安倍首相批判者の実際
なんとなく的外れな部分の多い左翼の安倍首相批判。
批判がある中まったく動じぬ安倍政権。
なぜ今、左翼がまったく力を失ったのか。
安倍首相を右翼だ極右だファシストだという人がいる。
ただ、その政策に関しては原発と国防軍と憲法改正以外で批判は少ない。
アベノミクスに至っては憲法論などでは安倍首相と対極にいる人物が絶賛する始末。
何がどうなっているのか。
その理由は歪な戦後言論空間にあると私は考える。
日本は戦後、右翼と左翼の構図が憲法論以外で行われることがなかった。
護憲か改憲か。極端に言えばここまで単純化された右翼と左翼はまた歪な構造を生み出した。
いま、安倍首相が経済界に申し付けている賃金や労務環境の改善は本来左翼の言う内容である。
左翼は労働者の組合を単なる駒としてしか見ていなかったのだ。
メーデーの主張がまったく労働と関係ないと先日話題になった。
オスプレイに反対し、国防軍に難癖をつけ、安倍首相と自民党を否定したところで労働環境がよくなるようには思えない。
それに労働者の賃上げを推し進めようとしたのは安倍首相だ。
消費増税を批判はすれど、賃上げに肯定的な安倍首相を否定するのは労働者にすれば少々お門違いではなかろうか。
さて、日本の左翼はネット上では『ブサヨ』と呼ばれている。ウェブ左翼からきたともブサイク左翼から来たとも「ぶっ飛ばす」の「ぶ」から来たとも言われているが、ネット上では総じて「ブサヨは左翼にあらず、ブサヨはサヨクなり」といった論調である。
ここでいうサヨクと左翼の違いは『サヨク』が日本における一般的左翼であるのに対し『左翼』が国際標準の定義による左翼であるという。
日本の左翼、『ブサヨ』は諸外国の極左政治集団、無政府主義集団の系列である。
反面、国際的な定義の左翼というのはを時に自民党の一派をも巻き込む非常に広い領域にわたる。そして、必ず国益に沿った意志を冷徹かつ客観的に分析する部分がある。
日本のブサヨはそれが出来ていない。非常に主観的かつ楽観的観点で物事を語るのだ。
理系は左翼に、文系はマルクス主義以外右翼に行く、みたいな話があるが、今の日本で状況を見て分析できるだけの脳を持っていると右翼にならざるを得なくなるのだ。
まず愛国心を語ると右翼になってしまうのだからどうしようもない。
それが今の安倍総理の高い支持率だ。
左派マスコミが安倍首相が戦車に乗ったことを批判しているが、まったく彼らは他の例を見ていない。
日本では野田元首相が任期中にF‐15戦闘機のコクピットに乗っているし、イギリスでは女王陛下がアサルトライフルを撃っている。
指導者が兵器に乗るパフォーマンスは意外と多いことだ。
それどころか元KGBの工作員だったプーチン氏に至ってはマカロフ拳銃の射撃訓練を行い、トラを麻酔弾で狙撃し、特殊部隊の隊員に直々に稽古をつけている。しかもパフォーマンスではないらしいという。
どうかしているのは日本のマスコミだったのだ。
マスコミの能力不足と決めつけによる取材が前々から悲惨な結果を呼び込んでいる。
日本型左翼に明日はない。
破滅か変節か。どちらも選べないならテロルに走らざるを得ない。
彼らは、選択を迫られている。
憎き愛国者になるか、売国奴として滅ぶか。
彼らは過去の過ちにまだ気が付いていない。




