第112話 早朝のトラブル
朝起きた俺が真っ先に目にしたのは、まさにカオスという光景だった。
この宿は観光客を主体に経営しているだけに、部屋の構造も通常の家とは違う。
草を編んだ分厚い絨毯のような床に、直接綿を入れた袋を敷き、その上で寝るのだ。
きちんと並べたその寝具の上に五人並んで寝たはずなのだが、朝になるとその整然さは混沌へと変化していた。
俺の上にはミシェルちゃんが圧し掛かり、足はなぜか逆を向いたレティーナの抱き枕になっている。
ぴしっと真っ直ぐ寝ているのはフィニアだけなのだが、なぜか彼女に絡みつくようにコルティナがまとわりついており、微妙な関節技を極めている。
「うぐぐぐ」
「ん~、レイドぉ……」
どんな夢を見ているのか理解できないが、取りあえずフィニアが厳しそうなので、早々に叩き起こす事にした。
「コルティナ、起きる」
ミシェルちゃんの下から抜け出し、ぺしぺし顔を叩いて起こそうとするが、コルティナは一向に目を覚ます気配はなかった。
熟練の冒険者である彼女だが、冒険時以外の寝起きはあまりよくない。
冒険中はすんなり目を覚ましていたので、日常と非常時の意識の切り替えを無意識にできるタイプなのだろう。
今は完全無欠に気を抜いているという証拠で、俺たちに対して気を許している証になるので、これはうれしい限りではあるのだが、それはそれ、これはこれだ。
すでに陽が昇って結構経っている。あまり誰も顔を見せないと、宿の人が様子を見に来るかもしれない。
赤の他人に、このようなあられもない姿を見せる訳にはいかない。コルティナなどは胸元が盛大にはだけているし。
「んふぅ~」
尚もぺちぺち顔を叩かれて、ようやくコルティナはうっすらと目を開く。
俺を認識して――そのまますごい勢いで抱き着かれた。
「んー、やわらか、あったか……」
「いい加減目を覚ませ」
抱き着くのは別に構わないが、なぜ右手を背中でホールドする!?
しかも肘の内側に腕を差し込んでいるので、関節が決まって――って、これ以上はヤバイ!
「うぎゃあああぁぁぁぁぁ!!」
俺の悲鳴が宿に響き渡り、その絶叫で全員が目を覚ましたのだった。
「いやー、ごめんごめん。ついうっかりじゃれついちゃってぇ」
宿で朝昼の食事は注文していなかったので、俺たちは宿を出て、外の食堂を目指していた。
ここは保養地であり観光地だ。食という面でも結構な努力を行っている。
宿でお決まりの料理を食べ続けるより、外で食べた方がバリエーション豊富な楽しみ方ができる。
「じゃれつくのに関節決めるのはよそう?」
「うん、反省」
頭を掻いて、コルティナが謝罪する。
どうも彼女は、相手を抑え込む際に護身術として覚えた関節技を使う癖があるらしい。
前世では男女の寝所は分ける事が多かったので、この悪癖には気付かなかった。
あとでマリアがどう対処していたのか、聞いておこう。
もう少しで食堂という場所まで来て、行く手に人だかりができているのを発見した。
何やら剣呑な雰囲気を漂わせているので、俺とコルティナは自然と警戒態勢を取る。
一応俺は、護身用として昨夜鑑定してもらったばかりの短剣と指輪を装備している。
対してコルティナは発動補助の効果を持つ指輪を装備していた。これを着ける事で魔法の効果が少し上がるらしい。
ミシェルちゃんも例の腕輪と白銀の大弓を持って来ているが、この気配には気付いていない。
フィニアやレティーナに到っては問題外だ。
「なんだろ?」
上着の懐に手を突っ込み、その下で短剣の柄を握りながら、俺はコルティナに尋ねる。
彼女も俺の行動を見抜いたらしく、緊張した表情は崩さない。
「わからないわ。でも少し話を聞いて来るから、ここで待っててくれる?」
「わかった。危なかったら下がって」
「心配性ね。でも了解」
コルティナは俺たち五人の中で、一番戦闘力が高いだろう。
だがそれでも結局のところは後衛だ。前線で戦うコツまで理解していない。
俺の緊張がようやく伝わったのか、フィニアが怪訝な表情でこちらを窺う。
「どうかしたんですか?」
「あの人だかり、なんだか殺気立ってる」
「え?」
「だからコルティナが様子を聞きに行ったの」
説明を聞いて、ミシェルちゃんが弓ケースの留め金を無言で外す。これはいざという時に備えた動きだ。
彼女も俺と一緒に森で狩りをしているだけに、実戦の勘は鋭い。
人だかりに近付き、コルティナが何事か伺いを立てる。
コルティナは見かけ美少女なので、集団の中の男達は当初愛想よく説明してくれていた。
だが後ろに控える俺の姿を見た途端、その態度を豹変させた。
「あいつだ! 俺は見たぞ、アイツが昨日マイキーと話してたのを!」
その言葉に、人だかりの雰囲気が一変した。
警戒を現す集団。その中から一人の女性が歩み出てきた。
やつれた表情の中年女性。器量はあまり良くはないが、誠実そうな雰囲気は持っている。
しかし、今はその目を吊り上げて、ヒステリックな感情に支配されていた。
「アンタがマイキーを連れ出したのかい!」
「へ?」
「しらばっくれるんじゃないよ! マイキーをどこに連れて行ったの!」
甲高い声で感情的に喚き散らし、こちらに詰め寄ってくる女性。
その姿を見て、フィニアが間に入って接近を妨害した。
ミシェルちゃんはサードアイを抜き出し、矢を番えて牽制する。レティーナもいつでも魔法が使えるように控えていた。
俺はその二人を手で押さえ、攻撃を控えさせた。
「何の事かわからないんですけど、マイキーって誰?」
「アンタが昨日連れ出した私の子だよ!」
話の断片を組み立てると、彼女の息子のマイキーという少年が昨日から姿を消したって事か。
で、そいつは俺と話しているところを目撃された?
まるっきり覚えがない……あ、待てよ?
「あ、ひょっとして昨日の子?」
「やっぱり知ってるんじゃないかい!」
「いや、昨夜別れたっきり、見てないけど」
「嘘をお言い!」
まるっきり話が通用しない。しかもその彼女に引き摺られるように、後ろの人だかりの雰囲気も悪くなっている。
このままだと、暴動に発展する可能性もある。
俺がどうしたものかと頭を悩ませていると、コルティナが帽子を取ってその猫耳を露にした。
「あの、この子は何も知らないのはわたしが保証します。だから落ち着いて話してくれませんか?」
「アンタに保証されても――ってその耳!?」
猫人族はそれほど数が多くない。このラウムで猫人族、それも金髪で長毛種の魔術師となれば、その数は限りなく少ない。
普通猫人族に限らず、獣人系種族はその優秀な身体能力を活かして、前衛職に就くからだ。
「私はコルティナと申します。その子は私が保護してる子でニコル。何かお手伝いできることもあるかもしれませんから、詳しく話して下さい」
恭しく名乗った彼女に、一同は困惑した表情を浮かべたのだった。




