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第32話 詰みゲーの予感しかしません

 メルクリウスの蹂躙宣告と、アルミリアの暴君宣言から一晩経った。

 聖都は……戦争が控えているにしては、落ち着いているようにも見える。

 でもそれは、民衆の不満を力で抑え込んでいるだけに過ぎない。


 緋鋼街ひこうがい―――その中心にある紅鉄廠こうてつしょうで働く人々は大忙しだ。


 戦争が間近に迫っているのに、最前線に立つあたしたちができることは少ない。

 ただ戦いに備えて、英気を養うだけ。

 剣を振るう以外に、あたしができることなんてない。


 でも、ここの職人たちは違う。


「待たせた……これが、魔力砲の、稼働状況だ」


 奥の工房。

 高炉の熱と職人たちの声、金属を打つ甲高い音ばかりが響く中。

 全身をフルプレートで覆った工房の長、ギーザ・グレンフォージさんは、数枚の書類の束をアルミリアに手渡した。


 壁の上の魔力砲―――外からやってくる深淵の脅威に備えて設置された防衛火器の稼働状況を記した書類。

 古くからあるものらしくて、半分ほどは既に故障しているらしい。

 ずらっと並べられたリストの約半数が、黒く塗り潰されていた。


「……少ないな」

「古い設備。修復に取り掛かっても、動かせるのは、全体の六割ほどだろう」

「そうか」


 アルミリアが紙を捲ると、どれが動いてどれが動かないかがわかりやすく記された地図が最後にあった。


 六割の稼働率と言われて、楽観的にはなれない。

 ゲームでは敵は東側から進行してきた。でも、ぶっちゃけ乖離が起きてるから、その通りになるのかはわからない。

 そして……動く魔力砲は、結構西側に集中している。

 実際に役に立つのなんて、そのうちの三割もないだろう。


「八割―――いや、七割ほどにできないか?」

「無理だ。部品の製造が追いつかない」


 ギーザはきっぱりと言い切った。怠慢ではなく、職人の判断として。


「そうか―――」


 アルミリアの左手がぎゅっと握り締められ、痛みを堪えるみたいに、一瞬だけ顔をしかめる。

 右手でこめかみの辺りを押さえて、少し目を瞑った後、アルミリアはこう続ける。


「なら、東側を優先的に修理しろ。部品の不足は西側の砲を解体し、使えるものを流用して構わない。射角と射程から見て……この線から西の砲は捨てる」


 アルミリアは胸ポケットからペンを取り出すと、聖都を真っ二つにするように線を引いた。


「従えない。根拠がない。西側から敵が進軍する場合はどうする」

「いや、敵は東側に陣を敷く。西に戦力を割いたところで意味はない」

「何故だ。ヴァールゾルグが東にあるからか」

「いいや違う。我が父なら、ストルミオスなら必ずそうするからだ」


 ギーザがゆっくりとアルミリアを見た。

 鎧の隙間から覗き込む視線が鋭く細められている。


「……根拠が、薄い」


 工房の音に掻き消されそうなほど低い声が、空気の温度を一段落とす。


「根拠はそれで十分だ。私に従え、ギーザ・グレンフォージ」


 アルミリアの声の温度が一層落ちて、圧を帯びた。

 鋭い視線が鎧の大男を睨みつける。

 その命令に、ノーとは言えなかった。だって、彼だって命は惜しいから。


「わかった。従う」

「いいだろう。では、指示通り西側を捨て、東側に火力を集中させろ」

「むぅ……」


 低く唸るような声だった。

 口では従っていても、頭の中では納得してないと言いたげだった。



     ◇



 今までは堂々と大通りを歩いていた。

 リーネと二人で歩いた大通り。セナリアと監視を撒きながら駆けた大通り。魔竜を引きつけるために、必死で走った大通り。


 でも今は、すごく……肩身が狭くて窮屈だ。


 市民たちの目線が痛い。

 怯える人。怒りをあらわにする人。殺意すら向ける人。

 あたし一人なら、その中に哀れみとか、そういう感情も含まれてはいたんだけど、隣にアルミリアがいると、そういうわけにもいかない。


 すれ違う巡回中の兵士たちは、あたしたちを見つけると姿勢を正して敬礼してくれる。

 でもそれは敬意じゃない。あたしたちが怖いからだ。


 正確には、隣のアルミリアが怖いからだ。


「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 突然、叫び声と一緒に拳程度の石が飛んできた。

 アルミリアはノールックで石を掴み、それを投げた人物を睨んだ。


 子供だった。歳は……十歳くらいかな。

 それなのに……確かな怒りをあたしたちに向けている。


「お、お前っ! 何をやってんだよバカ! 死にたいのか!?」

「申し訳ございません、アルミリア様! どうかお許しを……!!」


 兄と姉かな。

 二人の市民が駆け寄ってきて、あたしたちの間に庇うように立った。

 青年は子供の肩を掴んで、少女は何度も深々と頭を下げる。


 アルミリアは左手を握り締めながら、ただそれを冷たく見ていた。

 少しだけ唇を噛みながら、声の温度を落とす。


「お前たちが、この者の親か?」


 青年と少女の顔が恐怖に歪む。

 周囲にいた市民の視線が一斉にアルミリアに集められる。


「ちがう!」


 誰も口答えなんてできない。そんな空気を、子供の一声が壊した。


「母ちゃんはいない、前に死んだ! 父ちゃんは仕事からまだ帰ってきてない!」

「そうか。ではそちらの二人は他人か」

「……兄です」


 唇を震わせながら、青年が呟いた。

 少女が青年を見る。

 似た顔つきからして、きっと彼女はこの子の姉だろう。


「なら貴様でいい。父の名を言え」


 アルミリアの声は底をつくみたいに低かった。

 怒鳴っていないから、余計に恐怖が与えられる。

 小柄な体格のはずなのに、はるかに大きな壁があるような圧に、周囲の空気が丸ごと支配される。


「ヴェ……ヴェルナー・クレイグ……です」


 その名前を聞いた瞬間、アルミリアが一瞬だけ目を見開いた。

 口の端を噛んで、目を伏せて、一言だけ返す。


「……そうか」


 アルミリアの左手が、痛みを堪えるみたいに握り締められた。

 少しだけ動いた表情に、悔しさが滲んでいた。


「すまなかった」


 誰にも聞こえないように呟いたその声は、隣に立つあたしの耳にだけ入ってきた。


 顔を上げると、アルミリアは演技じみた顔を浮かべて、大袈裟に笑ってみせた。


「気分が良いから見逃してやる。私の気まぐれに感謝するんだな。だが―――次はないぞ」


 そう低く言い放つと、アルミリアは特に裁きを下すことなくその場から立ち去ろうとする。


「ま、待ってください!」


 兄に呼び止められて、振り返る。


「ち、父は……父は、カテドラルの兵士でした。昨日の騒ぎから家に戻らなくて……父は、無事なのでしょうか……」


 アルミリアは眉間を押さえながら、深く息を吐いてこう言った。


「知らん、興味はない。私の気が変わらぬうちに失せろ」


 切り捨てるように言って、アルミリアは踵を返した。

 外套が揺れて、歩幅はいつも通り一定。迷いなんて一つもない、って顔をしている。


 でも―――違う。

 あたしは見た。

 さっき、あの子たちの父の名前を聞いた瞬間に、確かにアルミリアが動揺したのを。


「……っ」


 兄が何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。

 姉が子供の肩を抱き締めて、必死に頭を下げる。


「行くぞ」


 アルミリアが低く言う。

 あたしは一歩遅れて、家族の方を振り返った。


 十歳くらいの子供が、歯を食いしばってこっちを睨んでいる。

 昨日の今日で生まれたような恨みじゃない。


 あの子……母親がもう死んでいるって言ってた。

 もしかすると、五年前、旧市街が焼かれた一件の被害者なのかも。


「……ごめん」


 誰にも聞こえないように呟いて、あたしはアルミリアの背中を追った。



      ◇



 石畳を踏む音が、やけに響く。

 周囲にざわめきが、壁みたいに重たい。


 すれ違う市民が、あたしたちから顔を逸らす。

 中には唾を吐く奴もいた。怒鳴り声を上げる奴もいた。

 全員、周囲にいた兵士に捕まえられたけど。


「カノン」


 アルミリアが不意にあたしの名前を呼んだ。


「これを」


 足を止めないまま、アルミリアは懐から一枚の紙を取り出してあたしに手渡す。

 人名が書かれたリストだった。

 まだこの世界に来て間もないから、文字は全然読めないけど……名前だけ、ギリギリ読めた。

 並べられた名前の端っこに、赤と緑と、黒の印がそれぞれ書かれている。


 その中に、さっきの子供の父親の名前―――ヴェルナー・クレイグがあった。印は……黒。


「これは?」


 あたしがそう尋ねると、アルミリアは一つ息を吐き、淡々と説明する。


「昨日の儀式で警備に当たっていたカテドラルの兵士のリストだ。軽傷者は緑、重傷者は赤の印がついている」

「え、じゃあ……」


 黒は、どういう意味なの?

 ―――とは、聞けなかった。


 こうして見ると、昨日の戦闘がもたらした被害は、かなり大きなものなんだって思い知らされる。

 それだけに、守れなかった自分の無力を痛感する。


「黒は全て記憶しろ。私たちは、彼らの勇気に生かされているのだから」


 紙が急に、ずしりと重くなったような気がした。


「さっきの子たち……」


 声が勝手に掠れた。

 直接聞きたいのに、言葉がうまく形になってくれない。


 ヴェルナー・クレイグ―――黒。


 あぁ、だから兄が、帰って来ないって言ってたんだ。

 だから、アルミリアの目が一瞬だけ揺れたんだ。


 昨日の広場の、あの鎧の隙間から噴いた血。

 雷に撃ち抜かれて、倒れた兵士。

 戦いの裏で呻いていた声。


 全部が……ここにいる。


「……ごめんね」


 あたしがもっと強かったら……こんなことにはならなかったのかな。


 やっぱりダメだ。あたしに人の死は、重すぎるよ。


 目を瞑れば、今でもあの光景が蘇る。

 断界機ソルファリオの爆発に巻き込まれて、バラバラになったクレストリアの兵士たち。

 名前は知らないけど……でも、彼らにも生きていて欲しかったな。


 そして―――


「死ね! 聖都の裏切り者―――!!」


 悲しみに浸る暇もなく、意識が現実に戻される。

 左の路地から飛び出した一人の男が、刃物を持ってアルミリアに襲いかかろうとしていた。


 あたしも、アルミリアも、少しだけ反応が遅れた。

 ナイフの刃が突き出され、アルミリアは咄嗟に左手で防御する。


「っ……!」


 痛みに顔をしかめた。

 掌をナイフが突き抜けて、刃が裏側に貫通する。


「痴れ者が……っ!!」


 ナイフが刺さったままアルミリアは左手を勢いよく引いた。

 柄を掴んだまま体勢を崩した男の顔面に、右の拳が叩き込まれる。


「がッ」


 骨がひしゃげるような鈍い音。

 男の身体が横に吹っ飛んで、石畳を転がった。


 アルミリアは息を整え、左手に刺さったナイフを引き抜く。


 ―――血が、流れなかった。


「アルミリア!」


 あたしが駆け寄ろうとした瞬間、アルミリアは右の掌をこっちに向ける。


「来るな! 私に近付くな!!」


 アルミリアの声音が震えていた。

 痛み……じゃなくて、もっと別の何かに怯えているみたいに。


 アルミリアは懐から包帯を取り出して、左手の傷を覆い隠すように巻きつける。

 ただの止血―――じゃない。血は出てないんだから。

 それどころか、包帯が魔力を帯びて、黒い靄を押し込めるみたいに傷口を締め上げていく。


「カノン。奴を取り押さえろ」


 あたしにそう指示して、アルミリアは上着のポケットから一本の小瓶を手に取る。

 ノアの研究室で見たものと同じやつだ。


 口で栓を引き抜いて、一気に喉の奥に流し込む。

 喉が鳴った音が、やけに大きく聞こえた。


「……っ、ふぅ」


 アルミリアが一度だけ深く息を吐き、顔から苦悶を消す。

 さっきまでの汗と歪みが嘘みたいに、いつもの冷たい顔に戻っていく。


 男は一撃で意識を刈り取られて、気絶していた。

 兵士が駆け寄ってきて、男を取り囲む。

 市民が遠巻きに見ている。男を哀れむような視線が向けられる。


「逆らっても勝てるわけないのにな」


 誰かがぼそりと言った。

 ほんとうに、居心地が悪い。


「……行くぞ」


 子供の時とは違って、アルミリアは一度も男を見ることなく立ち上がり、膝についた砂を叩いて払う。


 左手は、包帯に覆われたまま。

 さっき見えた黒い靄は嘘みたいに消えていた。


「……アルミリア」

「どうした」

「さっきの手……大丈夫なの?」

「問題ない、気にするな」


 兵士たちが男を縛り上げている。

 顔面を殴られて歯が折れたらしく、口元が赤い。

 けど、誰も同情しない。むしろ、当然だと言わんばかりに冷たい。


 民衆の視線が刺さる。

 恐怖だ。

 アルミリアに逆らえばこうなる。

 そう、学習した目だった。


「カノン」


 アルミリアが小さくあたしを呼んだ。


「今見たことは、忘れろ」


 まただ……ノアの研究室の時と同じ言葉。

 二度目だから、余計に記憶に焼きついた。

 あたしが黙っていると、アルミリアが息をついて付け足した。


「命令だ。忘れろ」

「……わかったよ」


 返事をすると、アルミリアは何事もなかったように歩き出した。

 包帯に覆われた左手が、外套の陰で揺れる。


 忘れろと言われるたび、忘れられなくなる。

 薬の瓶。黒い靄。血が出ない傷。

 瞼の裏に焼きついて、消える気がしない。


 街の空気はもう戻らない。

 戦争に突入して、アルミリアは少しずつ削れていく。

 このまま行けば、待っているのはアルミリアの処刑だ。


 でも、それで世界が変わるわけじゃない。

 むしろアルミリアの死をきっかけにして、歯車がズレたみたいに狂い出して、あたしたちは追い詰められていく。


 そんな未来は変えなきゃって思っているのに、あたしには手が思いつかなかった。


 ほんとに、こういう時に限ってさ。

 あたしって……役立たずなんだよね。

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