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ネット右翼の中にいて

まあ、暴論だけど、読んでみて。

中学生以来、長らくネット右翼的思想に浸かってきた私である。必然的にその思想を俯瞰するようになってきた。

ネット右翼の実像に関して、日本のエリートたる左派は頓珍漢という表現すら生温い的外れどころか背後に待つ人を撃つような論評が多い気がする。週刊金曜日なんてその最たる例だ。彼らはネット右翼のその根本から末端まで間違えつづけて早十年だろう。


先ず、ネット右翼の実像を知るには以下の条項を知らねばならない。

・ネット右翼は大日本帝国の再来を望む層ではない。

・ネット右翼は対米従属主義ではない。

・ネット右翼は殆どが表現や学問の自由を維持すべきと考えている。

・ネット右翼は法を順守しようとする。

・ネット右翼は国家観を天皇に依存していない。

これが、ネット右翼の実像に近いものだ。


これらの条項がなぜそこに存在するか。これはネット右翼の成立が歴史を振り返り精査するというムーブメントから始まったためである。

日本では一時期、韓国に日本の原点を求める動きがあった。これが今の日韓問題を悪化させたのだ。

その中で、ネット上では遺伝子的な特性上現在の韓国より東南アジアの遺伝子の方がずっと日本人と近いということや、コメの移入経路が中国南部からであったことなどから韓国先祖論を否定するようになった。

慰安婦問題や韓国併合に関しても、当時の歴史的事実を一つ一つ照らし合わせ、韓国側の主張を否定していったのが今のネット右翼の原点である。この原点たる2ちゃんねるの特定アジア板は昨今では最穏健派である。とっくの昔に嫌韓を超え悟りの境地に達したものばかりであったためである。

このような中、度々起こったサイバー攻撃や対日賠償請求問題が2ちゃんねる全体に反韓思想の定着を加速させ、日本のネット空間での拡散を引き起こしたのだ。世界的に特殊な日本のネット環境は、学術ネットではなく一介の掲示板群が最大派閥となったことが元である。

そして、国内にくすぶっていた左翼思想、平和思想に対する潜在的疑念がネットの普及と比例した反韓思想と中国脅威論の拡大によって爆発したのである。

ネット右翼の言葉がきたないというが、あれは元はといえば大人の対応、紳士的な対応をすればいずれ韓国人は己の行いを恥ずるだろうという楽観的観測に対する失望なのである。その後、韓国人の精神性の土壌の分析から彼らにとって恥は掻くものではなく掻かされるものであるという意識が判明し、戦略を急転換したのが今の在特会に代表される団体の行動である。


ネット右翼の、その大多数は平和主義思想の影響を受け、それを精査し、平和の構築のための武装を肯定するようになった層である。彼らは戦後の平和な時代を謳歌し、それの維持を考えている。無論そこには自由な気風の中で面白い創作物を楽しむということも含まれる。彼らは漫画で字を覚え、アニメを見て感動し、ハイテクおもちゃに胸躍らせ、ゲームでコミュニケートした世代だ。つまりはオタク層に近いのだ。創作規制には潜在的嫌悪感がある中、いろいろギリギリな表現にも若干の問題を感じる層だ。児童ポルノ法改定反対者にはかなりの数のネット右翼層がいる。彼らは、ただでさえ自主規制が跋扈しているのに、これ以上の表現規制に否定的なのだ。

私が左翼嫌いなのは、その人倫主義によって表現が規制されているという事実があるからだ。とある画家が展覧会を開いたが、これを弾圧しようとしたグループに左翼がいたのを私は覚えている。その画家の描く絵は少女画であり、首輪をつけられた裸の少女だったり足が無かったりと、慣れない人には厳しいものが多かった。ただ、不快感でいえば戦争のせいで焼け爛れた人の絵ともそうは変わらない。しかし、左翼は「女性蔑視」と言い張って雪崩れ込んできた。あの絵は、一種の前衛芸術でしかない。タブーを突っ切っているだけだ。タブーである天皇侮辱を平然と行い、平和憲法下での『弱者』である自衛隊員を差別してきた彼らに言われるのは何とも癪に障る。

左翼は常に表現の自由を掲げるが、実際はまったく違う。彼らが漫画などの表現の保護を言うのは一種の隠れ蓑なのだ。彼らにとってオタクは都合のいい捨て駒扱いなのだ。左翼が求めるのは発言に責任を持たなくてもいい、自分たち『だけ』が放言を許される『言論空間』である。多くのオタクは未だにカウンターカルチャー的である。左翼と言う『権威』になびかない。規制を訴える政党や政治家に面と向かって問題提起する姿勢はよっぽど表現の自由にまじめに取り掛かっている。

私とツイッター上で相互フォローしている某氏は、東京の改定青少年保護育成条例に裁判を起こした人物でもあった。

また、漫画家の赤松健氏は自民党に直接アポイントを取って法律としての問題点を指摘している。

左翼が単にくすぶる中、オタクや漫画家は確実に表現の自由の維持を正面から訴えている。

本当に熱心ならば、もっと大きな運動になっているはずだが、いまは秘密保護法とヘイトスピーチに夢中だ。

風が吹けば桶屋が儲かる的な発想で秘密保護法と表現の自由を無理やり結び付けようという姿勢にも嫌悪感がある。

現に秘密保護法に問題点があるとするネット右翼は左翼の想像よりかなり多い。内容の精査は必要だというのがネット右翼層の中でもそこそこいるのだ。しかし彼らはまず秘密の保全という国家全体の利益=大多数の利益を優先すべきであると考え、そして、誇大妄想で過剰に、かつ異常に恐怖する左翼を批判している。彼らは一度運用しマッシュアップすべきだという考えなのだ。全面否定を掲げる野党やマスコミ、はたまた文化人とは全く違う。だから、パッと見、無批判に賛成しているように思われる。アンケートでは・すぐにでも制定・議論をより尽くすべき・反対 の三種になっていたが、本来は・今の条文で問題ないからすぐに制定・問題点はあるがすぐに制定し改正を重ねるべき・議論をより尽くすべき・反対 の四種になるはずだ。


そして、「ネット右翼論」最大の勘違いがアメリカである。

多くのネット右翼の研究者は彼らを対米従属主義者と断ずる。しかし実際はそうとも限らないのだ。

彼らの中には対米従属も対米独立も独立した十分な軍備からという価値観である。

現状、日本には戦略爆撃機もなければ核弾頭もない。正規空母もなければミサイル原子力潜水艦もない。そのような中、打撃力を格安で担保する安保条約を解体する必要性は全くないのである。

NATOの有力国家であるドイツがアメリカと距離を付かず離れずできるのは、自国防衛に必要な軍事力とそれを行使する能力を持っているからである。何も政治的能力だけではない。そして、それをさらに進めたのがフランスである。フランスは原子力正規空母に弾道ミサイル原潜、そして核弾頭を有している。軍事力に裏打ちされた彼らは必要に応じて容易にアメリカに賛同したり、批判したりができる


日本の安全保障は国際的潮流から取り残されている。新兵器導入を憲法違反であり税金の無駄と十把一絡げに断じ否定する左翼であるが、実際には今までの怠慢が原因である。

ネット右翼は程度は違うが装備の更新を重視し、専守防衛という価値観を「平和の独占」とみなしPKOなどへの積極参加による「平和の輸出」を考えている。

そしてこの軍事の立場の向上が最終的に日本という国が外圧に強い国へと変貌するための必要条件なのだ。左翼はニューヨークタイムズや新華社通信、はたまた朝鮮日報を引用し、または各国の外務当局のスポークスマンの言葉を利用し「諸外国からは」と外の声を利用して世論を構築しようとする。軍事的な独立性が向上すれば、そのような脅しの効果は薄れていく。特にアメリカの声は都合よくつかわれるが、それも通りにくくなる。

血を流す国際貢献はその国の国際的評価を高める。この事実に目を背ける左派をネット右翼は痛烈に批判する。日本にあった拝金主義が日本の評価を著しく損ねた事実にも目をそむけている。NGOやNPOを積極利用しても、日本と言う『国家』の評価はまったく向上しない。だからこそPKOなどを批判しているのかもしれない。左翼にとって日本は意地汚い人間しかいない国であるべきなのだ。そうでなければ彼らの存在維持が消滅してしまう。彼らは自己の存在理由のために国家=1億3000万人の尊厳そのものを平然と天秤に掛けて見せ、自分の方が重いと断言できる利己主義者なのだ。


憲法九条に対する姿勢もまた違う。左翼が「戦後日本の平和は憲法九条によって担保され、自衛隊と在日米軍はそれを脅かしている」という価値観を掲げるが、それを精査したネット右翼は「戦後日本の平和は憲法九条に基づき自衛隊と在日米軍が担保し、それをソ連その他の国々が脅かしている」と考え、また「近年になって憲法九条が平和を脅かす土壌となりつつある」と考えているのだ。

護憲派の価値観が護憲というか護九条でしかないことを鑑みれば、よっぽどネット右翼の方が護憲派といえる。憲法には25条に生存権が存在するが、9条の内容を順守すれば他国の侵略に際して25条が反故にされる可能性がある。一部の論者は憲法自体が条文で衝突しており、基本的人権を重視すると9条そのものが25条違反であり憲法自体が違憲という結論が生じると言うものもいる。一応、自衛権自体は持っているという政府答弁があるが、憲法学者の大多数はそれを指示せず、完全非武装以外違憲であるとしている以上、この問題は非常に根深いものとなるであろう。

だからこそ憲法を改定し、条文の現実との乖離を解消すべきだというのがネット右翼だ。彼らはある種愚直なまでに立憲主義であり、法治主義なのである。


ネット右翼の国家観はまた複雑だ。右翼が国家観を天皇に依存し、左翼がそれを否定する中、ネット右翼は国家観を文化に依存している。この場合の文化は天皇と神道を基軸とした古来からの古典文化から現代のポップカルチャーまで内包する。この点からも彼らが表現規制に否定的なのが分析できる。ここまで来ると左翼はネット右翼の精神的支柱を崩すことができないのだ。


ネット右翼と言う価値観自体が進行の価値観であるというのは言うまでもない。ネットの普及で一挙に拡大したポピュラーな政治思想とでもいうべきかもしれない。彼らが望むのは日本国憲法の延長線上にある強い日本でしかない。この事は覚えておくべきだ。

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