第11話 領地が増えた
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1524年(大永4年)4月
俺は久しぶりに毛利氏の本拠地である安芸(広島)吉田郡山城に登城していた。俺は御伽衆のトップなのだが良いのだろうか?
「元近久しいな」
「はっ。殿におかれましては、ご機嫌も麗しいご様子と存知たてまつりまして、まことに結構なことと承ります」
そういって平伏する俺を、元就さまは何とも言えないような顔をする。とはいっても、元就さまは今や安芸と石見(島根西部)で米による石高だけで21万石を領する小大名である。下手な挨拶はできない。それに、今年は石見の農地の大規模開発で石高は更に増えるしな。
「ふん。21万石を領する小大名の頭領に失礼な挨拶は出来ないとか思ってそうだな」
元就さまの含みがある笑顔。あ、バレてる。
「喜べ元近。お前の此度の活躍に対して、(尼子)伊予守殿との協議の上、矢筈城、櫛島城、笹島城を任せることと相成った」
「はっ」
櫛島城、笹島城は温泉津港を守る城・・・いや砦。これはあれか、温泉津港と塩浜を含めたこの地域一帯を任せて山陰側の毛利水軍の拠点を作れってことかな?
「察したようだな」
元就さまは満足そうに頷く。どうやら当たったようだ。今回の石見平定で行われた配置替えは、七尾城城代に矢筈城城代だった本城清光さん。本拠地の城を破却された福屋正兼さん、周布武兼さんが石見七尾城の城将に入った。(ちなみに城を破却されただけで一族が治める領地ではある)
また琵琶甲城の城代口羽広良さんが安芸の芸南攻略のため吉田郡山城に呼び戻され、代わりに福原広俊さんの嫡男、貞俊さんが着任した。
あと、三入高松城の志道広門さんが、毛利氏で何代も執権職を務めるも元就さまの毛利氏頭領代理の就任に対し謀反を企てて滅んだ坂氏に入嗣して坂元貞を名乗るようになったそうだ。
- 石見 矢滝城 -
矢滝城に戻った俺は、今回支配下に入った矢筈城、櫛島城、笹島城、温泉津港と塩浜村改め日祖村に対して検地を行った。その結果、現状で2230石。農地改革で多分3700石は行くだろう。
矢筈城の城代に桂広澄さんを笹島城の城代に子飼いの甘草定純を櫛島城の城代に間壁近純を入れる。また日祖村の一徹、徹男親子は士分に取り立てて日祖姓を名乗らせる。畝方村の村長には畝方神社の宮司でもある多々納緋斗さんにお願いした。
山陰毛利水軍が正式に発足した。水軍の総大将は俺だが、普段の指揮は笹島城の城代である甘草定純が務める。旗艦は先日進水した市杵島号の2番艦改め、宇夜弁級の一番艦宇夜弁。
兵装は今のところ艦首の衝角だけだけどね。大型バリスタが完成していないので、当分は近隣の東は出雲(島根東部)や伯耆(鳥取西部)。西は長門(山口北西部)や筑前(福岡北西部)への輸送船業務に勤しむことになる。艦長は日祖徹男。
これに筑前博多から関船3隻、小早10艘を買い入れて一応水軍っぽい体裁を整えている。併せて笹島城は水軍基地として再整備だ。
つぎに支配下となった村での完全な兵農分離を行う。村に残らない事を選択した男衆を城下に移住させ、戦闘訓練を施し本来なら賦役とするべき土木工事に従事させる。この辺はWeb小説の戦国モノ定番だよね。
名称は工足軽を採用した。この工足軽を動員して矢筈城、櫛島城、笹島城、温泉津港、日祖村の間に舗装された幅3メートルの道を繋げる。
また支配下地域の中にあった関所は全て撤廃。また実験と称し、各城下と港での楽市を導入する。楽座は当分無理だけどね。
「まいど」
矢滝城周辺に領地を貰ったという事で、萩屋文左衛門に日向馬10頭と木曽馬10頭を手配して貰った。対大内氏の最前線である西石見から、陸路ではかなりの距離があるからね。
馬の購入でかなりの金が飛んでいったけど、これでそれなりに見栄えのある騎馬隊を編成できる。こうして見るとだいぶん軍らしくなってきたな。
「西石見に軍を展開させるだけなら、船で輸送させた方が速いのでは?」
隣りにいた今川貫蔵さんの鋭いツッコミが入る。いいんだよ、騎馬隊編成は男のロマンだよ。まあ、現行で馬というのは、戦場を高速で移動するための手段なんだよね。どうにかしたいけど、まずは騎馬戦に耐えうる体格の馬に品種改良して数を揃えないといけないんだろうな・・・




