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 舞踏会帰宅後に、熱を出してから早5日。

 ごく一般的な、深窓の令嬢といった風貌のアリシアではあるが意外と体は丈夫なほうで、風邪をひいても翌日にはけろりと回復していたため、今回のように日を跨いで寝込むのは非常に珍しいことだった。

 とはいえ3日後には熱も下がり、暇を持て余していたのだけれど心配した家族や使用人によって中々寝室から出してもらえないまま今日に至る。

 暇を潰そうにも、パトリックは恋愛小説暫く禁止を本当に実行してきたので他に読みたいものがない。渋々刺繍やレース編みをして過ごしていたけれど、実は元々あまり得意ではなかった。


 以前、類稀なる裁縫の技量を持つ貧乏な下級貴族のヒロインが、市井に作品を卸して生活費に充てていたらいつの間にか注目され家の経済が潤い、なんやかんやあって上級貴族のヒーローに見初められる、という恋愛小説にはまっていたことがあり、その時に刺繍をかじったことがある。

 しかし、アリシアには類稀なる才能はなかったらしく、上達したところで刺繍もレース編みも「まあ普通」止まりだったために早々に諦めたのだ。ちなみに当時、「もしクリスフォード家が貧乏になっても私は何の役にも立てませんわ」と言ったら縁起でもないことを言うなと兄に叱られた。


 そんな風に、非常に窮屈で退屈な時間を過ごしていたのだけれど、ようやく本日から通常通りの生活に戻ることを許されたのだ。


 数日ぶりに寝間着以外の服に袖を通して身だしなみを整え終えた頃、部屋にノックの音が響く。


「アリシア、入っても大丈夫かい?」


「お兄さま、大丈夫ですわ」


 アリシアの応えの後に、パトリックが扉から顔をのぞかせる。

 元気そうな妹の姿を見て、安心したように表情を緩めた。実際のところ、昨日も既に元気だったのだけれど。


「もう顔色もすっかり良くなったね」


「これ以上寝室にこもっていたら、窮屈さで逆に病気になってしまうところでした」


 アリシアが頬を膨らませる様子を見て、風邪すら滅多に引かないアリシアの高熱に驚き数日間寝室から出さなかった張本人であるパトリックは苦笑した。


「今日もあいつから花が届いているよ。

 あとは、ローズからの手紙だ」


 あいつ、と呼ばれたのはクラウスである。熱を出してから、クラウスからは毎日見舞いの花が届いている。花には必ず、体調を気遣うカードが添えられていた。

 舞踏会の日、今までにない程の冷たい声でクラウスに声をかけられてしまい、思わず逃げてしまった。あの時は、想い人を苛めたと誤解されてしまったと思い彼を避けてしまったけれど、その後も追いかけてきて話がしたいと言っていた。

 時間だけはたっぷりあった療養生活の中で、「もしかして、会場の外に出たことを心配してくれたのでは」と思い至るようになった。その件では兄からも散々叱られたのだ。幼いころから妹のように可愛がってくれたクラウスであれば、少しは自分を心配してくれる気持ちもあるのではないかと。毎日送られてくる見舞いの花が、それを証明してくれた気がした。妹のように、と考えると胸は痛むけれど。


──あの令嬢が、私からはいじめられていないと証言してくれたのかもしれないわ。

 あの時、クラウス様は何か話をしたがっていたし……。


 もし、誤解をしていたとしても、ちゃんと話せば誤解だとわかってくれるかも。と思うと、ほんの少しだけ前向きな気持ちになれた。

 それでも、誤解が解けたあとに、あの優しい表情でご令嬢への愛を惚気られてしまったら彼の目の前で泣かずにいられる自信がなかったので、アリシアはカードに返信をする勇気が持てず、毎回兄にお礼の言伝を頼むことしかできなかった。

 花を見ながらクラウスのことを考えてぼうっとしていると、パトリックから声がかかる。


「王女からの手紙はなんて?」


「少々お待ちくださいませ……まあ、元気になったらお茶をしましょうですって」


「それならば行ってくるといいよ。城に都合伺いを出しておこう。

 病み上がりなのだから無理はしないようにね」


「ありがとうございます、お兄さま」


 そんなに行動的な方ではないアリシアでも、数日間寝室から出られないのは正直気が滅入っていたため、久しぶりの外出許可に心が浮立っていた。





*****





 ローズマリーからは、今日は何時でも問題ないとの返答がきたので、さっそく先触れを出して外出の準備をする。登城するためドレスではあるものの、なるべく控えめなものを選んだ。

 いつもであれば予め使用人に手土産の購入を頼むのだけれど、ずっと籠っていたためなるべく体を動かしたいアリシアは、自分でパティスリーまで買いに行くことにしたのだ。




 本来こうして出歩くこと自体あまり褒められたことではないのだけれど、目的地は市井とはいえ富裕層に向けた店が立ち並ぶ街ということでパトリックも渋々許可をくれた。

 大通りに馬車を停めて、パティスリーまでの僅かな距離を歩く。先に手土産用商品の予約をしておいたので、並ばずに受け取るだけで済みそうだ。

 本当は街歩きもしたかったけれど、兄に露呈したら大目玉を食らいそうなので我慢する。舞踏会のときの迂闊な行動を咎められたばかりで次に何かあったら今度は具合が悪くなくとも部屋に押し込められかねない。





「ひったくりだ!」


「捕まえて!」


 少し離れたところから、騒ぎ声が聞こえる。

 比較的治安のよい場所でも、誰でも自由に出入りできる市井では稀にこういったことが起こる。騒ぎにいち早く気付いた護衛が、アリシアを背に守っていると体格のよい大男がこちらに向かって走ってくるところだった。

 突然のことに身を竦ませていると、すぐ近くから誰かが躍りだして、手に持っていたらしい荷物を男の足元に投げて転ばせた。


「痛っ……」


「さあ! 盗んだものを出しなさい!」


 前に躍り出たのは、まだ幼さの残る少女だった。ひったくり犯と思われる男の半分ほどの背丈しかないにも拘わらず、恐れを一切見せずに堂々と立っている。

 アリシアは、彼女に見覚えがあった。忘れられるはずがない。

 クラウスと一緒にいた、例の可憐なご令嬢だった。


 最後に見たときは、瞳を潤ませ頬を染めながらクラウスの手を取っていた彼女。今は、あどけなさを残すも美しい顔で大男をきっと睨みつけている。

 男は一瞬呆気に取られていたようだが、舌打ちをすると勢いをつけて少女に掴みかかろうとした。取り押さえられる前に反撃して逃げようということだろう。

 慌ててアリシアが護衛の方を向くと、護衛が一つ頷き瞬きをする間もないほどの動きで男に飛びついて取り押さえた。


「……うっ!」


「すぐに警邏隊がくる。逃げられると思うな」


 体を固定され、男は喚いている様子だったが、護衛が頭を地面に押さえつけると喚き声は言葉にならなくなった。

 突然第三者が現れて驚いている少女の様子に気付いてアリシアは声をかける。


「勇気ある方。お怪我はございませんか?」


「あ……はい、ありがとうございます!

 急に殴りかかられたからびっくりして固まっちゃいました」


「そう、ご無事で何よりですわ。

 この者は警邏隊が来たら引き渡しますので、ご安心くださいまし」


 今にも殴られそうになった少女。勇気ある行動ができる子だったとしても、大男に向かってこられて怖くなかったはずがない。そう思ったアリシアは、なるべく安心させるように笑顔をつくる。


「はい! ……あの、夜会でお会いしたことありますよね?」


 少女の言葉に、アリシアは目を瞬かせた。自分はクラウスを見ていたから、彼女のことを覚えていたけれど、一度目は取り巻き数人のうちの一人として、二度目は暗がりでの邂逅だったためにこちらを覚えているとは思わなかったのだ。


「ご挨拶が遅れて失礼いたしました。

 クリスフォード家長女のアリシアでございます」


「あっ……ご丁寧にありがとうございます。

 ロット家のユーリです」


 家名を聞いて、アリシアは脳内の貴族名鑑を捲った。ロット家といえば、王都から離れた西の方に小さな領地を持つ子爵家だったはずだ。当主である子爵は城勤めではないためクリスフォード家と政治的関わりもなく家族構成まではわからなかったけれど。


「子爵家のご令嬢だったのですね」


「はい……あの、今年がデビューなので、王都には来たばかりですけど……」


「そうだったのですね。

 今はお一人みたいですけれど、王都は人が多いため、治安が良い街でも危ないことがあるから街歩きの際はどうかお気を付けなさって」


「あの人にも同じようなことを言われました……」


 少女が呟くようにあの人、と言ったのを聞いてアリシアはピンときた。聞き返さなくてもわかる。クラウスのことだろう。確か夜会のときに「街で会った」と言っていたはずだ。ずきりと胸が痛むのを、微笑むことで誤魔化した。


「アリシア様は、あの人……クラウス様と恋人だったりしますか?」


 少女が恐る恐る問いかけてくる。答えを待つ少女の大きな瞳は、不安げに揺れていた。こう問いかけるということは、まだクラウスと彼女は特別な関係になっていないのだろう。


──ここで恋人だと肯定したら、彼女はクラウス様を諦めるのかしら?


 どろどろと黒いものが胸を侵食するのを、アリシアは慌てて振り払う。ここで偽りを述べて、何になるというのだろう。そんなことをしても、もしクラウスが目の前の少女に想いを告げたら嘘が露呈してしまう。

 失恋するだけでなく、軽蔑されてしまうかもしれないのだ。どうせ実らない想いだって、そんな所まで堕ちたくはない。


「クラウス様は、兄の友人ですわ。

 昔からよく私とも遊んでくれた、幼馴染のようなものですの」


 それでも、「ただの知り合い」というのは悔しくて、少し牽制するようなことを言ってしまった。その瞬間、余計なことを言うのではなかったと自己嫌悪に陥る。


──これではわたくし……2人の恋の障害みたいじゃない。まるで意地悪な悪役だわ。


 うっかりと牽制してしまったことを悔いたが、目の前の少女の反応は思っていたものとは違った。


「そうなんですか……良かった」


 アリシアの心配に反して、目の前の少女が、安心したようにうつむきながら微笑んだ。しかし、アリシアにとって気になるのはその表情だけではない。踏み込んでは後悔すると思いつつも、つい疑問に思ったことを口に出してしまった。


「良かった、とは?」


「私も領地に幼馴染がいるんですけど、兄妹みたいな感じなのでクラウス様とアリシア様もそうなのかなって……あ、良かったっていうのは、あの……その……、何でもないです!」


 どうやら彼女は、物事を誤魔化すことができない性格らしい。

 思わず答えてしまったとばかりに、慌てた様子で顔を真っ赤にして手を左右に振った。アリシアはかろうじて微笑みを保っているが『兄妹』という言葉が胸に突き刺さる。

 アリシアにとってクラウスが兄だったことは一度もないのだけれど、彼にとっては……。

 必死に今まで目を逸らしてきたものを、思い切り目の前に突き出されたような気分だった。

 頬を赤らめる彼女に、どう答えるか考えていると護衛から声がかかる。


「お嬢様、破落戸の引き渡しが終わりました」


「そう、ご苦労様。

 ユーリ様、私たちはこれで失礼いたしますわ。

 ごきげんよう」


「あ、はい! ごきげんよう」


 慌てて彼女が礼をするのを微笑みで返して、アリシアは目的のパティスリーへ向かう。

 ローズマリーとのお茶会で浮立っていた先ほどの気分が嘘のように、暗い気持ちになっていた。


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