第155話 策士の真意
「死ぬかと思ったぁ!?」
ガバリと身を起こしつつ、俺はそう絶叫した。
俺が覚えているのは川に転落し、山蛇の血で濁る冷たい水の中に沈むところまで。
壁面に激突した衝撃と、水面に衝突したショックで、俺の意識はあっさりと闇に落ちた。
意識を取り戻して第一声が先ほどの物である。
「あ、よかった! ニコルさん、目を覚ましましたのね!」
俺に抱き着いてくるレティーナ。水に濡れた身体がぴっちょりと張り付いて、何とも言えない感触だ。
レティーナは、やや赤みがかった感じに濡れているので、彼女が俺を救い出してくれたのだろう。
「大丈夫? 身体痛い所ない?」
「うん、大丈夫」
手足を動かして感触を確かめたところ、各部の関節に軋むような痛みは残っているが、腱や骨を傷めた感触ではない。
逃げ続けるために無理をした反動が出ているだけだろう。
「そう言えば、ミシェルちゃんは?」
ふと俺は、こういう状況なら真っ先に飛びついてくるであろう、子犬系幼馴染が無反応な事に気が付いた。
レティーナは俺の問いに、冷や汗を流しながら後ろを指さした。
そこには水揚げされた魚のようにビチビチとのたうち回るミシェルちゃんの姿が存在した。
「あううううぅぅぅぅぅぅ」
すんなりと伸びた手足に、膨らみ始めとは言え確かな存在感を示す胸部。
そんな健康的な彼女が、痙攣する姿は一種の艶めかしさすら漂わせる。苦痛に歪む表情が、その雰囲気をさらに増加させていた。
しかし俺は知っている。あれは地獄の筋肉痛なのだと。
「だ、大丈夫なの……?」
「本人曰く、筋肉痛とのことでしたので。命に別条がないとも言ってましたから、心配はしてませんわ」
「何で知ってる……さてはこっそり実験したな?」
「そのようですわね」
まったく……まあ、実戦でいきなり使うのは心配だから、前もって試しておくという心配もわからないでもないが……
その時は万が一に備えて、俺やコルティナをそばに置いてやってほしいものだ。
後先考えず、空に舞い上がった俺の言うべき事じゃないかもしれないが。
「よっと、いたたた……ミシェルちゃん、大丈夫?」
「あうぅぅ……ニコ、ルちゃん……気付いた?」
「お互いボロボロだね」
「うん……いだだだだ……」
どうやら彼女の筋肉痛は、俺の時よりは軽症のようだ。
これは彼女の身体が、俺より大人に近いというのもあるのだろう。
それでもキツイ事には違いない。互いに苦痛にあえぐ俺達に、カーバンクルのカッちゃんが回復を施してくれる。
これは筋肉痛にはあまり効き目がないので、気休めにしかならないけど。
いや、俺の場合は結構効果があった。壁面に叩きつけられたり、森の中を駆けまわったりで、身体中細かな傷だらけだったからだ。
こんな姿をコルティナに見られたら、なんて言われるかわかったモノじゃない。ここは素直にカッちゃんに感謝しておく。
「ありがと、カッちゃん。感謝」
「キュ~」
どういたしましてと言わんばかりの態度で、ふんぞり返るカッちゃん。
その姿はあまりにもあざとすぎるでしょう? なので俺は容赦なく巨大ハムスターを抱きしめておく。いや、カーバンクルなんだけど。
「あーもう、あざといなぁ!」
前世では如何にモフモフが好きでも、ストイックなイメージを維持するために、俺は触れる事を躊躇っていた。
だが今の姿ならば万事オッケー。思う存分抱きしめ、頬擦りしても構わない。
「うぇへへへ」
「そのだらしない表情を、学院の男子が見たら、百年の夢も覚めますわね」
「むしろ、蕩けた表情で人気急上昇かもぉ」
「地面でのたうち回っている人は口を挟まないでください」
地面に転がりながらも、ミシェルちゃんはボケる余裕があるようだった。
俺はカッちゃんを抱きしめながら立ち上がる。
早く戻らないと抜け出したことがバレてしまう。と言うか、もうバレているだろう。
それでも早く帰らないと、コルティナに心配をかけてしまう。
俺はレティーナと二人でミシェルちゃんを肩に担いで、元来た道を戻り始めた。
カッちゃんも気を利かせて、いつものように頭に乗る様な真似はしないでいてくれている。
あれは地味に重いので、結構助かる。
「早く帰らないと、コルティナに怒られる」
「早く帰っても、容赦なく怒られると思いますわ……」
「むぅ、いい事したはずなのに、理不尽な」
「言いつけに背いたんだから、それくらいは覚悟しないとね」
多少誘導されたような気がしないでもないが、それも覚悟の上である。
足を引きずりながらしばらく進む。生徒たちの避難は列に並んで行われているので、あまり早くはない。
今からでも追いつくことは可能なはず。そう思っていると、前方より人影が近付いてきた。
ヒョコヒョコと揺れる猫耳と尻尾。コルティナだ。
「あ、コルティナ!」
「ニコルちゃん!? どうしてここに――」
「え……?」
ちょっと待て、なぜ驚いている。あの策は俺に聞かせるために話していたんじゃないのか?
「えっと……コルティナ、渓谷に誘い込めって、コルティナが言ってたから?」
「あれ、聞いちゃったの!? なんでそっちが行くかなあ……」
「なんか、違った?」
俺が策の解釈を間違ったのかと心配になり、事の次第を彼女に尋ねる。
「うーん、あれって実はレイドに向けて聞かせようとしたのよね。ほら、アイツ、前に私のそばで見てるって言ってたし、ひょっとしたら聞いてるかも、とか……」
「あ、それで……」
つまりあれは、俺がカッコつけて『いつも君を見ているよ(キラン)』と言ったのをコルティナが真に受けて、俺が退治しに行ってくれると期待しての発言だったらしい。
いや、そう言う意味では実に的を射た発言ではあったのだが……現に俺が退治に向かったのだから。
「レイド一人じゃ苦戦するだろうと思って、助太刀に来たんだけど……ニコルちゃんが話を聞いてて、こっちに来てるなんて、想定外だわ」
「あー、うん。その……」
「なんか酷い有様だけど、平気? 怪我してない?」
「カッちゃんに治してもらったから、大丈夫」
「そう、じゃあ……お説教かな?」
「ええ!?」
「理不尽に思うかもしれないけど、あなたはレイドじゃないの! 無茶したら死んじゃうのよ?」
いや待て。俺がレイドだし、俺だって無茶したら死ぬぞ? と言うか死んだぞ、一回。
三人の中で誰よりも理不尽な想いを抱きながら、俺達はガミガミと叱るコルティナに付き添われ、生徒たちの元へ戻ったのだった。
無論、コルティナも、叱ってはいたがきっちり俺たちの体調を気遣い、最後には『よく頑張ったわね』と頭を撫でてくれたので、悪い気はしなかった。




