第3話 やんごとなきお茶会
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施薬不動院のお山の麓には、施薬不動院の建築と時を同じくして俺が私財を投じて建てた施薬院がある。生活に困窮している貧民を金と飯で雇って、麻袋の土嚢で2メートルぐらいの壁を造るだけの簡単なお仕事だ。セメントでコーティングして継ぎ目のない壁にしたらチョットした騒ぎになったけどね。
壁の1辺の長さは約1キロ。貧民への仕事を創る過程で広がったのはご愛敬。今は技術を身につけた貧民いや壁職人を内裏内にある家の修繕に派遣している。施薬院の敷地は、大きく分けて6つのエリアがある。簡単な診療所がある建物エリア。植物油と茶葉を取るための椿エリア。今は白菜を植えている葉物エリア。今が成長真っ盛りの大麦エリア。菜の花が育つ花エリア。そして配給を配るための広場だ。
「まさかこんなに短い時間で施薬院が復興されるとは・・・」
立派な服を着た神経質そうなネズミ顔の小柄な男が感嘆の声をあげる。彼は代々施薬院使を務めていた丹波家の嫡流で、当代の典薬助(典薬寮のナンバー2)である丹波宗忠さん。当代の典薬頭である小森氏は手放した地位に未練はないが、行く末は気になっていたらしい。丹波宗忠さんを視察に送って来たのだ。
「あと暫くしたら診察所も開設できる予定ですので、そのときは医者の派遣をお願いします」
俺は丹波宗忠さんに視察を受け入れたのだから診療所で働く医者を斡旋をお願いする。
「要請承りました」
丹波宗忠さんは小さく頭を下げてくれた。
「では」
そう言って朱雀門の前で宗忠さんと別れる。朱雀門。施薬不動院の伽藍堂のときも思ったけど、富と権力を誇示するためか、建物が無駄にデカいよね。朱雀門をくぐり応天門から官吏が出入りする玄関口である朝堂院に入る。施薬院使。施薬院欧仙として大内裏に出勤である。
予定を伝えていたので、入るなり小姓がやって来て、宴の松原という広場に案内される。宴の松原は天皇がお住まいになる内裏の建て替え用地。なので西には内裏がある。
「よう来た。欧仙」
質素だが上物と判る着物を着た男が質素な椅子に座ったままチョイチョイと手招きする。男の前には大きな火鉢があり、これで暖を取っていたのだろうという事が判る。
「本日は御日柄も良く・・・」
「はは、そのような堅苦しい口調はよしてくれ」
男は笑って宴の松原の隅っこに建てられた小屋に俺を招く。小屋というか庵だな。差しで話しあう場として司箭院興仙さんが木工ゴーレムを使ってこっそり作ったらしい。この男は三条西実隆さんこと逍遙院さんの紹介で知己を得た。いや、そろそろ目を背けるのは止めようか。いちおう身分一切不問らしいし・・・
「今日はこちらを用意しました。内裏・・・知仁さま」
そう言って俺は、見た目は何もない空間、アイテムボックスから狸の茶釜を取り出す。いちおう俺の正体?は、逍遙院さんを通じて興仙さんという大仙人の友人の仙人という話が伝わっているので仙術を行使したと思われ、驚かれることはない。
「おお、これがあの茶釜か」
主上は嬉しそうに狸の茶釜をペタペタ触る。俺は一旦外に出てそこにあった火鉢を抱えて庵に戻り、庵の真ん中に据えて茶釜を火鉢にかける。なんというかお間抜け感が半端ない。お湯が沸くまでの間、ガラスの器やら周防(山口南東部)で焼かれた小皿や茶碗を出していく。
「いま我が領で造ってる茶器です。欲しいものがあれば、茶釜以外は都合します」
俺の都合するといった言葉に、主上は更に嬉しそうな顔をする。
「そうか。ではこれで幾ら都合がつくかな?」
主上は庵の隅にある棚に置かれた物凄い螺鈿の細工がされた文箱を持ってくる。かぱりと文箱を開けると、そこには20枚の短冊が鎮座していた。宸筆による短歌である。
「そうですな・・・」
思わず唸る。さすが日本の書流において宸翰様、後柏原院流の二代目の手による書である。素晴らしい。
「茶碗とガラスの器で如何でしょう」
主上の短歌に対する評価を告げる。
「それほどか?」
どうやら茶碗がそこそこお高いというのは知ってるらしい。
「そこは、もう少し何とかならんか?ですよ」
「うん?そうか?うん。もう少し何とかならんか、欧仙」
俺の提言に主上はぽんと膝を打って言いなおす。
「小皿を2つお付けいたしましょう」
「そうか。嬉しいぞ」
主上の笑顔が眩しい。
「寄付の礼に、宸筆(天皇の直筆)の書状を贈ると言えば武家の頭領どもは挙って寄付しましょう。なに毛利と尼子が率先して寄付いたしますゆえ心配はいりません」
そう。この時代の朝廷はとても窮乏を極め、先代の後柏原天皇は即位から20年後。史実の後奈良天皇も即位から10年後にようやく寄付金が集まって即位の儀を行ったほど金がなかった。今回の(一応)極秘のお茶会は、安芸(広島)の毛利氏を財政面で支えている俺に金策指南を乞う勉強会でもあった。




