第2話 頼もしき次世代
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- 1539年(天文8年)9月 -
ー 佐渡(新潟佐渡島) 国府川陣屋 ー
「事前評定を始めます」
司会進行をするのは、先日元服して大坂城に戻った俺の嫡子である元晴の代りにやってきた龍造寺長法師丸くん。まだ10才になったばかりだけど、頭脳は明晰で力持ち。史実だとこの時期の前後に仏門に入るんだけど、才能があるのは知っているから早々に手元に引き抜いておいたんだ。
さて能登(石川県北部、能登半島)と越中(富山)だけど、能登と越中の守護でもある畠山義総くんからの従属を勧めるお手紙と、浄土真宗本願寺派の僧侶の皆さんの一向宗の寺と門徒さんへの熱心な説得の結果、平定作業は思った以上にスムーズに進行して行ったよ。畠山義総くん経由の国人衆は兎も角、一向宗の門徒さんがおとなしく帰順したのは意外だった。現本願寺派のトップである本願寺証如さんが、元々は一向宗のトップだったんだけど、三河(愛知東部)本證寺のときのようにどう転ぶか解らなかったから、拗れなくて良かった。
そうそう。本願寺証如さんからの帰順を促すお手紙作戦だけど越中でも予想以上に効果があったそうだ。印刷というものを知らなければ、直筆のお手紙と同じだから、受け取った僧は誰も彼も大喜びしたらしい。
「能登(石川県北部、能登半島)と越中の検地は順調に進んでいます。収穫が済み次第、区画の整理と主要道路の整備を始めます」
文官からの報告に、北畠晴具さんは小さく頷く。この辺はもうマニュアルが完全に出来ているので、余程の問題でも起きていない限り簡単な報告だけで済むんだ。
次に能登と越中の国人たちの処分。攻められる前に毛利氏に従属した場合、所領は取り上げられるが、代りに俸禄が上乗せされて毛利氏に召し抱えられる。
降伏した国人は、問答無用で所領が没収されて、最低ランクの俸禄から毛利氏に召し抱えられる。無論、待遇が気に入らないと国外に出奔したり帰農したりと新たな道を選ぶ者もいたけど、それは少数に留まった。
そして新たに毛利氏に召し抱えられた者は、適性試験を受けたあと希望に沿って武官と文官に分けられ、それぞれ半年から数年の間教育を受けることになる。
守護の畠山義総くんが従属し、守護代だった面々は既に没していたから、それ以外の国人衆には忖度しなくて良かったので楽だったよ。
「次は越後(新潟本州部分)と出羽(山形、北東部除く秋田)の情報をお願いします」
龍造寺長法師丸くんが俺に話を振る。
「上杉は伊達の三男を嫡子として迎えるようです。国人たちの賛否成は四:六で賛成が多数。まあ、どちらも半分は付き合いのある勢力に賛同している程度ですね」
俺は上杉氏に付け入る隙があることを報告をする。前に言ったかもしれないけど、この時代の国の意思決定は殿様独断ではなく国内の有力国人たちの合議制によって決まる事が多い。史実で北条氏が滅ぶきっかけとなった小田原評定のようにね。だから多少不利な状況はどうとでもひっくり返せる。
「反対派をこちらに囲んで揺さぶりますか?」
「うーん。長尾殿の派閥で今回の件での反対派だけで良いのでは?こちらは陸奥が争乱に突入する前に出羽に取っ掛かりを作っておきたい」
俺の問いに、北畠晴具さんはそう答える。武田氏は、陸奥に侵攻する際に事前に色々と調略工作を行っている。一度天秤が武田氏に傾くと伊達氏の崩壊は早いだろう。
「囲ってこちらにつく、その時間を待つ必要は無いと?」
「越後も出羽も、伊達が援軍を送って来ないと判れば、両国の伊達派は一気に崩れるでしょう」
俺の問いに北畠晴具さんは苦笑いで答える。史実でも、伊達氏の親子喧嘩が契機となって、婚姻関係で従属下にあった有力国人が次々と距離をおいたことで、伊達帝国は事実上崩壊するんだよね。
「最上修理介は、幼少の頃より伊達の傀儡として生きてきました。誘えば話に乗るのではないでしょうか?」
元晴たちが元服した事で新たに小姓衆となった一人である織田三郎五郎くんが指摘する。ちなみにこの話し合いは定例の評定ではなく北畠晴具さんとの事前の打ち合わせ兼小姓衆への教育の一環だったりする。
「伊達が毛利に代るだけなら伊達に忠義を尽くすということになりませんか?」
これまた小姓衆となった一人である平賀新九郎くんが返す。
「最上は尾張(愛知西部)斯波家の傍流です。そこから突けませんか?」
織田三郎五郎くんが指摘する。もうね、これが評定で良いんじゃないかな?




