4
夜会会場は煌々と照明が輝きあちらこちらが豪奢に飾り付けられていた。広い空間に楽師が奏でる軽やかな音楽が反響し大輪の花のようなドレスがそこかしこで揺れている。
侯爵家の使用人がパトリックとシェリルの名を読み上げて入場を知らせると同時に紳士淑女がぴたりと会話をやめて、視線が出入り口に集中した。
今まで婚約者不在で、母か妹しかエスコートをしたことがないパトリックが初めて身内以外の女性と連名で入場したのだ。ここ最近では、次期公爵を射止めるのはどこのご令嬢かと下世話な予測も飛び交っていた。
ある程度視線を集めることに慣れているパトリックと違い、社交慣れしていないパートナーが怖気づいているのではと心配しちらりと様子を窺うが、彼女は悠然と前を向いていた。
「驚いた。シェリル嬢は殆ど社交界に出ていないときいたけれど、随分と落ち着いているんだね」
「領主の娘として人前に立つこと自体は慣れておりますから。……ただ、夜会などは年に数回も出ていませんので、お恥ずかしながら人の名前と顔はあまり一致しておらず」
そう言いながらシェリルは少々決まりが悪そうな表情をするが、その程度は想定内だったパトリックは安心させるように微笑んだ。
「追々覚えていけば大丈夫だよ。今夜は私の隣で適当に相槌を打つだけでいい」
「愛しい婚約者を守るのも紳士の務めさ。って?」
「……ダニエル!」
突然割り込んできた声に振り向けば、よく見知った男がひらひらと手を振っていた。友人の一人である彼は、今夜の主催である侯爵家三男だ。
「ようこそ、親愛なる我が友よ」
「ああ、今夜はお招き感謝する。……というよりも主催側がふらふらしていてもいいのか?」
「両親と兄上がしっかりやってるよ。三男坊なんて適当でいいのさ。それよりも、隣の美しいご令嬢を紹介してくれるかい?
招待客たちも、クリスフォード家の長男が連れている女性の正体が知りたくてうずうずしているようだ」
友人が肩を竦めながらちらりと周りを見渡すと、遠巻きに此方を伺っていた何人かがさっと視線を逸らして各々会話に興じている振りをしだす。
「レイノルズ辺境伯の息女、シェリル嬢だ。まだ婚約許可証の発行を申請したばかりだが、近いうちに正式に発表することになるだろう」
「お初にお目にかかります、シェリル・レイノルズと申します」
「パトリックの友人のダニエルです。コイツは基本的にはいい奴だけど無愛想なところがあるから、困ったことがあったらいつでも相談してください」
「誰が無愛想だ」
いけしゃあしゃあとそんなことを言いながらニコニコと笑みを浮かべる友人に思わず目を眇める。そんな気安いやりとりがおかしかったのか、シェリルはくすくすと笑った。
*****
主催である侯爵夫妻への挨拶の後、幾人か顔見知りの貴族との会話を終えて一息つこうとしたところ、真っすぐとこちらへ向かってくる人物の姿を見とめパトリックは思わず頬を引きつらせた。いつも真っ先にパトリックの元へ近寄ってくる令嬢の一人だ。
今夜は常にシェリルの傍にいたためいつものように言い寄ってくる令嬢は一人もいなかったのだが、此方を窺う視線は常に感じていた。あの様子では、こちらに向かってくる彼女もずっと話しかける機会を伺っていたのだろう。
「パトリック様! お久しぶりです。お会いしたかったわ」
「……お久しぶりです、セリーナ嬢。そう仰っていただけて光栄です」
「先ほど、可笑しな話を聞きましたの。パトリック様が、ご婚約されたって……」
近寄ってきた令嬢──セリーナが小首を傾げながらちらりとパトリックの隣に立つシェリルに視線を送る。一見すると、華奢でフォークよりも重い物など持ったことがない程可憐なセリーナだが、その中身は中々苛烈な女性であることをパトリックは知っている。
容姿に優れ、矜持も身分も高い彼女が他の令嬢に嫌味を言い放つ様を何度も目の前で見てきた。……あえて目の前で貶めることで、ライバルを蹴落としているのだろうが男の前で笑顔のまま舌戦を繰り広げるような女性を愛しく思えというのは些か無理がある。
明らかにこれまでパトリックを狙っていたセリーナが、隣にいるシェリルにどういう態度をとるかは想像に難くない。慌ててシェリルを後ろに庇うように体を割り込ませる。
「ええ、幸いにも先日婚約が決まりました。これからは二人で社交界に出ることが多くなると思いますので彼女共々よろしくお願いいたします」
本来貴族同士であればシェリルを紹介して彼女からも挨拶をさせるものだが、極力セリーナからシェリルに話しかける隙を与えたくなかったために簡単に紹介を済ませるだけに留める。
セリーナは、パトリックがシェリルを守るようにするのがまた気に食わなかったのか、忌々し気に柳眉を寄せた。
「……まあ。初めて見るお顔ですわね。どのような田舎から──きゃあ」
可憐な口から嫌味が出かけたところで、セリーナの身体が大きく傾いた。酔った男性がよろけた拍子にセリーナの背にぶつかったのだ。
慌ててパトリックが手を伸ばす前に、すっと横から腕が伸びて彼女の腰を支えた。
「お気を付けください。可憐なご令嬢が転倒してしまうところでしたよ」
「いやはや、これは失礼」
パトリックより先にセリーナの転倒を防いだのは、今までパトリックの後ろにいたはずのシェリルだった。女性にしては長身で体幹もしっかりしているためか、小柄なセリーナを支える姿には安定感がある。注意をされた男は、気まずげに頭をかくとそそくさと立ち去って行った。
「強くぶつかられたようですが、足をひねってはいませんか?」
「え、ええ……。大丈夫ですわ」
呆気にとられるパトリックをよそに、セリーナは先ほどまで睨みつけていた筈のシェリルの腕の中で、頬を染めている。怪我がないことを確認したシェリルは、安堵したように口元を緩めた。
「貴女にお怪我がなくて良かった」
「あ……ありがとうございます」
シェリルの腕の中でもじもじとしながら礼を言うセリーナ。シェリルは中性的な顔立ちではあるが、どこからどう見ても女性だ。……なぜセリーナは危機から救った王子様を見るような目でシェリルを見つめているのだろう。一部始終を見ていた淑女からも、感嘆の声が漏れる。
(……何だこれ)
婚約者がセリーナの嫌味を浴びせられなくて良かったと思う気持ちはある。ご令嬢を助ける咄嗟の判断も素晴らしいと思う。しかし、パトリックはなんとなく腑に落ちない気持ちになってしまった。
*****
それから暫く強引に居座ったセリーナと談笑をしているうちにセリーナはシェリルを「お姉さま」と呼ぶようになってしまった。シェリルが王都の社交に不慣れなことを打ち明けると、瞳を輝かせて「ぜひうちのお茶会にいらして」と申し出た。
シェリルがこちらを窺うように視線をよこしてきたので、パトリックは渋々と頷く。パトリックの方が身分は高いとはいえセリーナは有力な侯爵家の令嬢だ。特別な理由もないまま断るのは不可能ではないが今後のためにも受けて損はない。
女性の裏表はよく知っているし、送り出すことに不安がないわけではないがアリシアをフォロー役として付き添わせれば大きな問題は起こらないだろう。妹アリシアは決して頼りになるタイプではないが、流石に向こうも王家に連なる公爵令嬢を前にして将来身内となる予定の女性に無礼は働かない筈だ。
エスコート役の現侯爵が迎えに来て去っていくセリーナを見送ったあと、シェリルのグラスが空いていることに気付く。
「シェリル嬢。何か飲み物を取ってくるよ」
「いえ、ここは私が……」
「夜会でパートナーに尽くすのは紳士の務めだ。君は端で待っていて」
恐縮した表情を見せるシェリルを壁際に促す。社交に殆ど出ていないという彼女が不安にならないように、パトリックはシェリルの耳元で声を潜めながら告げる。
「あちらにいる紫のドレスを着た夫人と濃紺のクラバットを身に着けた紳士は見えるかい?」
「はい」
視線の先には、品の良い初老の夫婦が別の招待客と言葉を交わしている。会場にいる者すべてが相応の身分を持っているのだが、その中でも夫婦の威厳は群を抜いていた。
「うちと同格の現公爵夫妻だ。あの夫妻以外は、クリスフォード家より家格が低いから、知らない人に話しかけられたら無視をしていい。
すぐに戻ってくるけれど、しつこい奴がいたら私が無視をしていいと言ったと伝えれば大丈夫だ」
身分を笠に着た物言いに驚いたのか、彼女は目を瞬かせる。その様子を見てパトリックは肩を竦めた。
「名前でもなんでも使えるものは使う主義なんだ。後でいくらでもフォローは利くよ」
シェリルが壁際に寄ったことを確認した後、パトリックは足早に給仕の元へ向かう。パートナーを安心させるように無視をしていいとは言ったが、今まで婚約者のいない令嬢だった彼女は父親か付添人が傍にいない状況で夜会に立ったことはないだろう。なるべく一人にしたくはなかった。
見つけた給仕に声をかけ、彼女に渡す果実酒と自分用のワインを受け取る。シェリルがどれほど飲酒できるのかまだ知らないため、なるべく飲みやすく度数の低いものを選択した。追々彼女の好みも知っていかねばならない。
「お兄さま! やっと会えました」
寄り添うように歩きながら声をかけてきたのは、アリシアとクラウスだった。会場に着いてから何度か姿を見かけたが、どちらかが他の招待客と会話をしていたり距離が遠かったりと声をかけるタイミングが会わなかったのだ。
「未来のお義姉さまはどこにいらっしゃるんですか?わたくし、挨拶がしたいわ」
「そうだね。私も是非挨拶をして、気取った姿で婚約者をエスコートするパトリックを目の前で拝みたい」
目を煌めかせて紹介をねだる妹に乗るようにクラウスが言う。勿論彼女をきちんと紹介するつもりはあったのだが、好奇心を隠さない二人に思わずため息が漏れる。
「全く……何故僕の友人は揃いも揃って僕の婚約に興味津々なんだ」
今夜の夜会で何人もの友人が、シェリルのことを気にした様子で声をかけてきたことを思い出す。これまでも他の友人が婚約直後の女性を連れてきたことは幾度もあるが、今までは皆当たり障りなく挨拶をしていたのだが、今日の彼らはやたらと前のめりでシェリルのことを聞きたがった。
「そりゃあそうさ。仲間内で一番女性の視線を集めるくせに、浮いた話一つないお前が選んだ女性が気になるんだよ」
「僕が誰かと噂になんてなってみろ。あっという間に母に縁談を纏められてしまう」
年々令嬢を遠ざけるようになってく息子を嘆いていた母のことだ。少しでも特定の令嬢に興味がある振りをしたらこれ幸いと行動に移してしまうだろう。
挨拶をとせがむ友人と妹を連れ、パトリックはシェリルを待たせている壁際へと急ぐ。遠目でも、長身の彼女はよく目立つ。持ったグラスを傾けないように足を速めた所で、彼女が男性と会話をしていることに気が付いた。
踵の高い靴を履いているシェリルよりも更に頭一つ分は高い長身の男だ。紳士らしく盛装をしているので使用人ではなく招待客であることはわかるが、パトリックには見覚えのない男だった。
僅かに柳眉を寄せたところで、シェリルがこちらに気付き小さく手を挙げた。
「パトリック様、ありがとうございました」
「いいえ。シェリル嬢、お待たせいたしました。
──そちらは?」
果実酒の入ったグラスを渡しながら、シェリルと言葉を交わしていた紳士に顔を向ける。遠目でも長身な男だと思ったが、近くでみると更にその体格の良さがわかった。短く刈られた髪と僅かに日焼けした肌も相まって、中々の威圧感がある。衣服の上からでもわかるほど分厚い体から、彼が武官か何かであることがわかった。
どちらかと言うと机仕事をするようなパトリックの友人たちとは違ったタイプである。
「ラングロワ家の長男で、私の弟の友人のセザールです
セザール、こちらが私の婚約者のパトリック・クリスフォード様よ」
「セザール・ラングロワです。この度はおめでとうございます。幼馴染が婚約したと聞いて、祝いの言葉をかけていたところでして」
(……目が笑っていないぞ)
セザールと名乗る男は口角を上げて挨拶をしているため一見笑顔に見えるが、その奥の瞳は全く親しみが籠っていない。パトリックは頬が引きつりそうになるのを抑えて笑顔を作った。
「ご丁寧にありがとう。お陰様で、良縁に恵まれたと家族一同喜んでいるよ」
「それは良かった。シェリルは幼い頃からお転婆だったので、身内では公爵夫人が務まるのかと心配していたんですよ」
「ちょっとセザール! 余計な事を言わないで!
すみません、パトリック様。セザールのいう事はあまり気にしないでくださいね」
(身内ってなんだ? 何か気安くないか? 弟の友人ってそんな感じか?)
妹と自分の友人たちの関係を思い出しても、ある程度の親しみはあれどそこまで気安い関係ではないように思ったが、ずっと妹に思いを寄せて結局婚約者となった友人が面倒くさいことを皆知っていたことを考えると余り参考にはならなかった。
パトリックが思考を巡らせていると、後ろから袖口を僅かに引っ張られる。
「お兄さま、わたくしたちにも未来の家族となる方を紹介してくださいませ」
「あ、ああ。紹介が遅れてすまない、シェリル嬢にラングロワ殿。妹のアリシアと、その婚約者で僕の友人のクラウスだ」
後ろの二人を紹介すると、アリシアとクラウスも友好的な笑みを浮かべて挨拶をする。セザールも、先ほどパトリックに向けた目とは違いにこやかな笑顔で挨拶をしていた。
色恋沙汰にあまり興味のないパトリックでも、それがどういう意味を持つのかわかる。そして、僅かに眉尻を下げてこちらをちらちらと窺う妹の思考もなんとなくわかる。余計な心配をするなと家に帰ったら釘を刺しておかねばならない。




