第6話 市杵島号進水
1523年(大永3年)9月
- 石見(島根西部)-
竹を枝状にした枝条架というものを立てかけて、その枝条架に海水をかける。いま俺の目の前には人工の田んぼ・・・のようなものが広がっていた。塩田とはよく言ったものだと思う。(個人的感想です。)
・・・韜晦してどうする。どうせすぐ真似されるなら初動で大儲けができればいいと平然と言い放った尼子経久さんによってこの塩田は作り出された。
煮出すのにそれはもう洒落にならない量の薪が必要になって、山を無暗に伐採すると大変なことになるとか言って説得を試みたけど、「そんなの最後まで天日で干せば薪も多く要らんだろ。何より塩が安く供給されるのは民草にとってもありがたいことだ」で切って捨てられた。ぐうの音も出ませんぜ旦那。
後にこの流下式塩浜による製塩方法は、かなりのスピードで全国に広がっていくのだが、ここの塩浜産の塩は「石見の汐」というブランド名で、少々高くても売れて、長く全国の人々に愛される事になる。あわてて偽造防止策を講じることになるのだが、それはまた別の話である。
「畝方様。お待ちしておりました」
鍛えられた小麦色の肌、八の字眉にタレ気味糸目の白髪が目立つ40代の男とその息子らしい20代の男、ふたりが俺に向かって深く頭を下げる。年を取ったほうの男の名前を一徹といい、寂れた漁村改め塩浜村の村長である。隣りの男はその息子で徹男。どちらも元漁師である。
「おう。今日はよろしくお願いする」
「はい。では行きましょう」
一徹親子に案内されて、砂浜の一角にある高さ5メートルの大きなコンクリート造りの壁の前に立つ。何度も説明するのもあれだと思うが、砂浜の砂を詰めた土嚢袋を積み上げてコーティングしたものだ。
「縮小したとはいえ大きいな」
壁から飛び出している4本のマストにちょっと感動する。
「「おお、三四郎。待っておったぞ」」
壁の周りを回っていたであろう元就さまと尼子経久さんが仲よく並んでこちらにやってくる。たぶん歴女卒倒間違いないシーンだ。たぶん(二度いいました)。
「遅れて申し訳ありません」
「なに儂らが早く来過ぎたのよ」
俺の謝罪を尼子経久さんがかんからと笑って受け取る。
「では参りましょう」
一徹に案内され、コンクリートの壁の上に上がる。
・・・うおおおおお壮観だな。コンクリートの中、乾ドックの中に固定された全長17メートルの帆船があった。
「これがキャラック船か」
元就さまと尼子経久さんの口から感嘆の声が上がる。
「開門始めてください!」
徹男が叫ぶと、木工ゴーレムがキリキリと水門を開ける。どどどどおおと豪快な水音が響き、海水が船尾近くまで溜まっていく。
「では、殿。お願いします」
「うむ」
元就さまは机に置かれた紙に筆で市杵島と書く。ちなみに市杵島姫命という宮島三女神の一柱の名前からとっている。
徹男はうやうやしく紙を受け取ると船に乗り込み、待っていた神主に渡す。神主は恭しく紙を受け取り、祝詞をあげながら、「この船を市杵島と名付けるのもなり」と宣言する。
神主が船から降りると、俺は尼子経久さんに一振りの小刀を渡す。
「伊予守さまお願いします」
「おう」
尼子経久さんは大きく頷くと、机の前にあるロープの前に立つ。
ざん。
小刀が振り下ろされ、ロープが切れ、市杵島の艦首に向かって陶器の徳利がぶつかり、詰まっていた清酒をぶちまける。
ずずずずず。
鈍い音を立てながら市杵島号が後進。海中に浮かぶ。
「ありがとうございます」
「「うむ。引き続き二番艦三番艦を頼むぞ」」
元就さまと尼子経久さんの声が綺麗にハモる。
市杵島号は、徹男を船長としてこれから3か月をかけて温泉津港を出発し、九州を反時計回りに回って土佐沖を通り、堺を眺めながら瀬戸内海を抜けて安芸(広島)厳島に向かうテスト航海を行う。
テスト航海で問題点を洗い出したのち毛利氏の二番艦。尼子氏の三番艦の建造に取り掛かることになるのだ。




