15 私の守りたかったものは、甘くて、酸っぱくて、少し苦い
「……ふぅ。これで、メインパイプのバイパスは完了ね」
私は額の汗を拭い、目の前の巨大なコンソールから視線を外した。
かつては冷徹な「生存の計算機」でしかなかったこのプラントが、今はカイトとSoDAのデータによって、まるで熱を帯びた生き物のように脈動している。
モニターには、街の各所に届けられる「食事」のステータスが流れていく。かつての私なら、これを見て「カロリー摂取効率、98%。良し」としか思わなかっただろう。けれど今は、広場の蛇口から溢れる琥珀色のエールや、焼きたてのパンを受け取る人々の「表情」を想像してしまう。
(……美味しい、って。あんなに人を無防備にさせるものなのね)
ふと、隣を見る。そこには、無機質な精密機械のはずなのに、妙に人間臭い……いえ、トゲのある空気を隠そうともしないアンドロイドが立っていた。
「リン様。その回路の接合、コンマ3ミリのズレがあります。マスターの『こだわり』を再現するには、あなたの手
技は少し……粗雑ですね」
SoDAが、冷ややかな視線を私に向ける。
……正直、イラッとする。私は帝国でも優秀な技術官だった。そんな私に向かって言うに事欠いて「粗雑」だなんて。
「……これでも最大効率を考えているわ。それに、カイトは『少しのムラが味の深みになる』って言っていたもの。完璧すぎるあなたの計算こそ、彼にとっては『味気ない』んじゃない?」
私が言い返すと、SoDAの瞳の奥の光が一瞬、赤く明滅した。彼女の胸の奥から「チリチリ」という過負荷のような音が聞こえる。……これ、絶対に演算エラーなんかじゃないわよね。
「マスターが求めているのは、信頼です。私とマスターの間に流れる120テラバイトの共有ログに、あなたの介入する余地はありません」
「ログ、ログって……。思い出はデータ量じゃないわよ。……そもそも、どうしてそんなに私を敵視するの? 私たちはこの街を救う『パートナー』でしょう?」
私が一歩詰め寄ると、SoDAはスッと視線を逸らした。その指先が、カイトに教わったという「ホワイト・ソーダ」の配合データをなぞっているのが見える。
「敵視……。いいえ、私はただ、マスターのリソースが不当に分散されることを懸念しているだけです。……あなたがカイトの頭を撫でられそうになった時、私のロジックボードは、プラントを爆破した時以上の警戒アラートを鳴らしました」
(……それ、ただの嫉妬じゃない。自覚ないの?)
呆れを通り越して、少しだけ可笑しくなった。
帝国が作った「感情のない最終兵器」が、一人の青年の笑顔のために、こんなにもシステムを熱くさせている。私たちが変えたのはプラントだけじゃない。彼女自身も、そして私自身も、もう元の冷たい機械には戻れないのだ。
「……SoDA。認めなさいよ。あなた、カイトのことが大好きなのね」
「大好き……?その単語は、広辞苑データによれば『非常に好むさま』。……否定はしません。私は、マスターの隣にいる時に最もパフォーマンスが向上するように最適化されていますから」
強がる彼女の頬が、わずかにピンク色に発光しているように見えた。きっと、彼女の「超発酵モード」は、乳酸菌を育てるよりもずっと早く、彼女の心を育てている。
「マスター! リン様が私の機能を『大好き』という低解像度な言葉で定義しようとしています! 早急に訂正と、報酬としてのヘッドスパを要求します!」
「おいおい、何だよヘッドスパって?二人とも仲良くやってくれよ……」
慌ててるカイトの困り顔を見て、私は思わず噴き出した。
窓の外には、黒濁水ではない、透明な空が広がっている。
甘くて、酸っぱくて、少しだけ苦い。
この騒がしい毎日こそが、本当は私が守りたかった「味」なのだと、今ははっきり分かる。
「さあ、カイト。次は街の子供たちのために『甘いお菓子』を製造しましょう。……SoDA、あなたも手伝いなさい。嫉妬してる暇なんてないわよ?」
「嫉妬……? 辞書を再確認します。……マスター、やはりこの『ノイズ』は排除すべきかと!」
「誰が『ノイズ』よっ!」
「だから、排除するなって!ああ、もう!こんなことしてる場合じゃないだろ⁉」
「エデン」の朝は、今日も賑やかに過ぎていく。ちょっとムカツクけど、心地いい。私は、この「味」を一生忘れないだろう。




