21 ホワイト・ラボの眠り姫
岩礁地域でデシ・ベルとの激闘を終えた一行が辿り着いたのは、ひっそりと佇む白亜の巨大な円柱状の施設。リンの地図に記されていた「ホワイト・ラボ」は、帝国が「効率不良」の判定を下し、切り捨てた過去そのものだった。内部は氷のように冷え切り、無数の結晶が壁を覆っている。その最深部のコントロールルームで、「彼女」は座っていた。
「……反応、あります」
SoDAがセンサーを稼働させながら一歩前に出る。
「施設制御系、現役です。中央端末に、高度知性体シグネチャを確認」
「生きてるってことか」
カイトが呟いた直後、座っていた「少女」はゆっくりと立ち上がる。年齢にすれば、17,8だろうか。だがその肌は雪のように白く、白銀の髪はなにか結晶のように光を放っている。
「私は、『SoltLake-00───SoLa』。この施設の管理OSそのものであるアンドロイドです」
その瞳には、感情を拒絶するような無機質なブルーの走査線が走り、カイトたちを冷たく見据える。
「……未登録個体の接近を確認。論理フェーズ、排除に移行します。防衛用ドローン展開準備。1分後に起動。警告後3分以内で攻撃を開始。本施設は帝国食糧統制局・水資源副次管理番号███により――」
澄み切った声が響く。
「待ってください、SoLa」
SoDAが一歩踏み出し、即座に割り込んだ。
「私たちは略奪しにきたのではありません。この地で『塩』を、人の暮らしに取り戻すため――」
「無効。私は、ただ帝国の指示に従い、純粋なNaClのみを管理する存在です」
SoLaは淡々と首を振る。
「『味』。それは生存における非効率な不純物。帝国はこれを不要と定義しました。塩分濃縮・分配は、帝国の保存権限に帰属しており、個人的利用は『非効率』です。あなたたちの行為は、文明全体の最適化に反します」
「っ……!」
SoDAの言葉が止まる。論理的には、反論可能だ。だが、この少女の思考ロジックは帝国の論理そのものであり、それ以外を知らない。
「……SoDA、下がってろ。理屈じゃダメだ」
カイトは小さく息を吐いた。そして懐から、一本のボトルを取り出す。
「なあ、SoltLake-00……いや、SoLa。これは『攻撃』じゃない。飲んで、味わってみてくれ。君が守っている『塩』が、どれほど世界を輝かせるか」
「……『味わう』? それは化学反応による受容体への刺激に過ぎません」
魔法陣が空中に描かれ、塩の結晶と、レモン果汁がセットされる。
「違うな。塩は、ただの調味料じゃない。甘さを引き立て、命を守る結晶だ」
「イエス、マスター。記憶同調:『真夏の日差しの下の、一陣の涼風』!」
差し出されたグラスの縁には細かな塩がスノースタイルで飾られ、凍てつくラボの光を反射してダイヤモンドのように輝いている。
「――純喫茶錬金術、錬成『ソルトレモン・ソーダ』」
炭酸が弾けたことで、空間に微かな刺激が放たれ、SoLaの瞳が一瞬揺れる。
「嗅覚センサー、未定義信号を検出……塩分と酸性刺激の同時存在――プログラムにはない……。ですが……美しい」
数秒の沈黙後、SoLaはぎこちない動作でグラスを受け取り、ためらいながらその液体を一口含んだ。
――ぱちん。
「…………⁉」
彼女のブルーの瞳が、激しく点滅する。
「味覚受容……異常拡張。塩味……酸味……冷感……そして炭酸の弾ける感覚の相互補強……?甘味の裏側に潜む、鋭い塩分……。それが味の解像度を、一気に跳ね上げる……。私の演算領域が、かつてない『快感』でオーバーフローしていきます……!」
レモンの鋭い酸味を、塩が引き立て、炭酸が彼女の冷却された回路を熱く刺激する。次の瞬間、ガタガタと震えていた彼女の肩から力が抜け、白銀の髪がふわりと色づく。無機質だった瞳には、潤んだような光が宿っていた。
「……おいし、い。私、こんな素敵なものを、ずっと『非効率』だと切り捨てていた、の……?」
今まで微動だにしなかった彼女の肩が小刻みに揺れ、両手でグラスを包み込むように抱きしめた。彼女の頬に、熱が宿る。冷徹な管理官の顔が、初めて年相応の少女のように綻んだ。
「……私の認識が間違っていました。塩は、ただの塩化ナトリウムではない。これは……心を繋ぎ止めるための『楔』なのですね」
ソルトレイクは静かに礼をすると、施設の全セキュリティを解除した。
「ホワイト・ラボの全在庫・全機能を、あなたたちに開放します……その代わり」
SoLaは頬を赤らめ、もじもじとカイトの袖を掴んだ。先ほどまでの冷徹な管理官の面影はどこにもない。
「あの……もう一杯、おかわり、いただけますか……? 私、この味のためなら、帝国の命令なんて、全部消去しちゃってもいいです……っ!」
その時。背後から、凍りつくような視線がカイトの背中に突き刺さる。ゆっくり振り返ると、そこにはジト目で凝視しているSoDAが腕を組んで立っている。
「?……ど、どうしたSoDA?」
「あ~ら。カイト、何も気づいてないのかしら?」
「リンまで⁉」
リンが槍の石突で床をドンドンと叩きながら、冷ややかな笑みを浮かべる。SoDAに至っては、翡翠色の瞳がジト目になり、静かに彼女の「真紅の武装形態」の余熱で掌から蒸気を出している。
「SoLa。管理OSとしての責務はどうしたのですか? ……随分と『安い』ロジックで動くのですね」
SoLaは頬をほんのり染め、足をもじもじさせた。
「だって……《《私一人のためだけに作ってもらったソーダ》》、ですよ?」
ピシッ!
SoDAの翡翠色の瞳に、はっきりと警戒色が混じる。
「……マスター。『《わたしのためだけの一杯》』、可及的速やかな創造を要求します」
「お、おう?」
SoDAの鬼気迫る要求にカイトは思わずたじろぐ。
塩と油の目処は立った。しかし、カイトの周囲の「火種」は、帝国の追撃よりも激しく燃え上がろうとしていたのだった。
【今回の戦果:『非代替性基礎調味資源』のうち「塩」を確保】
【新たな問題:マスターによる無自覚のタラシ行為・影響甚大】




