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「全く! これから先方のお嬢さまと会うというのに、お酒を飲んでくるだなんて……」
「さすがにいつもほどは飲まなかったのだからいいじゃないですか。今はもう匂いも残っていないでしょう?」
見合い相手の邸宅へ向かう馬車の中、ずっとぐちぐちと文句を言う母に対してパトリックはおざなりに返事をする。
控えめに酒をたしなんでいたつもりが、帰宅早々に母に飲酒を見咎められて結局大目玉を食らったのだ。せめて湯浴みの後であれば服や髪についた飲食店特有の匂いが消せたというのに、玄関ホールでかち合うとは運が悪い。
最初は反省のポーズをとっていたパトリックも、膝を突き合わせるほど狭い馬車の中で母の小言を聞かされ続けて少々うんざりとしてしまう。元々、半ば無理矢理セッティングされた見合いなのだ。ただでさえ気乗りしないというのに、どんどんと気分が下降する。
「大体、僕はこのお見合い自体嫌だったんです。いくらアリシアの結婚が決まったとはいえ、僕の歳で婚約が決まっていないのは別に珍しいことじゃないのに」
「自分でお相手を見つけられるようなら、私も旦那様も何も言わなかったわ。だというのに、貴方は夜会に出てもすぐにシガールームに籠って女性と交流の一つもしようとしないじゃない」
母の物言いにパトリックは眉間に皺を寄せる。パトリックだって、相性の良さそうな女性がいれば親しくなりたいと思っていた。しかし、夜会のたびに我先にと自身に群がり女性同士で嫌味の応酬をする様を見せられ続けたらそんな気も起きなくなってしまう。ライバルを蹴落としたい気持ちはわからなくもないが、男の前で他の女性をやりこめるような女性に惹かれようがない。
「安心してちょうだい。貴方が挙げた好みのタイプにぴったり合うお嬢様を旦那様が見つけてくださったのよ」
「僕の好みを母上にお伝えした記憶などないのですが」
仲間内では、どんな女性に魅力を感じるかという話しをすることもあるが両親と浮かれた話しをした記憶は一切ない。一体どんな女性を選んだというのかわからずパトリックは首を傾げる。
「思慮深くて、他の女性の嫉妬に心折れない程度に強くて、傲慢でない女性が良いと言ったでしょう?」
「んん……? 言ったような言わなかったような……わからないな。一体どこの令嬢なのですか?」
「だいたい、釣り書きだって部屋に届けたでしょう? まさか、全く目を通していないの?」
「乗り気でないので興味が全く湧きませんでした」
「……呆れた! どうか、先方に失礼だけはないようにしてちょうだいね」
釣り書きが届けられたことすら気が付かなかった。どちらにしても、釣り書きに目を通そうが通すまいがこの見合いからは逃げられないのだ。多分釣り書きに気付いたところで見ようとは思わなかっただろう。
馬車という密室の中で母の説教を聞かされ20分ほど。パトリックが疲弊しはじめた頃に、カタンと音を立てて馬車が止まる。公爵邸からそう離れたところではないようだ。
母をエスコートして馬車から降りると、目の前には重厚な作りの邸が建っていた。結局家名は聞いていないが、それなりの名家であることが建物から伺える。
「クリスフォード夫人とご子息でございますね。お待ちしておりました」
馬車を降りてすぐ、家令と思しき老齢の男性が恭しく頭を下げる。特に待たされることはなくすぐに邸内に通された。
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(何かものすごく……視線が痛い)
妙な緊張感が応接室を支配していた。
質の良い革張りのソファ、壁際には品の良い調度品が誂えられ、大きな窓から柔らかく日差しが入り、客人を招くのに相応しい部屋であるが、目の前に座る男のせいでパトリックは落ち着くことができない。
この屋敷の主レイノルズ辺境伯を名乗る男性は、数十年前まで関係の悪かった隣国との国境を守る辺境伯領の当主であり、猛々しい武人のような風貌をしている。鋭い目つきに太めの眉の間には深い皺が刻まれている。上背もあり分厚い身体は、歴戦の猛者と言われても納得できるほどの威圧感だ。パトリックの周りにいる友人たちは肉体を鍛えるよりも頭脳派の者が多く、武人肌の人間は殆どいない。
母にとっては顔見知りのようで、親しい者に向ける笑顔で話しかけているが先方は「ええ」か「いえ」としか答えていない。全く気にした素振りのない母の様子からして、元々口下手な者であるのだろうが先ほどからじっと見られているパトリックとしてはどうにも居心地が悪い。一挙一動を見られていると思っては、目の前に置かれた紅茶に手を出すことすら憚られる気持ちになってしまう。
家令の話によると、見合い相手の令嬢は出かけた先で少々トラブルに見舞われ戻るのが遅れているらしい。令嬢との顔合わせを憂鬱に思っていたパトリックですら、今の時間から解放されたいがために一刻も早い令嬢の訪れを心の底から待ち望んでいる。
「お嬢様の準備が整いました」
ノックの音がした後、家令の落ち着いた声が応接室に落ちる。借りてきた猫のように萎縮していたパトリックにとっては、家令の声が天の助けのように感じられた。うむ、という辺境伯の短い返答の後に、ゆっくりと応接室の扉が開く。
「遅れまして申し訳ございません。レイノルズ辺境伯が娘、シェリルと申します」
娘の姿を確認したパトリックは驚きに目を見開いた。
入ってきた娘が丁寧に頭を下げる。その娘は、貴族令嬢が着るドレスではなく男性のような恰好をしており挨拶をする姿も淑女というよりもまるで紳士のようだ。
しかしパトリックが驚いたのは娘の恰好に、ではない。彼女は、先ほど街歩きをしていたときに掏られたパトリックの財布を取り戻してくれた女性だったのだ。
「シェリル! そのような恰好で客人の前に出るとは失礼だろう!」
なんと声をかけるべきか躊躇している間に、辺境伯のバリトンボイスが部屋に響きパトリックはビクリと肩を揺らす。
「父上一人に客人のお相手をさせる方が失礼と判断いたしました」
情けない反応をしたパトリックをよそに、シェリルと呼ばれた彼女はしれっと辺境伯に言い返す。
「私一人でも客人のお相手に不足はない!」
「不足がなかったとは思えませんけれど?」
「む、むう。もとはと言えばお前が遅れるのが──」
「まあまあ、落ち着きになって。私たちは別に気にしていなくてよ」
屈強な父娘の言い合いを、パトリックの母は一言で治めた。外見は全く似ていないが、揃って気まずそうな表情を作る2人の仕草はやはり親子だった。全く動じない母を見て、そういえばこの人は元王女だったなとパトリックは妙に納得してしまう。
「……社交から離れている無骨者故、見苦しい振舞いをしてしまい申し訳ございません」
「大丈夫よ。それよりも、シェリルさんは若い頃のクレアそっくりね。懐かしいわ」
「ありがとうございます。母からも、王女殿下にお仕えしていた頃の事を良く聞かせていただきました」
「まあ。なんだか恥ずかしいわ。きっとお転婆王女だった、なんて言われているのでしょうね」
母は辺境伯と知り合いというよりも、辺境伯夫人と旧知の仲だったようだ。その繋がりを聞いたことがなかったパトリックは、母に目を向ける。視線を察した母が、当時のことを振り返るように口を開いた。
「クレアは私の騎士だったのよ。一生私に仕えると言ってくれていたのだけれど、辺境伯が熱烈に求婚をして、結局私の降嫁後に求婚に頷いたの」
「ひ、姫様……」
「まあ、辺境伯ったら。こんなおばさんに姫様はないでしょう」
眉間の皺を更に深くして、辺境伯が狼狽える。パトリックから見ると恐ろしい顔立ちを更に恐ろしくしたように見えるが、ころころと笑いながら揶揄う母の様子からして照れているだけなのだろう。
「このお話を受けてくれて嬉しいわ。シェリルさんも着いたことだし、改めて紹介するわね」
「パトリック・クリスフォードです。この度は貴重な機会をいただきありがとうございます」
母に促されたパトリックは、立ち上がって定型文の礼を述べる。いくら個人的には見合いに難色を示していても、それを相手に察されるような無作法をするつもりはなかった。
「私も娘も、領地から出てくることは多くはございません。王都の令嬢のように洗練された美しさはございませんが、心根は悪くない子ですので、良くしていただけたらと思います」
一見すると恐ろしいばかりの辺境伯ではあるが、娘の幸せを願いながら頭を下げるその姿から悪い人ではないことが伺えた。少々表情に乏しく、威圧感のある辺境伯の姿に慣れることができるかはわからないが。
「こちらこそ、シェリルさんがパトリックのお嫁さんになってくれたら、本当に嬉しく思うわ。
是非、この子と仲良くしてちょうだいね」
「ありがとうございます。母からは一通りの教育を受けておりますが、辺境と王都の作法では違いも多く、至らないところもあるかと思いますがご鞭撻をお願いいたします」
屈強な辺境伯に対して物怖じしない母と、はきはきとしながら愛想のよいシェリルのお陰でこの場には穏やかな空気が流れる。多分、パトリックと辺境伯の2人だけであれば気まずい空気がその場を支配して終わっただろう。
「ふふ。まるでクレアの若い頃を見ているみたいだわ。クレアは元気にしていて?」
「はい。父が王都に出ている時などは女主人として領地を守っております」
「まあ。そうね、クレアだったらきっと立派な辺境伯夫人をしているのでしょうね」
「ええ。先日も、街道に盗賊が出たと聞き私兵を率いてすぐさま無力化しておりました」
盗賊討伐は女主人の仕事ではない。そう思ってもこの場で突っ込む勇気はパトリックにはなかった。母と辺境伯の様子からして、違和感を感じたのはどうやらパトリックだけのようである。
パトリックが正面を向くと、視線に気が付いたシェリルがにこりと微笑む。辺境伯夫人の盗賊討伐を聞いて抱いた少々の不安は、シェリルの微笑みを見て霧散した。今この場では貴族令嬢とは言い難い服装をしているが、よく手入れがされているであろう艶やかな黒髪と穏やかな表情だけを見れば立派な令嬢である。王都の夜会に集まる今にも折れそうなほど華奢な令嬢とは違い、しなやかでありながら健康的な体躯で姿勢も良い彼女は、ドレスを着たらさぞ周りの目を惹くだろう。
夜会で群がる令嬢のように媚びた様子もなく、真面目そうな彼女であれば、きっと大丈夫。良い関係が築けるだろう。そう思うと気持ちも少し上向きになれた。
「シェリル嬢。私も若輩者故に、至らないことは多々あるかと思いますがこれからよろしくお願いいたします」
「有難きお言葉です。婚約が成った暁には、レイノルズ家で培った物を以て、何があろうとパトリック様をお守りいたします」
──それ、なんか違う。
穏やかに微笑む母と満足気に頷く辺境伯の前に、パトリックは頬を引きつらせつつ微笑み返すことしかできなかった。




