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今日は、懇意にしている侯爵家で開かれる夜会である。パトリックは、先日の見合いからすぐ正式に婚約を結ぶこととなったシェリルを初めてエスコートをすることになった。
いつもの夜会であれば適当に髪を整え、それなりに見栄えのする服を適当に選ぶのだが初めて婚約者をエスコートするためいつもよりも念入りに準備をした。いつもであればそれなりの体面さえ繕えればそれでいいのだが、婚約者をエスコートするとあっては流石に恥をかかせるわけにはいかないと両親から強く言われているのである。
「まあ! お兄さまいつもよりも素敵だわ! まるで貴公子みたい」
準備を整えたパトリックが玄関ホールに向かうと、同じくホールに出ていた妹が手を叩いて絶賛する。いつもは素敵ではないような妹の物言いに、思わず渋面を作った。
「兄とは言え、他の男を褒めるとは妬けてしまうな」
「あら……クラウス様のほうが勿論素敵だわ」
妹を夜会のエスコートのために迎えにきていたクラウスが拗ねた声を出してアリシアの腰を抱き寄せると、アリシアは照れたように微笑んで答える。絵物語の貴公子のような大仰な仕草と蕩ける視線で妹を見つめる友人は、先日下町の安酒場で大口を開けて笑いながら樽ジョッキを傾けていた男と同一人物とは思えない。相変わらず頭の中がぽわぽわしている妹と、舞い上がったへたれな友人が甘々な空気を振りまき出したのを見せられてパトリックはげっそりとした。
「言ってくれるなアリシア。僕は普段から貴公子と言われて持てはやされている」
「パトリックはまるで王子様だもんな」
クラウスがパトリックを揶揄う。パトリックは、公爵家嫡男という立場と母譲りの金髪碧眼を指してよく「王子様のようだ」と令嬢たちから言われている。事あるごとに「王子様のよう」と言われることや王の甥という血筋からして王子に近いが王子ではないことから王子様もどきと笑った悪友は誰だったか。
「全くお前たちはうるさいな。約束の時間が近づいているから僕はもう出る。アリシアとクラウスも、遅くならないようにしろよ」
この空気に毒されないうちにさっさと逃げ出すに限ると、パトリックは屋敷を後にした。
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御者が馬車の外から辺境伯の邸宅への到着を知らせる。開かれた馬車からは、先日ぶりの重厚な邸宅が目に入った。
パトリックが馬車を降りると、来訪を察したのか辺境伯とその令嬢シェリルが邸から出てくるところだった。
先日は街歩き用の服装で顔合わせたシェリルは、当たり前だがドレスに身を包んでいる。初対面時は結い上げられていた黒髪は、今は緩く巻かれ右肩に流している。女性にしては高めの身長に、かかとの高い靴を履いているせいか男性の平均身長よりも少しだけ高めのパトリックでも拳一つ分しか変わらない。
「パトリック殿、ご足労ありがとうございます。本日は娘をよろしくお願いいたします」
シェリルの着飾った姿と先日の姿とのギャップに思わず息を止めていたパトリックは、辺境伯の挨拶を聞いて慌てて我に返る。
「美しいご令嬢をエスコートする名誉を賜ることができて幸いです。思わず見惚れてしまいました」
エスコートを褒めるのは紳士のマナーだと笑顔で美辞麗句を述べたパトリックに対し、シェリルは少々恥ずかし気にはにかんだ。
「残念ながら他のご令嬢のように可憐な出で立ちにはなれませんでしたが、そのようにお褒めの言葉をいただけて光栄です」
ここ最近未婚の若い令嬢たちの中では、華奢な身体を更に可愛らしく演出するふわりとしたパフスリーブの型が流行っているが今シェリルが身に着けているドレスは、ホルターネックのすっきりとしたデザインである。本人は華奢でないことを気にしている様子だが、腰は程よくほっそりとして見え逞しさは感じない。
貴族として流行を敏感に察知することは大切なことの一つではあるが、合わない流行物を身に着けるよりも本人が美しく見える装いをする方がずっと魅力的だとパトリックは思う。
「娘は数える程度しか社交に出た事がなく、拙い振舞いもあるかと思いますがご容赦いただけますよう」
「勿論、何かあれば私がフォローさせていただきますのでご安心ください」
パトリックの返答に、辺境伯は満足気な表情を浮かべたのちに隣に立つシェリルに向き直る。
「シェリル、パトリック殿によくお仕えし、有事の際にはしっかりとお守りするように」
「はい、父上。パトリック様には傷ひとつ付けさせません」
「い、いえ、本日は私がシェリル殿をお守りします」
使命に燃えた瞳で力強く頷き合う父娘を見てパトリックは慌てて守るのは自分の方だと主張する。エスコート相手の令嬢に守られる男など聞いたことがない。
「なんという勇ましいお言葉……! どうか、娘をよろしくお願いいたします」
「パトリック様……ありがとうございます。しかし、万一のときは是非とも私に背中をお預けください」
パトリックは、自身の言葉にいたく感動した様子の父娘に怖気づく。これから向かうのは戦場ではなくごく普通の夜会なのだ。夜会で紳士が令嬢を守るといえば、不埒な男を牽制するようなものであるが、この二人は物理的な何かを想像している気がしてならない。そもそも、パトリックは護身と体型維持のために多少身体を鍛えてはいるがあくまで嗜みの範囲だ。シェリルの実力は知らないが、この様子だとごろつきに絡まれたときに隙をついて逃げる程度の自分よりも強いのではないかと不安を抱く。
*****
この国は、若い令嬢であれば例え婚約者が相手であっても馬車のような密室で男性と2人きりにはならないが、シェリルのように貴族令嬢の結婚適齢期半ばの場合、親の意向によっては婚約者と2人で馬車に乗っても許される。ゆえに、夜会会場となる公爵邸へ向かう馬車の中にはパトリックとシェリルの2人だけが乗っていた。
「シェリル嬢。その……街中での件、ありがとうございました」
「覚えていてくださったのですね。私が勝手にしたことですから、お気になさらないでください」
「先日は辺境伯と母が同席した為言えず、お礼が遅れて申し訳ございません」
財布を掏られ、シェリルに取り返してもらったときは飲酒をした直後だった。あの場で下手に話しに出せば母の怒りを再燃させる気がしてお礼が言えなかったのだ。
保身に走り礼が遅れたことを咎める様子もなくシェリルは少し悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「私も、父にお転婆を咎められることを危惧して初対面のふりをいたしましたので、お互い様です」
シェリルはそう言うが、辺境伯の様子からして、勇ましさと正義感ゆえの行動を誇りに思う方だろう。自分に気を使わせないための方便を冗談めかして言ってくれたのだとパトリックはすぐに察した。
まだ顔を合わせたのは二度目──街で会ったのを含めても三度目で、個人的な言葉を多く交わしたわけでもない。互いに愛だの恋だのを育むほどの時間は経っていないが、好ましい人柄であることはわかる。
生まれは申し分なく、性格は驕ったところや浮かされたところもなく誠実であることは辺境伯の様子を見れば明らかだ。高めの身長に鍛えているせいか普通の令嬢のような華奢さはないが、決して男性的なわけでなく女性的な品の良さを感じられるのは元王宮騎士の辺境伯夫人の教育の賜物だろうか。唯一の難点は本人の自己申告にもある、社交に不慣れなことかもしれないが、それも必要であれば自分や母のサポートでどうにかなる程度だろう。
結婚するのであれば信頼でき共に公爵家を支えていける女性が良いとは思っていたが、なるほど母の人選には感嘆の溜息が漏れそうになる。
カタカタと僅かに揺れながら、馬車は夜会会場となる某侯爵家への道を進む。家を出る時には街を赤く染めていた太陽は、いつの間にか姿を隠し空はぼんやりと薄紫色に染まっていた。
シェリルが社交に不慣れだというのであれば、予め伝えておいておかなければならないことがある。
「私は身内のエスコートしかしたことがなく……身内以外の女性をエスコートするのは今日が初めてとなります」
パトリックが口を開くと、シェリルはひとつ頷き話の先を促した。
「私の家格ゆえに、次期公爵夫人の座を求める女性は少なくなく……。貴女に不快な思いをさせる女性が出てこないとも限りません」
言っていて、パトリックは段々と恥ずかしくなってきた。令嬢たちに言い寄られてきたのは事実ではあるのだが、これでは「自分はモテてきたから嫉妬されるかもしれないよ」と言っているようなものである。要約するとまさにそうなのだけれど。
しかし、シェリルはそんなパトリックの様子を気にすることもなく心得ていると頷いた。
「大丈夫です。上手く躱せるかはわかりませんが、お話を頂いたときから私を良く思わない女性もいらっしゃることは判っていました」
「ありがとう。極力傍にいるようにするけれど、もし何か嫌な思いをしたときは遠慮せずに言ってほしい」
必ず守るから、と付け足すことは何故か気恥ずかしくてできなかったが、パトリックが含んだ意味を察したシェリルは、少し嬉しそうに顔を綻ばせた。
カタン、と少し強く揺れたのちに2人を乗せた馬車が止まる。御者の声が侯爵邸への到着を告げた。




