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元就の野望~全国版~。わたしはガチャを駆使して補佐します  作者: 那田野狐
第3章 内政重視のターン 領地開墾編

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第7話 出雲に初詣に行く(尼子に新年挨拶をしに行くともいう)

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尼子国久

1492年(明応元年)、尼子経久の次男として誕生。名を孫四郎。

1512年(永正9年)管領・細川高国の偏諱を受け国久を名乗る。

のちに国人懐柔策のため宇多源氏佐々木氏の傍系である吉田氏の養子に入った。

尼子の親衛隊「新宮党」の頭領でもある。

1520年(永正17年)1月


- 出雲(島根東部)月山富田城 -


 吉川氏と毛利氏は庇護主である大内氏ではなく、敵対関係にあった尼子氏に新年の挨拶の使者を送った。明確な離反表明である。で、尼子氏への新年挨拶として、吉川氏からは一族である宮庄経友さんが、毛利氏からは元就さまの異母弟であり、この度分家として独立した相合元綱さんが使者になった。


「お久しぶりですな」


 尼子経久さんとの謁見のために詰めていた控えの間に、がははと笑いながら獅子舞みたいな顔の老人がやって来た。年寄りといっても筋肉はしっかりしていて背筋もピンとしている。


「これはお久しぶりです」


 相合元綱さんが親しく挨拶をしているのは高橋久光さん。毛利氏の現頭領である毛利幸松丸さまの母方の祖父にあたる方。簡単に言えば元就さまの毛利氏での目の上のタンコブである。

 家督は孫の高橋興光さんが継いでいるから、大内氏の新年挨拶には高橋興光さんが尼子氏への新年挨拶には高橋久光さんが来たのだろう。戦国時代の処世術のひとつというやつかな。

 で、俺は高橋久光さんに紹介されることなく別れる。高橋久光さんから見れば、俺は分家の小倅(もとなりさま)の腰巾着だからね。しかも俺自身は佐陀大社に畝方神社の例大祭のお礼参りのついでに同行しただけだし。


 尼子経久さんとの謁見が終わり、相合元綱さん一行と帰るための準備をしていたところ、一人の男に声を掛けられた。若いワイルドな尼子経久さんという印象がある。たぶん尼子経久さんの血縁者だよね。


(それがし)、吉田孫四郎と申します。少々、佐陀大社のことで相談事がありまして時間を頂戴いたしたく」


 吉田孫四郎?誰?


「佐陀大社からですか。四郎さま」


 俺は相合元綱さんをチラリと見る。


「うむ。お主を待って船に遅れる訳にはいかん。我らは先に出発しよう」


 相合元綱さんはあっさりそう言う。今年の中国山脈は雪に深く閉ざされていて、今回の新年挨拶も交通手段として使うのは行きも帰りも船だった。しかも輸送のための定期便に便乗しての旅なので時間が結構シビアなのだ。俺一人なら石見(島根西部)、周防(山口南東部)、安芸(広島)と陸路で大内領走破でも問題ないので置き去りにしてもらう。


 相合元綱さん一行が屋敷を出て暫くして「ははは」と高らかな声を上げ、先ほどまでのイケメンおじゃる丸ではなく謎の出雲の行商人が現れた。


「ち、父上」


 吉田孫四郎さんが驚いたような声を上げる。やっぱり血縁なんだ。


「これは伊予守さま」


 どかっと上座に座った尼子経久さんに向かって俺は頭を下げる。


「又四郎でいいぞ」


「御戯れを・・・」


 俺の困ったような顔をみて尼子経久さんはカラカラと笑う。それに対して吉田孫四郎さんの俺を見る目が怖い。


「孫四郎。この男はな、あの太刀斬の献上者よ」


「な、あの太刀斬のですか」


 吉田孫四郎さんの眼が胡散臭いものを見るモノから尊敬するようなモノに代わる。やめろ一回り以上も上の人間がしていい眼じゃない。というか名無しの刀に大袈裟な名前が付いているな。


「なに呼び止めたのは他でもない。儂は今年中に西出雲を獲る」


 力強く断言する尼子経久さん。


「なるほど。高橋爺がいた理由はそれですか・・・ということは毛利は東への牽制ですか」


 俺の言葉に尼子経久さんは目を細め吉田孫四郎さんは眼を大きく見開く。史実を知っているとか関係なく、尼子が出雲を制圧すれば、石見の益田氏や安芸の宍戸氏。石見と安芸を実質支配する周防の大内氏。備後の山内氏とぶつかるのは簡単に想像できる。

 出雲を制圧した尼子氏はその後、東石見、北安芸、西伯耆(鳥取西部)と勢力を伸ばす。その際毛利氏と高橋氏は尼子氏の先兵として安芸東部に侵出することになる。久光さんを呼び出したのは、毛利氏と高橋氏で東に進めというお達しなのだろう。


「ほお?その心は」


「尼子と組んだ以上、毛利は東にしか進めません。できれば石見銀山を獲りたかったのですが」


 これを聞き、尼子経久さんはカラカラと笑う。まあ、現時点で石見銀山は採掘を止めた鉱山なんだよね。尼子氏が大内氏と石見銀山の争奪戦をするのは、銀峯山の中腹で銀が見つかる1526年(大永6年)以降だ。

 できれば大内氏が石見銀山を再発見する前に押さえておきたい物件だ。石見銀山の防衛拠点である山吹城は大内側の小笠原氏の誰かが入ってたよな。


「あの銀山はほとんど枯れたと聞くぞ?」


「銀の精錬ってやつをやってみたいんですよね」


 吉田孫四郎さんの問いにそう答えておく。この時代、日本にはまともな銀精錬方法が広がっていなくて、石見の銀も鉱石のまま博多に輸出していたりする。石見の銀山が本格的に復活するのは1533年(天文2年)に神屋寿貞が銀精錬技術である灰吹法を導入してからだ。


「銀の精錬?」


「じつは古い技、いやこれ以上は流石に、博識な伊予守さまにこれ以上の事を言えば悟られてしまいます。秘密です」


 実際。灰吹法と同じ原理での銀精錬はすでに飛鳥時代の飛鳥池工房で行われているんだよね。


「面白い事を言う。いいだろう。お前の米作と酒造それと銀精錬技術を石見銀山で買ってやろう」


「ちょ、父上!」


 尼子経久さんが笑いながら提案し、吉田孫四郎さんが慌てて止めようとする。うん。謀聖さんのお言葉ちっとも心に響きません。というか石見銀山はまだ大内氏のものでしょ。というか、俺の持ってる技術が一筋縄で行かない事を調べられてる。


「なんなら熊野三山でも出雲大社でも誓紙を書いてもいいぞ」


 尼子経久さんが悪い笑いを深めながら追加の提案をしてくる。いいのか?俺との約束を神さまに誓うってことは、たぶん強制力半端ないぞ・・・

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