、それでも所々、その形跡は見て取れた。
しかしながら、そこいらに置かれた資材や大工道具などを見るに、その活気は窺えた。
ここから先には何があるという訳でもなく、そろそろ帰ろうかとルリーナは踵を返す。
「うん?」
そこでふと、視線の端に人影が見えたような気がした。おかしなことではない。これまでも人っ子一人いなかったなどという訳でもなかった。
だが、何かが意識に引っかかった。それは今、ルリーナが振り向くと同時に横道に入った動きだったかも知れない。
偶然ということも考えられるが、残念なことに、と言うべきか、王都も治安が良いとは言えなかった。
それは戦続きで傭兵や、地域に馴染まない者を多く抱え込んでいるということも原因とはなる。
そう、戦に出る前にも――。
「あっ! そういえば忘れてました。あの刺客さん」
そう。その後のどたばたに紛れて忘れてしまっていたが、王都で一度、命を狙われていたのだった。
考えてみれば初めに王都に来た時にも、暗殺騒ぎに巻き込まれたものだが、やはり王都はとても平和とは言えないのではないか。
などと取り留めもない方向に流れる思考の糸を手繰り寄せる。
「いやぁ、平和ボケですかねぇ」
いやむしろ、戦争ボケとでもいうべきだろうか。
開戦前後のどたばたに流されている間に、すっかりそのことを忘れていた。
王都に入ってきたときに思いだせなかったのは、このことだろう。
「なーんだ、すっきりしましたね」
などと言っている場合でもない。警戒してもし過ぎるという事はない状況だった。
ルリーナがいくら腕に覚えがあると言っても、それは戦場、決闘ないし一騎打ちの話だ。
神話に出てくるような不死の英雄などではないのだから、不意を突かれれば素人にだろうと討たれることもある。
書物では巨人が石を投げられて倒れる様を笑ったものだが、武を誇る者が戦場で流れ弾に倒れたなどという話も枚挙に暇がないものだ。
どんな人間だろうと脆い身体を持った人の子に過ぎないのである。わざわざ危地に飛び込んでいくような真似は、極力避けたいものだ。
「とはいえ、どうにかできるものでもありませんよねぇ」
悪いことに、人通りの少ない場所に出てきてしまっている。従士や衛兵に助けを求めることもできない。
先ほどの人影が刺客だったとすれば、これ以上ない好機だろう。これに関しては、溜息しか出ない。
どうして忘れていたものか。などと今更言ったところで何も始まらないのは解っていた。
「悩んでいてもしかたないですね」
一、二度、頬を叩く。こちらが気づいたとわかれば引いてくれるような手合いであれば良いのだが。あるいは、それに勘づいてもらえれば。
敢えて人影が消えて行った脇道へと足を向ける。杞憂であればよいのだが、そうではないだろうことはルリーナも重々に承知していた。
「下手なところでやられるよりは、良いですよね」
と、独り言ちる。覚悟が決められるだけ、突然襲われるよりましだ。いつ来る、とわかっていれば対策のとりようもある。
相手の数はわからないが、やるしかあるまい。ルリーナは自身の思考が切り替わっていくのを感じていた。杞憂だ、という思いはもはやなかった。
「まったく……まったく。らしくないというか」
忙しさにかまけて油断しすぎていた。服の下に隠した剣の柄を一つ確かめて、また溜息をつく。まったく。面倒なことになったものだ。




