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大袈裟なほど煌びやかな衣装を纏いながら愛を謳う演者を眺めながら、パトリックはこっそりと欠伸を噛み殺す。気づかれぬようこっそりと隣を伺うと、シェリルは真剣な面持ちで舞台を観ている。
この演目は、隣国──シェリルの生家である辺境伯家のすぐ隣に位置する国では古くから親しまれている騎士と姫の恋物語だ。王都ではあまり見かけたことはないが、隣国の文化が流れてきやすい辺境周辺ではそれなりに人気の高い演目らしい。
隣国とはかつて戦争をしていたこともあるが、数十年前……パトリックの両親が生まれるよりも前に終戦してからは友好的な関係を築いている。直に戦争を体験した老齢の世代の中には疎む者がいなくはないが、世代と共に時代も変わり今では留学や文化の行き来も少なくない。
今日は婚約者であるシェリルを連れて観劇に来ているもののパトリックは本来余り観劇が好きではない。別に嫌いというほどではないし母や妹に付き合わされることも度々あるのだが、ここではっきり言えば誤解を生まないのにだとか、余計な行動をしなければ変な事に巻き込まれないのにだとか、気を使っているようで空回りして自己犠牲甚だしいだとか、夢も希望もないことをついつい考えてしまうのだ。勿論、娯楽として作られた話であることはわかっているのでナンセンスな本音は口に出さないが。過去に母と妹から正直な感想を求められて率直に答えたら、「愛も情緒もない」だの「お兄さまが主人公だったら物語が十分で終わってしまう」だのと散々非難を浴びて物語の登場人物に合理性を求めてはいけないことを学んだのだ。
身内の女性陣からはナンセンスだと言われるパトリックに、若い男女が胸をときめかせる恋物語の観劇に婚約者を誘うような情緒はない。シェリルに馴染みのありそうな公演があるから誘えと勧めてきたのは妹である。
シェリルを初めてエスコートした夜会の翌日、父から頼まれた調べものの為に邸の図書室へ入った時に丁度読書をしていたアリシアと鉢合わせた。
「お兄さま! 丁度良いところに。先ほど侍女に聞いたのですけれど、先週から中央劇場で『愛が咲くところ』の公演をしているそうですわ。
ぜひ、シェリル様をお誘いになってはいかがかと思いましたの」
「……『愛が咲くところ』?」
「まあ! ご存じありませんの?
隣国では絵本から小説、演劇まで広く展開している物語ですわ。王都で公演しているのは貴族や富裕層向けですけれど、隣国では庶民向けに野外公演を行う劇団もある位皆に親しまれておりますのよ。
シェリル様のご実家は国境沿いですから、きっと馴染みがあると思います」
アリシアは手を組んでうっとりとした表情で語る。隣国で有名な話を詳しく知っているあたり流石ロマンス好きと言ったところだが、『愛が咲くところ』という甘ったるい題名からしてパトリックの食指は動きそうもない。
「いや、観劇はいいよ。心配しなくても、近々植物園にでも誘おうと思っているから」
「あら、植物園はだめですわ。お兄さまは各領地の名産品は頭に入っていても、花に興味なんてないでしょう?」
アリシアに呆れた表情で指摘される。確かに、どこの領で何が採れるだとかどこの領の小麦や葡萄は品質がいいといったことは頭にあるが、花については詳しくない。この薔薇はなんという品種で、と言われたところでパトリックにとっては薔薇は薔薇、百合は百合なのだ。ただ、それを妹から指摘されるのは面白くない。
「……確かに詳しくはないが僕だって花を綺麗だと思う心くらい持っているさ。お前だってこの前クラウスと植物園へ行ったと言っていたじゃないか。
婚約者と出かける場所として悪い選択じゃないだろう?」
「あら。クラウス様は、植物園を回りながら一つ一つ説明してくださいましたわ。職員の案内で語られるような学術的なものではなく、女性が退屈しないような神話や逸話も交えてお話ししてくださるの。
しかもこの花はわたくしに似合うとか甘い言葉も囁いてくれて。ああ、花に例えて女性を称えればそれでいいと思わないでくださいましね。花言葉も重要なんですのよ。“不実”や“拒絶”の意味を持つ花に例えられて喜ぶ女性はおりませんから。
お兄さまにそれができまして?」
(め、めんどくさい……妹がめんどくさい……)
とうとうと語る妹にパトリックは言いかけた言葉を呑み込む。とてもじゃないが、クラウスと同じ対応は出来そうもない。クラウスは女性を楽しませる話術を元々持っているうえに、植物園に行く数日前から予習して知識を頭に叩き込んだのだろう。ともすれば仕事の合間を縫って下見に行っている可能性すらある。クラウスは水面下で驚くほどの労力をかけて、「そつなく何でもこなす風」に立ち回る努力の男なのだ。
とはいえ、定番の植物園デートすらこなせない男だと目の前の妹に認めるのも癪だった。
「別に、うんちくを披露しなくとも綺麗な花を見てその時の気持ちを共有できれば十分じゃないのか?」
「綺麗ですね、そうですね。で会話が終わるのが目に見えるようですわ。その点観劇であれば見ている間は会話をする必要はないしその後にお茶でもして当たり障りない感想を言えば会話がつながりますもの。
朴念仁のお兄さまでも出来る限りの良いデートをしてシェリル様の心をしっかりと掴むべきです!」
「……あのなアリシア。気を使ってくれているのはありがたいが、僕たちは元々家同士の勧めで婚約したわけだし、ゆっくりと親睦を深めていけば──」
「甘すぎですわ! シェリル様はとても素敵な女性ですし、上辺だけで異性に言い寄られるお兄さまと違って、本気でシェリル様の本質に惹かれる殿方がいつ求婚してきてもおかしくありませんもの」
「おい、誰が上辺だけだ」
「箱入りで育った貴族の娘とはまた違う健康的で凛としたお姿でありながら、品もある女性ですから男女関係なく惹かれてしまうのも当然ですわ。お兄さまに散々懸想していたセリーナ様だって、あっという間にシェリル様に心を開かれて……」
「ああ、まさかあんなにもあっさり僕そっちのけでシェリル嬢に懐くとは思わなかったよ。自惚れでなければ毎回顔を合わせるたびに僕の隣の座を他の令嬢と争っていたように見えたからね」
遠い目をしたパトリックに対して、アリシアはハンっと呆れたような溜息を大きくつきながら、薄笑いで肩を竦めた。この小生意気な様子をクラウスに見せてやりたい。この妹はおっとりとした箱入り娘に見えて、その実身内には言いたいことをはっきり言う方である。
「家の意向でお兄さまと親しくしようとしていた令嬢もあわよくば次期公爵夫人にと思う令嬢も一定数いらっしゃったとは思うけれど、そこそこ王子様っぽい殿方にただきゃあきゃあ言いたいだけの方も少なくありませんわ。
そんな方が女性特有の気遣いと困っている時に手を貸す行動力を兼ね備えたシェリル様に心奪われるのは当然です。
腕を組んでもはしたないと顔を顰められず、パートナーがいても安心して慕うことができる“かっこいい女性”というのは古今東西女性人気が高いのです。シェリル様はまさに理想のお姉さま……見掛け倒しの王子風朴念仁とは訳が違いますわ」
「待て、見掛け倒しって僕のことか!?」
パトリックの抗議をさらりと流し、本来静かに読書をすべき図書室という空間で、熱くなったアリシアは拳を握りながら淑女らしからぬ声量で語り出した。尤も公共の図書館と違い家族や使用人以外は利用しないので、周りに迷惑がかかることもないのだけれど。
「それでいて、シェリル様は決して男性的な人ではありませんから……今までは余り王都の社交には顔を出していなかったそうですけれど今後は懸想する殿方も多く現れる可能性がありますわ。
先日の夜会だって、シェリル様と旧知の間柄だという伯爵子息がいらっしゃったではありませんか。鍛え抜かれた立派な体躯と精悍な顔立ち、更には幼馴染故の気安さ……。
実用性ゼロの所詮ファッション筋肉のお兄さまなんてひと捻りですわよ」
「ファッション筋肉って何だよ」
「お兄さまはきちんとシェリル様のお心をつなぎ留めなければなりません! いくらシェリル様が責任感も分別もある女性とはいえ……幼馴染の絆というのは、時として鋼より強い事もあるものなのです」
ぽ、と染まった頬に手を当てる妹をパトリックは冷めた目で見つめた。どうせクラウスのことでも考えているのだろう。最近まで盛大に片思いを拗らせあっていたくせに鋼の絆とは一体、とか。自分が実用性のないファッション筋肉とやらだったとして、アリシアの愛する婚約者殿も体格は自分と似たり寄ったりだ、とか。言いたいことは色々あるが、ここで余計なことを言っても二倍三倍になって返されて面倒なことになることは明白なので、アリシアの言葉に渋々頷くしかない。
シェリルが旧知の間柄の青年になびくとも思っていないが、植物園デートは花にまつわるうんちくを知らない自分には少々ハードルが高いのも事実であり、観劇以外に良さそうな行先もすぐには思いつきそうになかったので。
決して悪い娘ではないのだが、熱くなると少々面倒な妹とのやりとりを思い出して溜息をつく。シェリルに行先を告げた時、「富裕層向けの劇場で観劇はしたことがない」と少々不安そうな表情をされたときは選択を誤ったかと少々冷やりとしたが、食い入るように舞台を見つめる様子からして楽しんでくれているようだ。個室のようになっているボックスシートで、他者の目を気にせずに観劇できる点も彼女の緊張を解したようだった。
(まあ、楽しんでいるならばいいか)
劇中はちょうど、姫に横恋慕する高位貴族の手先である悪漢をヒーロー役の騎士が叩きのめすところ。
パトリックは知らない話ではあるが妹はハッピーエンドと言ってたし、この後助けられた姫と騎士は愛を語らい幕を閉じるのだろう。ありきたりと言えばそれまでであるが、わかりやすいからこそ広く親しまれるという理屈もわかる。
*****
「お誘いいただきありがとうございました」
「こちらこそ、誘いを受けてくれてありがとう」
観劇が終わり、カフェで一息ついたところでシェリルがにこやかに礼を言う。表情からして今回の観劇は悪いものではなかったようだ。少々おせっかいな妹に感謝しなくもない。
「ただ、シェリル嬢は既に知っている話だっただろうから飽きた物ではないか少々不安だったんだ」
「確かに、幼い頃に市井の屋外劇場で小さな劇団が演じていたのを見た事があったのですが、本日見たものは観客の層が異なる為か同じ話でもやはり趣が異なっていてとても楽しめました。
衣装などもとても豪華ですし、台詞回しも私が昔見たものよりも品があって、話の大筋は同じなのに初めて見るような感覚でした」
シェリルがにこりと微笑む様子を見て、満足したパトリックは、豊かな香りのコーヒーで喉を潤す。「デートで行くなら休憩はここ」と妹が強く進めてきたカフェは女性が過ごしやすいよう内装が明るく甘味も多く取り扱っているので、雰囲気重視だろうとコーヒーの味には余り期待していなかったのだが香りも味も悪くはなかった。
「私は滅多に王都に来る機会はありませんから、まさかこちらにも隣国の文化が届いているとは思いませんでした」
「そうだね、今では貿易も盛んな国の一つだから、最近では王都でも隣国風の飲食店や劇団の巡業も見かけるよ。恥ずかしながら私は余り向こうの文化に詳しくないのだけれど、辺境領は貿易の窓口なわけだしシェリル嬢にとっては結構馴染みがあるのかな」
「はい。終戦以降の移民もいますから。私の地元には、娯楽以外にも料理や衣服など隣国風のものを扱うお店を集めた通りもありますので、結構身近なものとして育ちました」
「そうなんだ。辺境伯領の市街地には行った事がないから一度見てみたいな」
「はい、その時は是非ご案内させてください。……もしかしたら父が張り切って案内役を買って出るかもしれませんが」
張り切る辺境伯の姿を想像したシェリルが笑みをこぼすが、少々それはご勘弁願いたいと内心冷や汗を流す。威厳たっぷりの辺境伯と二人で馬車に乗って街を回る自分を想像すると居た堪れない。悪い人とは思わないがパトリックは武人然とした人物に馴染みがないうえ、義父となる人と思うと緊張もひとしおである。
「ああそうだ、辺境伯領には行った事がないけれどその近くなら子供の頃に避暑として滞在した事があるよ。小さい街で異国情緒はなかったけれど、森と湖が美しいところだった。ルーエという街なんだけれど……」
話を変えるようにパトリックは過去一度だけ滞在した街のことを話題に挙げた。王都からはかなり北方に行ったところで、辺境領まではいかないがかなり近かったはずだ。誰の領地か思い出そうと記憶を辿っていると、シェリルはやや気まずそうに瞳を伏せた。
「ルーエはラングロワ家が治める領地です。……先日紹介した、セザールの生家の」




