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明治逢戀帖  作者:
第六章 華ニ似タ雪
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「謹啓。

 貴女が、僕の名前を伏せた方が良いというので敢えて「猫」とでも名乗ることにでもします。伊沙子さんのお兄様に問い詰められたら、路地の捨て猫が恩返しの手紙を寄越したとでも言い訳しておいて下さい。

 然し、先日の言い残した件。あの話の区切り方は如何か、と僕は思うのです。伊沙子さんは十七で短い生涯を終えるのだと断じましたが、僕は未来とは誰も知り得るものではなく神のみぞ知り得るものだと思っています。

 其の伊沙子さんがこの世に生まれ落ちた際に占った高名な占い師の話が、実際に本当であるなどと馬鹿げたことを考えるのはお止めになった方がいいと思うのです。貴女はこれから素晴らしい淑女になられ何不自由ない生活を送られる、此れでいいではありませんか。敬白」


「一筆申し上げます。伊沙子は先生のお話聞きたいのであって、お説教を聞きたいわけでないのです。かしこ」


「謹啓。

 真実であればこそ人の話は耳に痛いものです。老少不定とは言いますが来たるべき其の時を恐れて、貴女が日々怠慢な日々を過ごして居ては下谷の教師である僕も悲しいと思った故に筆を取りました。老輩の戯言とでも思っていただければ、貴女の耳も然程痛まないでしょう? 

 これだけでは何ですので、先日蕎麦屋にでも行った時の話をしましょうか。ぶらゝと近くを散歩していましたら如何にも旨そうな仕立ての暖簾を見つけまして、一寸入ってみることにしました。天麩羅蕎麦を―――と、人が来たので今日はここで失礼。敬白」


「お手紙拝見しました。本郷の猫は随分とお忙しい日々を送られているようで、伊沙子は羨ましい限りです。

 本日の帝都のお空は特に蒼く澄み渡り下谷を思わせるようでしたが、猫先生は見られたかしら?

 今日の授業はお琴にお花、欧語の時間は眠く何度も机に額をぶつけました。伊沙子は特に裁縫が苦手です。怒った先生が伊沙子を桂木と声荒げて呼ぶものだから、大声に驚いた下田さんが泣き出されて早くに帰っていきました。

 でもあの先生は云々――――――――(中略)

 最近、史郎お兄様が沢山の玩具を買ってきてお部屋に置いて行ってくれるのですが、伊沙子には少し幼過ぎると思うのです。お兄様にその件言っても「良いではないか」と取り合っても呉れません。伊沙子が大人であると思わせるには如何したらよいかしら? 猫先生なら良い案を思いつくのではないかと思って。かしこ」


「とり急ぎ申し上げます。猫先生、思いつかないのなら其れで良いのだから、せめて簡単な返事でも頂けると伊沙子は嬉しいです。ごめんくださいませ」


「謹啓。

 貴女に聞かれるまま考えてみたのですが、やはり僕には難しい問答のようです。漢文や欧語、歴史であれば僕もお手伝いできるのですが、人の心の機微というものは実に解釈が難しく殊の外厄介なのですね。

 僕の言葉で説明するのであれば大人と云うものは、他人と共に自分のことも信じることが出来る人、だと考えます。その定義で行くと、僕は子供なのだと云うことに成りますね。僕は他人は疎か自分のことを一番信用していないのですから。

 自分の行動を信用できる人間は行動に責任を持ち、確りと独りで立って居られるのではないでしょうか。恐らく伊沙子さんが云う大人の意味とは食い違って居ることはわかっています。僕はこう云う返事にしかどうも出来ないようなのです。敬白」


「お手紙拝見しました。先日の天麩羅蕎麦のことには全く触れられていないことについては、もう伊沙子は何も申し上げません。猫先生は然う云う方ですものね。

 然し乍ら、返事が戻ってくるのに一月もかかるのはどうなのかと思うのですけど猫先生はどうお考えかしら? 何も毎日の教訓を書け、と伊沙子は言っているのでは有りません。先生の日々のどうでも良いことをつらゝと書いて欲しいのです。其れが最近の伊沙子の愉しみなのです。

 仏蘭西製の化粧台の上には沢山の首飾りや、着物の本が置いてあります。本が欲しいと言うとお兄様は両手に抱えるほどの本を持ってきて呉れます。毎日のご飯も沢山食べて居ます。

 でも如何してなのかしらね。伊沙子の心には今何もないのです。

 猫先生、あの下谷の空は如何してあんなに澄み渡っていたのでしょうか。

 お返事お待ちしております。かしこ」


「急白。

 下谷のいつもの長屋町で子供たちに勉強を教えるお手伝いをしていただけませんか? 不一」


「お手紙拝見しました。お兄様にその旨、なんとなくお話してみたのですが取り合って貰えません。あのような場所に桂木の令嬢が行く等と激高して机を叩くものですから、早々に部屋から逃げ出した次第です。

 ですから、女学校の帰り道にそれとなく抜け出してみようと思うのですが、如何がかしら? 史郎お兄様も流石に門前で待ち構えることはしないと思うのです。上手く何処ぞの先生を丸め込んで、追加のお勉強が有ることにでもして貰おうかしら。

 猫先生、もう少し返事を待って下さいませ。かしこ」


「急白。

 決して無理はなさいませんよう。 不一」


「とり急ぎ申し上げます。上手く丸め込むことに成功致しました。先生の仰る、何とかも遣い様とはこう云うことを云うのかしらね。

 いつもの服装では問題が有りそうですから、先生には女性ものの着物を用意して頂きたくて。色は濃い目が良いわ、お顔の色が白く見えるのですって。ごめんくださいませ」

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