第6話 茶会で広がる知りあいの和。和!
サンダルさま。無刃さま。け~らくさま正解です
越前(岐阜北西部を含む福井嶺北)朝倉氏の家臣を名乗る河合久徳さんが一振りの刀と手紙を携えてやって来た。手紙の差出人は朝倉太郎左衛門尉教景さん。「茶釜狸の京茶会」と呼ばれることになる茶会に呼んでもらったことへのお礼と、俺の鬼丸国綱は影打だと推測されるから京での普段使いにはするなという忠告。そして教景さんが愛用している太刀を贈るというものだった。
まず小太郎さんがあの朝倉宗滴だと知ってびっくり。そして贈られた太刀が粟田口吉光で更にびっくり。これ、後の一期一振だよね。茶会の礼としては最適というか何というか・・・細川藤孝には悪いがパクらせて貰おう。
1524年(大永4年)12月
- 京 建仁寺 -
建仁寺で毛利氏後援の炊き出し会が行われた。提供されるのは薄い味噌汁の中に短冊状に切られた唐芋。これに炊かれた稗や粟。あと色が付いた程度だけど煎茶も振舞う。そして飯を受け取る直前に病魔除けの呪いと称して腕にワクチンを接種していく。老若男女併せて2千人近い民にワクチン接種を施すことが出来た。
「もっと簡単に早くワクチン接種できんもんかのぉ」
司箭院興仙さんが物凄く大きな溜め息をついた。全く同感です・・・尚、1週間後に行われた東福寺での炊き出し会で5千人近い人間に押し寄せられスタッフ全員死んだ魚のようになったことを併記しておく。
炊き出し会の直後、逍遙院さんから第2回「茶釜狸の京茶会」の開催のお知らせとそれに伴う茶釜の貸し出し依頼が来た。第1回の茶会の評判を聞きつけた公卿や堺の商人からの嘆願が寄せられたためらしい。
茶釜を貸し出しするのは良いが、朝廷に献金することの口利きして欲しいとお願いする。更に唐芋の茶菓子提供を迫られたけど承諾。若狭(福井南部)にいる萩屋文左衛門に集積している唐芋と蕎麦と小麦を送ってもらうように指示を出す。
ついでに安芸(広島)、石見(島根西部)、出雲(島根東部)ではすでに流行っている蕎麦切と蕎麦湯。蕎麦湯は栄養豊富だし年末の年越し蕎麦と共に流行らせようと思う。
「蕎麦切を流行らせたいけど、どうすればいいですかね」
「切れやすい十割を悪縁の側切りに、繋ぎが入った二八を側を繋ぐの駄洒落でええじゃろ」
「なるほど・・・石見の銀細工師は、細工の行程で出る銀粉を蕎麦粉を練った団子で集めていると聞きます。銀粉を混ぜたキワモノ蕎麦も併せて売って見ましょうか」
第2回茶会のあとに蕎麦切を出したところそこそこ受けた。
1525年(大永5年)1月
逍遙院さんの屋敷で行われた年始会に招待された俺はそれなりに名前を売り込むことに成功した。その中には現管領の細川高国の嫡子である細川稙国さんがいる。狩野元信さん繋がりだ。細川稙国さんは熱烈な分福茶釜のファンだった。狩野元信さんの描いた「笑福分けたる茶釜狸」の軸に心奪われたらしい。
本物の茶釜を見せたら鼻血を吹いて絶賛した。茶釜は譲れないけど(無茶苦茶懇願されたけど断った)、今年の春に細川京兆家の家督を譲られるというのでその祝いの席に貸し出すことにはなった。
次期管領候補に縁が繋げたと思うことにしよう。
茶会の時の縁で、武野信久さんの堺のお店に萩屋文左衛門と一緒に招待された。俺が石見を拠点に商売を手広くやっていることを知ったから。
「これは・・・」
俺が武野信久さんの店に取引として持ち込んだ商品を見て唸る。とくに武野信久さんが強い興味を示したのは芋と蕎麦の焼酎と品質の高い白生地の絹の反物。ちなみに絹の反物は怪しい商人から買った明国産ではなく、畝方村の硝石造りに蚕の糞が必要なことから、副産物として生産されている国産絹織物だ。織るための織機と併せて、俺がこの時代に来てから研究開発している商品だから品質はかなり良いモノであると自負している。
「明国との独自の貿易ルートがあります」
新型高速帆船を複数保有していて明と独自の貿易ルートを持っていることも明かす。和泉と安芸、若狭と石見の間で貿易路を開設することで話をつける。和泉と安芸の航路は東瀬戸内の海賊もとい水軍をどうにかしないといけない。因島の村上水軍に動いて貰うか?
「そろそろ紹介させてくれんか?」
話が粗方纏まった所に、整った顔に鷲鼻。鋭い眼光の男が部屋に入って来た。
「ああ、申し訳ありませんでした。筑前守さま」
信久さんが土下座に近い頭の下げ方をする。あの、どちらさま?
「初めて知己を得ます。三好筑前守元長と申します」
「毛利家家臣、畝方三四郎元近と申します。以後お見知りおきを」
男が頭を下げるのを見て、俺も慌てて頭を下げる。三好筑前守元長さん。現管領である細川高国の対抗勢力のトップじゃないですか!
「真打と影打」、無刃さまの小ネタを採用させていただきました
細川稙国。1498年(明応7年)説をとっています。




