秘密をもって何が悪いのか?
秘密情報保護法が紛糾している。
この法案に関しては「いま議論している場合じゃないだろ」というのが私の感想である。
何も、もっと優先すべき法案があるというわけではない。
本来この法案は1960年代には成立していなければならなかったであろうものだ。
もともと、情報の保護というのは国家の最重要課題であった。
世界中、さまざまな国がスパイに目を光らせている。
日本で情報関連で問題となったのは「西山事件」であろう。
この事件は毎日新聞の西山記者が女性官僚を酒に酔わせて性的関係を無理やり結び脅迫、国家機密情報を不当に所得し社会党に横流ししたスパイ事件である。
当時の国際水準の処罰であれば、他国の情報機関の関与が無いか調べられた挙句懲役十年から共産圏なら国家反逆で死刑クラスの重罪だろう。
しかし、西山氏は懲役4月執行猶予1年となり、女性官僚は懲役6か月執行猶予1年の判決を受けた挙句、夫と離婚することになる。非常に軽い処罰である。
この際露呈したのが沖縄密約であるが、この密約の公開は明らかに日本とアメリカの関係を悪化させるものであったうえに、自民党を失墜させる政治工作といった側面も垣間見えるものであった。
今回の秘密保護法は、かなり荒削りな法という印象が強い。
敗戦から今まで、情報保護を目的とした法律が存在しなかったためにこのようなさじ加減のわからない法律になってしまっている。
ある意味、『人権派』にとっては非常にうまくいったともいえるだろう。
この手の法案に反対し各国の人権問題による機密保護法の改定を待てば、日本の秘密保護法は自然と各国から変な目で見られるようになる。
当たり前だが、外国の多くの人から見れば、日本にもスパイ防止法があるという思い込みがある。そこでこの法案が取り上げられれば、非常に古めかしい法案として外圧が期待できるのだ。
多くの外国人がなぜ今になってと思っているだろう。
だが彼らは知らないのだ。平和主義の名のもと犠牲を強いる事を好しとする歪んだ倫理観がそこにあることを。
外人にしてみれば、日本には軍隊があるというふうに見る。自衛隊なんてそこに存在しない。そこには日本軍が存在する。
この認識を理解していないから、この法案の重要性がわかっていない人が乗せられるままに反対になる。
反対派の人の意見は非常に滑稽だった。
『潜水艦の魚雷の数が適正か知るためにも必要』だという。
普通潜水艦の魚雷の数は公表されない。発射管の数は公表されるが、それ以外は知っていても一般国民には判断できない。かなりのミリタリーオタクが集まったところでそれは同じだ。
この情報で得をするのが中国人民解放軍と韓国海軍、北朝鮮海軍の軍人だけであるという想像が彼らには存在しない。
第一、このような重要機密はまさしくプロフェッショナル専用の情報である。素人が持っていても手に余るだけだ。
法律用語が弁護士じゃないと正しく理解できないのと同じで、軍事機密情報は軍人が、外交機密情報は外交官が正しく理解できるだけの最低限の情報でしかないのだ。
そして、このような小さなほころびは、最終的には潜水艦のソナーの感度や潜水深度に至る情報に関しても開示を迫る口実にもなる。
そんなことありえないという人もいるかもしれないが、彼らにはそういう『常識』が存在しない。
そう。『ありえない』はあり得ないのだ。
今後、日本ではマスメディアの在り方が問われるだろう。
情報を知る権利を唱えながら、裏で情報統制をしてきたのはマスメディアである。
つまりは『同じ穴のムジナ』なのだ。
国民が真に知りたい情報はなんなのだろうか。
それは誰も明確に答えることはできない。
ただいえることは、防衛機密なんてものは日本国民は知らなくても何も感じないという事実である。そして知ったところで何もわからないということである。
外交機密すら、正確に読み取れず感情論に流されるのだから。
それに最近のマスコミの主張は当てつけのようにも思える。
西山事件は保護法に抵触する。この言説が彼らの心証を悪化させたらしい。
自分たちが行った非道な行為を顧みないのであれば、彼らは第二第三の西山事件を起こすだろう。
その時彼らは事件の全容を報じることができるだろうか。
まあ、できないだろうが。




