29 扉の向こう側
帝国の襲撃はしばらくの間見られなかった。
そのため、自給自足システムに一応の目途をつけることができたカイト・リン・SoDAは、SoDAの隠された秘密を調査するべく、バニラ博士のラボを訪れていた。
「開けるぞ」
カイトがエトワールを扉にかざし、純喫茶錬金術の魔法陣を描くと、重たい金属製扉が、音もなく開いていく。
埃と、かすかに甘い香り。それはSoDAが最初に目覚めた場所――バニラ博士の地下ラボだった。
「……ここは」
SoDAが、小さく息を吸う。
「私の起動ログと一致します。ここが、私の“原点”です」
薄暗い空間の中央には、SoDAの培養カプセル。壁面には、今では用途不明になった錬金術式が制御パネルと重なり合うように刻まれている。
「……掃除もしない、整理もしない、でも大事なものだけは絶対に壊さない。博士らしいわ」
カイトは、苦笑混じりに呟いた。
リンはすでに、ラボ奥のコンソール前に膝をついていた。外装パネルを外し、むき出しになった回路にケーブルを繋ぐ。
「……電源系は生きてる。でも制御OSが半分スリーブしてるわね」
「直せるか?」
「やるしかないでしょ」
リンは袖をまくり、キーボードを叩き始めた。カイトとSoDAは、少し離れた場所でそれを見守る。
SoDAは、培養カプセルに手を触れた。冷たいガラスの感触が、胸の奥に微かなノイズを生む。
「マスター」
「どうした?」
「この場所にいると、演算効率が低下します」
「不調か?」
「いいえ……逆です。“感じすぎている”ようです」
カイトは何も言えなかった。
やがて、コンソールが低い起動音を立てた。
「……来たわ」
リンの声に、二人が駆け寄る。
ホログラムが立ち上がり、古いディレクトリが展開される。その中に、目的のファイルがあった。
「『Solid of Desire and Archive:typeHG』……これね。それにしても、これがSoDAの本来の名前……でも『typeHG』って何?」
「SoDA……わかるか?」
「……申し訳ありません。それに関しては、ロックが掛けられているようで、私にも……」
「そうか……高性能だから『High Grade』とかかな?または強炭酸で『High Gas』とか?」
「う~ん……どっちも当たってそうで、当たって無さそう……とりあえず、Codeについて聞いてみようか」
《『Solid of Desire and Archive:typeHG』’S_CORE / LOCKED_CODE》
リンがアクセスキーを打ち込む。
[Code:ICE]
「ICE……」
SoDAが呟く。
次の瞬間、文字列が再構成された。
Inner Conflicting Embrace――《矛盾した感情を受け入れる》
沈黙が落ちた。
「……コード名じゃない」
リンが、ゆっくりと言った。
「これは、状態定義よ。SoDAの中核制御」
「矛盾した感情……?」
カイトが眉をひそめる。
リンは説明を続ける。
「通常のバイオロイドは、感情が衝突した瞬間にエラーを起こす。例えば、“好き”と“恐れ”を同時に持つことは、論理的に許されない」
モニターに、SoDAの内部構造が投影される。
「でもSoDAは違う。このCodeは、相反する感情を同時に保持し、なお破綻しないための拘束条件」
SoDAは、自分の胸に手を当てた。
「……私は、矛盾を抱えたまま存在するために、ロックされている?」
「そう」
リンは頷く。
「ICEは“抑制”じゃない。壊れないために、矛盾を凍結して受け入れるための仕組み」
「じゃあ、解除方法は?」
カイトの問いに、リンは黙り込んだ。しばらくして、首を横に振る。
「……ない」
「ない?」
「少なくとも、“外部から解除する方法”は存在しない」
リンは、別のログを開いたが、そこには同じ文が繰り返されているだけだった。
《ICE解除条件:未定義》
《外部介入:不可》
「未定義……」
SoDAの声が、わずかに揺れる。
「それは、どういう意味ですか」
「解除条件が、最初から書かれていない」
リンは、はっきりと言った。
「つまり――解除されるかどうかは、設計者にも分からない」
ラボの空気が、重く沈む。
「博士は……」
カイトが、低く呟く。
「SoDAに、“正解”を用意しなかったってことか。自分で見つけろ、と」
リンは目を伏せた。
「矛盾を受け入れたまま生き続けるか、それとも、いつか自分で“抱えきれない”と判断するか……それを決めるのは、SoDA自身」
SoDAは黙っていた。
論理的には理解できる。だが、胸の奥に広がるこの感覚は、定義できない。安心と、不安。信頼と、恐怖。完成したいという願いと、完成してしまうことへの怯え。
「……私は」
SoDAが、かすかに声を出す。
「この矛盾を、すでに受け入れている気がします」
「それでも、Codeは解除されていない」
リンが静かに言う。
「“受け入れる”だけじゃ足りない。きっと、その先がある」
その瞬間だった。
コンソールが、甲高い警告音を発した。
「……通信?」
リンが操作を切り替える。
外部回線。
緊急優先度――Eランク。
ホログラムに、見慣れたシルエットが映し出された。
『……こちら、Sola』
声が、ノイズ混じりに震えている。
『アスパームから、エマージェンシーコールを発信しています』
「Sola?」
カイトが前に出る。
「どうした。何が起きた」
『……食料製造プラント、アスパームが――』
一瞬、映像が乱れた。
「Sola!応答しろ!何があった⁉」
『……ザッ……ザーッ……ル…キウスの部隊が……再び……』
沈黙。
「……えー」
「また来たの?アイツ?」
「ガイ様にお任せしとけば良いのでは?」
「……おーい。Solaー?ガイ達だけじゃだめかー?」
『……それが……カイト様たちが戻るまで、「ここで待たせてもらう」などと宣いやがりまして……それで1時間おきに「ルキウスの華麗なる日常」なる映像を、空中スクリーンに投影するものですから……その、住民の皆様がお困りになっていらっしゃいまして……ガイ様たちは飽きれて農作業に勤しんでおりまして……』
再び沈黙。
「……わかった。なるべく早く戻るから、それまで街を頼むね。ごめんSola」
『お早く、なるべくお早くのお戻りを心の底から願っておりますっ!』
プツン。
「……マスター。私、『心の底から腹が立つ』という感情をラーニングいたしました。ぶん殴りに行ってよろしいでしょうか?」
「えーと、とりあえず罠かなにか確認してからにしような?」
「ハイ。Solaにデータを随時送信してもらうことにします」
三人は猛烈に後ろ髪を引かれる思いと戦いつつ、戻った先に待ち構えているであろう事態を思い描き、一斉に肩を落とすのだった。




