第9話 能登経由佐渡行き。出航!
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- 1538年(天文7年)11月中旬 -
佐渡(新潟佐渡島)の本間氏の宗家が従属する意思があるという報告が来て出発が2日程遅れた。北陸方面軍司令である北畠晴具さんも今回の佐渡行きに同行することになったからだ。
「着任早々に手柄を立てる好機に恵まれるとは・・・感謝しますぞ」
着物から覗く手は、節くれだった上に日に焼けて浅黒いが、顔は白粉で真っ白というネタ感満載の北畠晴具さんがうっすらと微笑みを浮かべ声を掛けてくる。尤も、表情は固く声にも元気というものが無い。
どうやら白塗りしているのはネタではなく船の揺れに三半規管が悲鳴を上げ顔色が悪いのを誤魔化すためのフェイクらしい。船酔い辛いよね。
「全ては、北畠殿の普段からのたゆまぬ努力がもたらした幸運ですぞ」
取り敢えず励ましの言葉を掛ける。実際、北畠氏が毛利氏に臣従した後、毛利流の内政方法や軍事概念、外交交渉まで1から学び直した北畠晴具さんのたゆまぬ努力だけで、この短期間に北陸方面軍司令に抜擢されたのには理由がある。
なにしろ北畠氏は、鎌倉前期、村上天皇から分かれた村上源氏の一門で、代々皇室直属の臣下として仕えた一族だ。
北畠氏が歴史の表舞台に登場したのは鎌倉時代末期。後醍醐天皇の元で建武の新政を支え、後醍醐天皇没後は南北朝の南朝においては軍事的指導者として活躍してからで、以降今に至るまで存続し続けた武家の名門で、武士として面子を守るという信念はあった筈だ。しかし北畠晴具さんは、武士の面子に拘る事無く、ほとんど剣を交わす事無く毛利氏に臣従した。
これは北畠晴具さんから直接聞いたことだけど、北畠晴具さん自身、かなり早い段階から、甲賀や伊賀の人間を使って毛利氏の保有する戦力のことを調べて知っていたらしい。で、このまま毛利氏と一戦交えても、皇室の氏神である天照大御神を祀る伊勢の大神宮を戦火に巻き込むと判断したのだ。
しかしこの判断は、東国では毛利氏を良く知る武田氏と今川元親くん以外の武家勢力には物凄く弱腰に見えたらしく、北畠晴具さんの評判が物凄く下がっているという。
で、この情報を御伽衆から聞いた俺は、北畠晴具さんの汚名返上のための機会を与えることを議会に提言したのだ。
この提言に、新参の北畠氏を特別扱いすることに反対する意見もあったけど、尼子経久さんが「北畠氏の判断を笑う者はそれを良しとした毛利氏も笑っている」と一喝した。尼子氏も、毛利氏が九州をほぼほぼ統一し、この後どう毛利氏に抵抗したとしてもジリ貧だと判断して毛利氏に臣従したから、北畠晴具さんの気持ちはよく判るのだろう。
「ただ、与えられたのは機会であって、北畠殿が相応の結果を出さなければ意味はありません」
「それは当然。判っております」
どうやら北畠晴具さん、リラックス出来たようだ。
― 能登(石川県北部、能登半島)七尾湾沖 ー
能登七尾湾に夜の帳が降りて、海上を走る大きな影を闇で覆い隠す。
「夜の海を船で行くとは、狂気の所業ですな」
僅か数時間ですっかり船酔いを克服した北畠晴具さんが、両腕をさすりながら話し掛けてくる。
「そもそもこの船を操縦している乗組員は、瀬戸内でそれなりに航行術を鍛えておりました。また最近は、明や台湾との何日も日を跨いでの交易に従事しているので問題はありません」
俺は笑って言葉を返す。更に言うと、東南アジアでの貿易も視野に入れているので、夜間航行術と外洋航海術は毛利海軍では必須の技術だったりする。
「それと、今回の夜間航行は、そんなに難しいものではありません」
そう言って俺は、前方の海面を指差す。
「海が光っている?」
北畠晴具さんの声が若干裏返る。
「あれは、夜光灯という昼に日の光を蓄える不思議な道具を海中でも使えるよう改良した水中灯籠が沈めてあります」
「そんな物が有るのですか?」
「特別な伝手がありましてな・・・そしてあれは、能登に潜ませていた工作員に設置させた今回の目印です」
北畠晴具さんが夜光灯に興味を示さないよう話を逸らす。
「さて、始めましょうか・・・総員、戦闘配置につけ」
「総員、戦闘配置!」
艦首、艦尾、マストの上から、俺の指示を了承する旨の返事が返ってきた。




