第5詰 川中島の戦いその1
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- 1542年(天文11年)10月 -
- 信濃(長野及び岐阜中津川の一部)川中島 -
越後(新潟本州部分)から信濃に侵入した毛利軍は、牛に引かれて参る寺で有名な善光寺を経由して妻女山に布陣した。そこで俺と毛利義元くんは、毛利軍と合流する。
一方の武田軍は、毛利軍が妻女山に布陣したのを確認してから善光寺平の南端、千曲川西岸にある塩崎城に布陣する。
早速、武田晴信くんは、北信濃の国人衆である清野氏の館へ配下である穴山信友と小山田虎満(石田小山田氏と呼ばれていて小山田虎親とは別の一族)に兵3000を預けて派遣。妻女山を挟撃できるように配置した。
- 塩崎城 武田軍本陣-
「動きはないようですな」
武田信虎の右腕である小山田虎親によって武田晴信の軍師として推薦されて登用された山本勘助が、妻女山の方を眺めながら武田晴信に話し掛ける。
「ふむ。向こうから提案した模擬戦である以上は、向こうから仕掛けてくるはずだが・・・」
武田晴信は、妻女山に布陣して未だ動きのない毛利軍に首を傾げる。
「今ならまだ、地の利は我々にあります。こちらから仕掛けてはどうでしょうか?」
最近、近習として武田晴信に仕えるようになった春日虎綱がそう提言する。
「地の利・・・ああ、毛利軍が動かないのは、斥候を放って地の利を得ようとしているのか・・・」
毛利軍が未だ攻めて来ないそれらしい理由を推測し、武田晴信はうんうんと頷く。毛利氏が信濃に隣接する越後(新潟本州部分)を支配したのはつい最近だ。度々信濃に侵出している長尾氏を配下に従えたとしても先導役ぐらいにしか使えないだろう。
「勘助。こちらから毛利軍を攻撃するのはありかなしか?」
武田晴信は意地の悪そうな顔する。
「模擬戦とは言え既に戦は始まっておりますからね。なら、武田の武力を世に示すまたとない好機かと・・・」
山本勘助が武田晴信の毛利氏を攻めるという意図を支持する。
「勘助は、毛利軍を妻女山から八幡原へと蹴り落とす策を策定し実行せよ」
「御意」
山本勘助は静かに頭を下げると、その場を退席していった。
- 妻女山 毛利軍本陣-
「若殿。周囲の情報収集が完了しました」
そう言って俺は、報告書の束を毛利義元くんに渡す。
「少ないですね」
渡された数枚の書類をペラペラと捲りながら、毛利義元くんは呟く。
「まあ、近年は大きな災害もなく地形など大して変わってませんから」
俺は苦笑いをして答える。川中島近辺の地形なんて、何年も前から配下の御伽衆に調査させていたんだよね。だから、報告書も追加された情報のみ。それに軽く目を通すだけで特に問題はない。
「では武田は、先生が予測したようにこちらに攻めてくると?」
「武田の指揮官は優秀ですからね。こちらが動かないのは、近辺の情報収集が終わってないからと推測し、それを終わらせる前に仕掛けてくるのが勝ち筋だと考えるでしょう」
「どうしましょう」
毛利義元くんは、期待に満ちた目で俺を見てくる。
「恐らく我が本陣に少数精鋭による奇襲を仕掛け、我らを妻女山から追い落とし、建て直す前に本隊で叩くつもりでしょう」
史実では18年ほど先の話になるけど、既に武田陣営は参謀として山本勘助を登用しているという報告があるので、多少の差異はあるけど第4次川中島の戦いをなぞるだろうと予想している。
「ああ、戦術教本に似たような凡例がありましたね」
毛利義元くんは、ポンと手を叩く。うちの学校は、古今東西の戦術を年代やら国名とかを変えて教材として教えているから、毛利義元くんもすぐに俺が言わんとしたことに思い至ったようだ。
「若殿はよく勉強されておりますな。であれば対策の助言は必要ありませんね?」
意地悪そうな顔をして指摘する。
「い、いえいえ、そうですね、我々の立案した作戦の評価だけはお願いしますよ」
毛利義元くんは、引きつった笑いを浮かべそう言った。




