言論の自由を巡るパラドキシカルな現状
嫌韓ブームに物申すといった話が最近聞かれるようになった。
左翼や進歩派は特定秘密保護法と絡めつつこう叫ぶ。「物言えぬ社会にするな」と。
「物言えぬ社会にするな」という左翼の言葉は非常に軽薄だ。何せ、長らく「物言えぬ社会」を構築してきたのは左翼だったからだ。
今の嫌韓ブームはまさしく強度限界による破裂である。日本人が下手をすれば69年以上耐えてきた韓国に対するストレスの積み重ねが在特会の開けた風穴に向かって集中しているのであろう。
韓国が「確実に」犯した違法行為は1.竹島に対する民兵による侵略とそれに付随する日本漁船に対する攻撃・拿捕とそれに関する内政干渉に近い「司法取引」 2.金大中拉致事件 3.新潟日赤センター爆破テロ未遂事件 4.数々の違法コピー商品・コンテンツの製造 6.対日ヘイト教育 9.解決済み問題の再提訴 8.李明博による竹島上陸に関する旅券法違反 9.大使館前での一連の慰安婦関連のデモと銅像の建造 と言ったところが有名どころであろう。
長らくこれらが問題視され難かったのは韓国が数少ない極東の西側国家であり、日本にとっては中国、ソ連、北朝鮮に対する緩衝地帯としての価値があったためだ。
そして日本の贖罪意識が拍車をかけた。
韓国を糾弾することは悪いことだという風潮が最も顕著になったのは2002年のワールドカップのころである。その後冬ソナブームからの韓流ブームが生じたものの、最終的にそれが国内の嫌韓を後押ししたのである。実際当時は北朝鮮問題が顕著になり、韓国との懸案事項を棚上げにした。
さて、加藤直樹氏は日本で嫌韓が流行する中、韓国には嫌日を題材にした本はないという。しかし、田山たかし氏はそれは一般化した結果ではないかと指摘する。
例えば日本で新刊としてオウム事件や北朝鮮に関してヘイト本は現在ほぼ存在しない。
しかし明らかになった際には数多くの糾弾記事や暴露記事が発表された。その内容が一般常識と化して古臭くなった為に並ばなくなった。つまりは日本の嫌韓本の流行はこの糾弾記事や暴露記事の発表と同じ段階であるということである。
過剰なまでの韓国押しで日本人が韓国に行き、失望したことが現在の嫌韓ブームを加速させたのだともされる。
それに韓国にはこのような反日本がある「チョッパリのカス」「ムクゲノ花ガ咲キマシタ」。これら以外にも反日ソングや反日映画がよく売れたそうだ。
韓国批判は適当ではないというのが長らく日本の言論界の共通認識であった。
これは同調圧力による特定の言論の弾圧である。
その言論界が現在「物言えぬ社会にするな」と叫ぶ。
人権の名のもとに言葉狩りを励行してきた言論界が何を言うのだろう。
それ以前に韓国に対する過激な言動を問題視するならその他の国に対する態度はどうなのだろうか?
「アメリカ人アホ・マヌケ論」なる本があるらしいが、これはどうだろうか?
アメリカやイスラエルを「殺戮国家」「死の商人国家」「戦争を食い物にする国家」「中東の石油利権のために一連の戦争を起こした悪魔」と言うのは?
そう。彼らもヘイトをぶちまけている。
日本におけるヘイトスピーチの元祖は、反米反イスラエル反日を標榜する左翼だったのではないかという意見まであるくらいだ。
日本政府が韓国の対日ヘイトスピーチを調査することを決定した際に反差別を表向き標榜する人々は「国内問題を国際問題にする気か!」と言った。
だが、根強い韓国の対日ヘイトが日本の対韓ヘイトを正当化させている以上、それの研究は必要であろう。
そう。ついに韓国に対する反転攻勢が始まったのである。
今まで不要な金を払い、散々国家の名誉を破壊され、国土も侵略され、ついに日本が韓国の敵対行為に真摯に向き合い始めたのだ。
さて、私としてはヘイトスピーチ規制はすべきではないと思うし、そう左翼や進歩派に忠告したい。
ヘイトスピーチという一般名詞を考えると、それは確実に反ヘイト諸団体を巻き込んだ不毛な殴り合いになるのが目に見えているのだ。
沖縄での米軍に対する抗議も、反天連その他の反日デモも、自衛隊を批判するような集会も、ヘイトスピーチであると指摘されれば彼らは抗弁もできず逮捕される。
彼らは自分たちがそう言う対象になる可能性など微塵も考えていないであろう。
彼らの妄信する正義というのはそういうことである。独裁者と変わらない。
これはなかなかに愉快なことになりそうである。
自分で自分の首を絞める反ヘイト周辺は、断末魔に何を叫ぶのだろう?
「言論弾圧反対」だろうか?
散々言論を弾圧してきた以上、因果応報という奴であろうが。




