第33話 ムリゲー攻略開始!(ノープラン)
四戦神―――メルクリウスによる死刑宣告から三日が経った。
聖都は酷い有様だ。アルミリアの圧政に異議を唱える人は即座に捕縛され、連行されていく。
あたしも今日、カテドラルのセナリアに手紙を届けに行く途中で、何人か兵士に取り押さえられる人の姿を見た。
昨日まで親し気に喋っていた商人。
子供の前で引き剥がされる母親。
泣き叫ぶ幼子。怒鳴る老人。罰を恐れ、従うしかない兵士たち。
「お、俺は何も言ってねぇよ!!」
「う、うるさい! 聖都の反逆者め!!」
「お前たちの方が反逆者じゃないか! あんな暴君に従って! 聖都の盾が恥ずかしくないのか!!」
「オレたちだって、オレたちだって死にたくないんだ……! だから……頼むからもう黙ってくれ……!!」
冤罪もあった。
ただ少し、文句を口にしたのが兵士に聞かれただけの人の方が、今は多いかもしれない。
逆らう人は徐々に減っていった。
だって力がないから。
聖都の防衛の要である残火守をはじめ、カテドラルの兵士ですらアルミリアの指揮下にある。
守るための力が、聖都の盾が……今は民に刃を向けている。
見たことあるよ、この展開。
間違いない。デッドエンドその二、アルミリア処刑ルートのそれだ。
止めたかった。
ぶん殴ってでもアルミリアを止めたかった。
でも、この三日間。アルミリアは戦いの準備のために忙しく動き回っていて、声をかける余裕すらなくて―――
「まさか、こんなことになるとは……」
カテドラルの尖塔、上階の展望フロアで聖都を眼下に見下ろしながら、セナリアがふと呟いた。
彼女も、ここまで状況が悪化するとは予測できていなかったんだと思う。
柵の手すりを掴む手に力が込められて、かすかに震えていた。
「……っ、ごめん、あたしが余計なこと言わなければ」
あたしはただ、謝ることしかできなかった。
あの場で状況がさらに混乱したのは、せっかく安堵していた民衆の空気が変わったからだ。三千……その数字が持つ意味を、教えてしまったからだ。
謝って許されることじゃないのはわかっている。黙るべきだったと、後になって散々悔やんだ。
もしリセットできるのなら、あたしは一瞬も躊躇うことなくやり直す。
でもそれはできない。だってこれは現実なんだから。
セナリアはあたしの肩に手を置いて、聖女の、いつもの柔らかな笑みを取り繕った。
「カノンのせいではありません。あなたが真実を語らずとも、いずれもっと酷い形で知ることになっていたでしょう。ですから、どうか自分を責めないで」
肩に置かれたセナリアの手が、やっぱり僅かに震えている。
リーネとそっくりな琥珀の瞳が不安に揺れて、それでも毅然とした態度を、聖都の象徴であろうとする強がりが、その手から伝わってくる。
―――強いな、この子。
喉の奥で言葉を飲み込んだ。
強い、っていうのは、端的な評価で、セナリアの本質とは少し違う。
この三日間、彼女は一体何を見て、何を聞いて、どれだけ「笑顔」を貼り直したんだろう。
それを思うと、「強い」なんて単純な言葉で片付けてしまうのが、失礼に思えた。
「……セナリア。今、カテドラルの中はどうなってるの?」
あたしが聞くと、セナリアは一瞬だけ目を伏せた。
そして、展望フロアの白い床に、影みたいに落ちて反射した自分の顔を見つめる。
「混乱しています。神官も、兵士も、市民も……皆、疑心暗鬼です」
不安と、困惑に満ちた声。
「アルミリアは、何故変わってしまったのでしょう」
小さく呟くセナリアの声が震えていた。
「彼女は誰よりもこの聖都を愛し、人類の未来を憂いていました。決して圧政を、暴君となる道を選択するような方ではありません」
セナリアは自分の胸に手を当てて「信じてください」とあたしを見る。
その琥珀の瞳に、大粒の涙が浮かべられていた。
それでも彼女は泣かない。泣いてはいけないと、自分に言い聞かせるみたいに唇を噛む。
あぁ……ほんとに、この子は。
「……セナリア」
あたしは言葉を探して、でも見つからなくて、ただ名前だけを呼んだ。
「わたくしは……一刻も早く人々を安堵させたい、そう思っています」
セナリアはそう言って、また外の景色に目を向ける。
展望フロアから見下ろす街は、相変わらずの景色だ。
だけど今は、それがやけに冷たく見える。
通りのあちこちに、武装した兵士の列がある。
いつもの巡回じゃない。目が違う。獲物を探す目。
民の顔も違う。誰かの顔色を窺うそれだ。
聖都は、戦争の前に内側から死ぬんじゃないかって、そんな不安が、胸の奥で靄になった。
「ですが同時に……この戦が永久に終わらぬことを、願ってしまうのです」
セナリアは聖女らしからぬ感情を抱いた自分を嘲るように鼻で笑った。
「どうして」
あたしがそう聞くと、セナリアはそっとあたしを見てこう言った。
「非常時とはいえ、彼女の行為は決して許されることではありません。戦が終わり、平時が訪れれば、聖都はこの混乱を巻き起こした元凶を排除しようとするでしょう」
排除。
その単語が、胸の奥で鈍く、錆びた鈴のように鳴った。
「……セナリア。それって」
言いかけて、飲み込んだ。
言葉にしたら確定しちゃいそうで、怖かった。
ううん、わかっているんだ。
わかっているからこそ、それがただの杞憂であって欲しいんだ。
セナリアはゆっくり頷いた。
泣きそうな顔で、涙を拭って。
「恐怖が去った後、人々は安堵するために代償を求めます。罪を押しつけ、誰かを裁き、秩序を取り戻したという事実が、いずれ必要になる」
綺麗な声で、残酷なことを言うんだなって思った。
聖都を導く者として、彼女はもう、アルミリアを諦めようとしている。
「ですが……わたくしは、大切な友人を救いたいのです」
そう小さく言って、セナリアはあたしの左手を両手で掴んだ。
セナリアの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
もう、聖女の顔はなかった。ただ一人の、少女の願いだけがそこにあった。
「お願いします、カノン。どうかアルミリアを止めて、助けてください……」
セナリアの指先が、あたしの左手をぎゅっと掴んだまま震えていた。
冷たかった。でもその冷たさの中に、小さな、灯火のような温かさを感じた。
祈の聖女イルセナリアは、アルミリアを諦めたかもしれない。
だけどその中に残った、一人の少女の願いは……アルミリアが救われる未来を望んでいるんだ。
あたしは息を吸って―――小さく吐いた。
思わず貰い泣きしちゃいそうなくらい、目頭が熱かった。
「……わたくしは、祈の聖女です」
セナリアが、震える息を吐いた。
「民を導く立場であり、人々の信仰の象徴であり、この聖都に生きる彼らの希望でなければならない。ですがそれは逆に、わたくしは間違うことを許されない、ということです」
セナリアの瞳が大きく揺れた。
彼女もわかっているんだ。今彼女が抱く願いは間違いであり、決して許されることじゃないと。
「わたくしは、正しくあることしかできません。ですが正しさでは、アルミリアを救うことはできない。わたくしの言葉は……彼女には届かないのです」
正しい言葉。
それはたぶん「落ち着いてください」とか「恐れる必要はありません」みたいな、綺麗で―――誰も傷つけない、当たり障りのない言葉。
でも、そんな言葉じゃ届かない時がある。
誰かを救えない時もある。
「だから、わたくしは友として、アルミリアを……」
セナリアは自分の唇を噛んで、涙をこぼした。
「止められない……止めてあげたいのに、手を引いて差し上げたいのに……わたくしは動けない。動くことができない……っ。この矛盾に、一体、どれだけ耐えればいいのでしょうか」
綺麗な声で、弱音を吐いていた。
それがどれだけ勇気のいることなのか、あたしにはわからないけど。
あたしはそっと、セナリアの手を握り返した。
久しぶりに頭が痛んで、記憶の中のセナリアと、今の彼女が重なった。
傷だらけの手。目を覆う包帯。裂けた口元。歪な笑み。
この先に待つ、セナリアの未来。
あたしは世界も、リーネも……そして、みんなも救うって決めたから!
だから―――
「あたしに任せて。全部、なんとかするから」
そう言った瞬間、セナリアの指先の震えが少しだけ止まった。
止まった、というより―――その震えを無理やり押し殺した、って感じだけど。
「……ありがとうございます、カノン」
セナリアは涙を拭って、いつもの祈の聖女の顔に戻ろうとした。
笑顔を取り繕う才能が恐ろしい。さっきまで少女としての願いを、不安を口にしていたその顔が、一瞬で民のための聖女の仮面に切り替わる。
あぁ……やっちゃった。
一つ息を吐き、あたしは数秒前の自分の言動を、ひどく後悔した。
だってそうでしょ。
何のプランもないのにアルミリアの暴君化を止めるって、一体どうすりゃいいんですかって話だ。
どうすりゃいいのかな……わかんないや。
でも、動き出さなきゃいけないってことくらいは、わかる。
このままいけば、アルミリアの辿る道は確実に処刑ルートだ。
戦後。圧政によって民を強引にまとめた罪を償うために、アルミリアは人々の前で血を流す。
怒りに沸き立つ民衆。飛び交う悲鳴と怒号。
磔にされたアルミリアと、仮面を被った処刑人。
刃が首を落とすその瞬間まで、アルミリアは決して表情を変えなかった。
それが運命なのだと、受け入れていた。
ほんとうにふざけた性根だよね。
まるで自分が死ぬことすら計算のうち、みたいな顔で死ぬんだ。
そんなのさ……許せるわけないじゃん。
「最初、旧市街の前で、あたし言ったよね」
「―――えぇ、覚えています」
「そう。あたしが守りたいのはリーネだけじゃない。この世界も、リーネと同じくらい大切」
あたしは展望台の柵を強く握りしめ、もう片方の手を青空に突き出した。
「あたしが守る世界には、アルミリアもいなくちゃならないんだ」
言い切った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。
言葉にしたことで逃げ道が塞がれたけど、それがかえってこの先やるべきことを定めてくれている。
セナリアは小さく息を吸って、ゆっくり吐いた。
泣き跡の残る頬を指先で拭って、いつもの聖女の笑顔を作る。
「……カノン。やはりあなたは―――」
セナリアが言いかけた瞬間、左耳につけた耳飾り―――通信魔道具が、ひやりと冷えた。
続けて、切羽詰まったようなノアの声が聞こえてくる。
『カノン! 今すぐ戻ってきて!!』
「ノア? えっと、どしたの?」
耳飾りで繋がった向こう側から、ノアの躊躇うような息遣いが聞こえてくる。
一度鼻をすすり、ノアは珍しい勢いでこう言った。
『アルミリアが、倒れた……!』
「……ぇ」
小さく漏れ出たその声は、想像以上にひどく掠れていた。




