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 自室のベッドの上でダリアはぼんやりと考える。ラディムの本音。正妃を迎えない理由。


(身分肩書きにとらわれず、ただ愛した人を傍に置きたい、か)


 それは普通の人なら至極普通な願いで、当たり前の考えだ。けれどラディムは一国を背負う国王陛下。貴族や政務官達は彼に相応しい身分、教養、容姿を揃えた女性を妃にと望むだろう。今はただ妾妃として後宮に居る妃達も、いずれは正妃にと期待を寄せているに違いない。


(私は後宮管理人だもの。お妃様方を蔑ろには出来ないし……でも陛下の仰る事も理解出来る)


 聞かなければ良かった。ラディムの部屋を訪ねたりしなければ良かった。そうすれば今こんなにダリアが悩む事など無かったのに。


(いや、私が悩む事でも無いんだろうけど……でも、お妃様の元を訪ねて下さいとは言いづらくなってしまったなあ)


 ごろりと寝返りを打てば、ラディムに掴まれた手が目に入った。今も熱が残っているみたいに、ちりちりと微かな痛みを感じる。


(……もう既に、そういう方がいらっしゃる?)


 だからこそ正妃を迎える事を拒み、妃達の部屋に近付かないのではないか。もう、心に決めた女性がいるのなら……。


「あああもう! 何で私が気にしなきゃいけないの! 私は真面目に自分の仕事をこなしたいだけなのに!! もう、もう、陛下の馬鹿野郎!!」


 上半身を起こして枕にボスッと一発拳を叩き込むと、若干落ち着いてきた。ストレス発散は適度に行うべきかもしれない。


(でもちょっと待って。もしも心に決めた女性が居ないのなら……お妃様方のどなたかを好きになってもらえばいいのでは……?)


 冷えてきた頭がそんな事を考え始める。妃達の誰かを好きになってもらえれば、特に問題なく進められるのではないだろうか。

 ラディムは押しの強い女性が苦手のようだから、それこそリーディエはどうだろう。


「そうよ、そうよね。リーディエ様をもう一度推してみようかしら。うん、そうしよう!」


 これは名案だと言わんばかりに拳を強く握り頷くと、急に眠気が襲ってきた。思った以上にラディムの言葉のせいで悩んでしまっていたらしい。

 明日改めて話をしに行こうと思いながら、ダリアはすうっと意識を手放した。


*****


 陛下の朝食は私が運びますと女官達に告げ、ダリアは長い廊下を歩いていた。カチャカチャと食器が立てる音が、静かな後宮内に響く。

 話す内容は決まっているものの、なんと切り出して良いのかまだ少し悩んでいた。いきなりリーディエを正妃に、と言ってもラディムが首を縦に振らない事は昨日確認済みだ。


(まずはリーディエ様の印象を尋ねてみようかな)


 急がば回れ。事を急いて失敗してしまうのは避けたい。ラディムは先日までリーディエの事をあまり気に留めていなかったようだし、二人はこの間初めてお互いを意識して言葉を交わしたばかりなのだ。


「よし」


 グッと表情を引き締め、ダリアは顔を上げた。もう目の前にラディムの部屋が見えている。しっかりしなければと気合いを入れ直し、扉を手の甲で叩いた。

 返事は無し。いつもならまだ寝ているのかと怒りながら扉を開ける所だが、今朝は違う。具合が良くなっていないのかもしれない。ふと不安になってそろりと扉を薄く開く。


「おはよう」


 頭上からいきなり声が降ってきてダリアはビクッと肩を跳ねさせた。慌てて視線を上げれば、珍しく既に着替えたラディムが笑顔で見下ろしている。


「お……おはようございます……」


 急に昨夜掴まれた時の事を思い出して声が揺れる。熱を帯びてくる頬が赤くなってやしないかと心配になって思わずプイとそっぽを向いた。


「け、今朝はお早いですね。具合はっ、大丈夫ですか?」

「ああ。ぐっすり眠ったせいか早く目を覚ましてしまってな」

「起きていらっしゃったならノックに返事をしてくださってもよろしいじゃないですか」

「何となく扉の向こうに居るのがダリアのような気がして。どんな風に反応するか少し見てみたくなったから」

「わわ私で実験するのはお止めください!!」


 それは、具合が悪かった自分をダリアが心配しているかどうか見てみたかったという事だろうか。いつもみたいに怒鳴りこんでくるのか否か、確かめてみたかったと。


「陛下が体調を崩されて心配しないような部下は、ここにはおりませんよ」


 模範解答だとダリア自身も思う。間違った事を言ったとは思わない。ダリアは勿論、女官達だってラディムが病気と知れば心配するのは当然だ。


「そうか」


 けれどラディムはほんの一瞬、見逃してしまいそうな程うっすらと表情を曇らせた。すぐに元のヘラヘラした笑顔に戻ってしまったので、幻でも見たかと思う程に。


「陛……」

「腹が減って辛かったんだ。助かった」


 ダリアの言葉を遮り、ラディムは朝食の乗ったトレイをひょいと奪い取ってしまう。何となくそれでタイミングがズレてしまい、ダリアは口をつぐんだ。

 空腹だったのは本当のようで、次から次へと料理を口に運んでいく。もうすっかり具合の良くなった様子に、思わず安堵の溜め息がこぼれた。


「ゆっくり召し上がってください。病み上がりなんですから」

「わかってる」

「今日も薬を飲んでくださいね。昨日処方された分がまだありますから」


 その言葉にラディムの動きがぴたりと止まる。まさかまた薬を飲みたくないと言い出すのではないかと、ダリアは慌てて釘を刺した。


「飲みたくない、は認めませんよ。昨日もちゃんと飲んだじゃないですか」


 しかしこの直後、ラディムは予想外の反応を見せる事になる。


「薬を飲んだ!? 俺が!?」


 心底驚いたように目を見開く姿に、ダリアは戸惑って首を傾げた。


「え、ええ。昨夜医者に診てもらった後、処方された薬を」

「医者?」

「もしかして……お、覚えてらっしゃらないのですか?」


 スプーンを口に突っ込んだままのラディムが首を縦に振る。確かに熱でぼんやりしていたし、あり得ない話では無い。

 だとすると、ダリアには確かめなければいけない事があった。


「陛下、昨日のお話は……」

「なんだ? 何か話したか? ……昨日お前が部屋に来た辺りからほとんど覚えていないんだ。朝起きたらベッドで寝てるし、水とタオルがテーブルに置いてあったからダリアが看病してくれたんだろうと思ったんだが」

「あ、えと、水とタオルは私が」

「だろう? せっかく訪ねてきたのに悪い事をしたな。何か用事があったんじゃないのか?」


 これは本気で覚えていない。苦いから嫌だと言っていた薬をちゃんと飲んだ事も、リーディエの話をした事も、ダリアの手を掴んで引き寄せた事も、自らの心の内を語った事も。すべてがすべて、ラディムの記憶に残らず霧散してしまった。


(なんか、悔しい)


 あんなに悩んだのに、悩ませた本人がなにひとつ覚えていないなんて。

 まだ掴まれた所が熱くて仕方ないのに、ラディムの中では何もなかった事になっているなんて。


(悔しい)


 胸の奥がいやにざわついてダリアは俯く。聞かなかった事にしてしまえばいいのだろうか。チャンスは今や己の手の内に。ダリアが望めば本当に何も無かった事にできてしまう。

 後宮管理人ならば、それが正解なのだろう。後宮管理人ならば。


「ダリア?」


 どうした、と優しい声で訊いてくるから。ただの後宮管理人である自分にさえ優しい人だから。

 ほだされる、という言い方は正しいだろうか。正解を選べなくなってしまう。彼が愛する人と生涯を添い遂げられるように願ってしまう。普通の、ありふれた幸せを祈ってしまう。

 無かった事には、出来ない。


「陛下、は……好意を寄せている女性がいらっしゃるのでしょうか」


 口から滑るようにこぼれた言葉は、ほとんど無意識の産物だった。言ってしまってからダリアは慌てて口を手で覆う。


(ち、違っ! そうじゃない! 昨日の話を説明しようと思ったのに!!)


 突然の質問と挙動不審なダリアの様子に、ラディムは戸惑って首を傾げた。


「ええと、それはどういう」

「違うんです! だからその、えっと、昨日、その……陛下がご自分で『自分が愛した女性を正妃にしたい』と仰って、だからその」


 もう少し簡潔に説明出来る人間だと思っていたが、自身を過剰評価していたようだ。ダリアは顔を真っ赤にして溜め息をつく。


「覚えてらっしゃらなくても、私は確かに聞きました。正妃を迎えない理由を。陛下の望んでいらっしゃる事を」


 心から愛した人を伴侶に迎えられたら、それはきっととても素敵な事だろう。


「でも、ちょっと意外でした。陛下がそういうロマンチックな想いを抱いていらっしゃったなんて……」

「まっ、待、て……! それ本当に俺が言ったのか? お前の幻覚幻聴でなく?」

「昨日の状態で幻覚幻聴に見舞われるとしたら陛下の方でしたよ。熱でぼんやりしてましたから」

「だ……っ、ああ? 嘘だろ……」


 何か言おうとしても言葉にならないのか、今度はラディムが口を手で覆ってしまった。次第に顔を赤くしていくのを、ダリアは目を丸くして見つめる。


「陛下が照れてる……」

「声に出すな」


 キッと睨まれても全然怖くなど無い。むしろそれもひっくるめて可愛く見えてしまって、ダリアは思わず口許を緩めた。


「恥ずかしいんですか」

「当たり前だろう!? 俺みたいなのが結婚に夢を持ってるとか普通引くだろう……」

「そんな事……驚きましたけど、考えてみたら普通の事なんですよね」


 それが許されるかどうかは別として。続けるべき言葉は口の中で曖昧に濁した。


「昨日は、リーディエ様のお部屋を訪ねてくださった事へのお礼を申し上げに参ったんです。ありがとうございました。とても喜んでいらっしゃいましたよ」


 これも大事な事だったと思い出し、昨夜と同じ言葉をもう一度繰り返す。ラディムの反応もほとんど同じ。小さく溜め息をついて「そうか」とだけ返した。

 これはもしや、ダリアがでしゃばっている事にうんざりしているという事だろうか。いちいち礼など言ってくるなよ鬱陶しい。見合いババアか。そんな台詞が頭の中に響いてダリアはしゅんと項垂れた。


「申し訳ありません……」

「な、何だ急に」

「私お節介ですよね。仕事だからといっていちいちお礼を申し上げるのもうざったいですよね」


 一瞬の沈黙の後、小さく噴き出すのが聞こえてダリアは顔を上げた。その頬がラディムの指にぎゅっとつままれる。


「ふぇっ、ひょっ、ひゃい……」

「今更そんなしおらしい事言われたら反応に困るだろ、バーカ」


 バカ!? と睨むダリアを見てラディムは更に笑う。


「まあ確かにお節介だし、ちょっとうざったい時もあるけど」

「!!」

「人の話は最後まで聞く。……そういうのもひっくるめてお前と接するのは楽しいから。別に謝る事じゃないよ」


 さっきまで照れて子供みたいだったのに、この変わりよう。まったくもって可愛くない。今度はダリアが顔を赤く染める番だった。

 その言葉はダリアが貰うべきものではないはずなのに。いつも通り「そういう事はお妃様にどうぞ」と言い返してやらなければいけないのに。

 まるで縫い付けられたかのように唇が開かない。声を出せばまた思わぬ事を言ってしまいそうで怖くなる。


(離して)


 優しくしないでほしい。触れないでほしい。笑いかけたりしないでほしい。全部全部、ダリアには受け取れないもの。

 妃達への、リーディエへの罪悪感が膨らんで胸が痛くなる。


「へ、へいひゃ……」


 何とかして逃れようとラディムの手を掴むが、触れ合う肌の感触に心臓がまた弾む。この間までなんともなかったのに、どうして今はこんなに何もかもが心を乱すのだろう。


「う、うう」

「……お節介。俺にリーディエを好きになれとでも言うつもりか?」

「!!」


 すぐそばで聞こえた声に、ダリアは肩を揺らす。


「お前は時々わかりやすいよなあ。……俺が言った事気にして、今居る妃達の中で俺が誰かを好きになれば万事解決、とか思っているんだろ」

「うっ」

「それで? リーディエなら良さそうだって?」

「……うう」


 無駄に鋭い国王陛下はニタリと唇の端を持ち上げてみせる。見抜かれてしまったのなら仕方ない。そもそも、聞かなかった事に出来るチャンスをふいにしたのは他でもないダリア自身なのだから。

 頬をつままれたままギッと睨むように目線を上げる。一瞬ラディムはキョトンとしたが、すぐに余裕のある笑みを浮かべて首を傾けた。


「答え合わせ」

「あひゃっへはふ。りーいえひゃふぁほほほほりょうおみょっへ」

「あー……いや、悪かった。もう一回」


 まともな言葉にならぬのも気にせず喋り続けようとするダリアを、ラディムの謝罪が遮る。そっと指が離れ、頬をひんやりとした空気が撫でた。


「どうぞ」

「……ゴホン。当たってます。リーディエ様の事をどう思っていらっしゃいますか?」


 見上げた目と見下ろした目がぶつかり、ぱちりと小さく火花を散らす。


「どう、とは?」

「印象をお聞きしております。……何かあるでしょう、可愛いとか、一緒にいると落ち着くとか」

「……まあ、おとなしいよな。あとお前に少し似てる」

「後半いりません。昨日も申し上げましたがもう一度言いますね? 素敵な方じゃないですか。控え目で、芯が強くて、ご自分の考えもちゃんと持っておられて」

「お前が気に入ってるんじゃないか」

「後宮管理人として見た結果です。で、いかがですか」


 喋りながらどうもおかしいと内心首を傾げるダリア。こんなに忙しく薦めるつもりは無かったはずなのに、気付けばラディムを急かしている。まるで何かから逃げるかのように。


「いえ、申し訳ありません。その、ゆっくりで構いませんので、お二人で過ごす時間を作られてはいかがでしょうか」

「……そうだなあ……」


 溜め息混じりに呟かれる言葉。もういっそお節介な性格を開き直ってしまえば楽なのかもしれない。

 そもそもこれは仕事だ。仕事なのだ。ダリアにとってはそれ以下でも以上でもない。


「ところでお前、約束忘れてるだろう」


 唐突にそう言われ、ぐるぐるとループしていた思考がバツンと打ち切られる。何の事を言っているのかすぐに理解できずに目を丸くしているダリアを見て、ラディムは意地悪そうに目を細めた。


「着飾ってみろと。交換条件だったはずだが」


 しばしの沈黙の後、ダリアの顔が血の気をなくした。


(わ……っ、忘れてたー!!)


 色々考える事がありすぎて弾き出されていた問題。ダリアにとっては結構な問題のはずなのだが。


「まずはそれな。ちゃんと果たしてもらったら、次のお願いは改めて考えてやろう」

「ず、ずる……」

「狡くないー。ちゃっかりスルーしようとしたお前の方が狡いだろ」

「本気で忘れてたんです! ……どうしてもやらなければいけ」

「ません」


 つんと言い放つ子供のような態度に奥歯を噛み締める。しかし一度約束した事を今更やりたくないと駄々をこねるダリアも十分子供っぽいので、文句など言えるはずもなかった。


「じゃ、そういう事で」


 にっこり笑ってみせたラディムはもうダリアの事など気にせず、残りの朝食を平らげていく。


「へ、陛下」

「約束果たさない内は話なんぞ聞かないからな」


 そっけなく突き放してちらりとダリアを一瞥し、国王陛下は眉間にシワを寄せて薬を口に含んだ。

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