第3話 元就さまへの現状報告 その2
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- 摂津(兵庫南東部から大阪北中部)大坂城 -
「続きまして北陸です。先日、北陸司政長官に就任した明石(正風)殿と北陸方面軍司令に就任された北畠(晴具)殿は、無事加賀(石川南部)に到着し、引継ぎも終わらせました」
俺の言葉に元就さまは小さく頷く。ちなみに司政長官というのは、地方行政を担当する司政官と呼ばれる文官を束ねるトップ(昔で言えば守護、現代日本で言えば知事)のことだ。これは、毛利氏が日本の西半分を支配下に置いたことで、元就さまの元に情報が伝わる早さが落ちた事で、災害時などの緊急事態に即座に対応出来ない事を憂いた毛利氏の上層部が、状況判断する為の人間を置こうという話になったのだ。この冬に、俺が加賀(石川南部)から動けなかったのも同じ理由から。
今のところ九州筑前(福岡北西部)、中国安芸(広島)、四国伊予(愛媛)、近畿摂津(兵庫南東部から大阪北中部)、北陸越前(岐阜北西部を含む福井嶺北)、中部近江(滋賀)に司政長館なる拠点を置いてそれぞれの地域に司政長官を着任させる予定だ。
なお、司政長官の緊急時以外のお仕事は、派遣された地区で月に一度行われる司政官会議の議事進行と会議の議事録の作成。4か月に一度元就さまの元に出向いての業務報告。重大な判断を任される割には権限は小さく、俸禄はそれなりに貰えるが、胃には優しくない職だ。尤も4年の任期を務めることで、その後は間違いなくエリート街道驀進が約束されている職でもあるんだけどね。
あ、情報が伝わる速度の話のついでに、毛利領での通信事情についても話しておこう。領内で双方向での情報のやり取りが一番早いのは、司箭院興仙さんがいる最西端の台湾と俺がいる場所での間で行われる式神を使った方法だろう。俺と司箭院興仙さんが固定のセットの時点で、毛利氏的には元就さまと嫡男毛利義元くんが迅速に連絡が出来る以外に価値は無いが・・・。
次に早いのは「帰巣本能の反則」ことガチャ産動物による鷹便、狼便。ガチャ産動物だからだろうか、移動するのに帰巣本能を利用しない上に、知っている人間を見分けて手紙を届けて返事の手紙を貰ってくるとか、かなり賢い。ただガチャ頼りなので全領地をカバー出来る程の数がいないのが難点。
なので最近では、元就さまの居城である大坂城への連絡をガチャ産動物による鷹便、狼便で、近隣の情報伝達は、帰巣本能を利用した普通の鷹便、狼便、山鳩便で行うという工夫をやっている。司政長官が肩書は立派に見えるけど、権限があまり無い理由の一つでもある。
あとは、長門(山口北西部)から摂津まで舗装された道と、10里(約40キロ)毎にある宿と厩を使った早馬。時間は掛かるけど、一度に運べる情報の量が多いのが利点だ。
そして一番当てに出来ないのが、臨時に便が出せない船便。一応、筑前と長門。安芸(広島)と伊予(愛媛)。阿波(徳島)と摂津の間は頻繁に船を行き来させているけど、出航時間に遅れるとかなり待たされることになる。これが輸送量だと順番はひっくり返るんだけどね。
ちなみに街道での輸送は、台湾経由で東南アジアから輸入されてる天然ゴムを車輪に装着した馬車がぼちぼち姿を見せていたりする。
「越中(富山)では、本願寺の下間殿と浄土真宗本願寺派の門徒が、一向宗門徒を説得して順調に勢力を拡大しています。越前、加賀、越中で使う筈だった攻略予算の余った三分の一を本願寺の褒賞に。三分の一を内裏周辺の土地の整備に。残りを予備費に返納というのは如何でしょうか」
俺の提案に、元就さまは目を瞑って考える。
「本願寺派の積極的な呼び掛けで、無駄な血を流さずに済んだということは評価すべきか・・・」
「坊主には、人が死んだ後の祀り事だけさせておけば、再び力を付けることは無いでしょう」
俺の言葉に元就さまも頷く。この時代、宗教勢力が力を持ったのは、飢えた民衆に対し僅かな食料を与え、過酷な現世において仏・・・ではなく、坊主に縋れば死後は極楽に行けると洗・・・導いたのが理由だ。(※個人の推測です)
これに対し、俺は農耕技術の革新を行って食料を増やし領民の飢えを減らし、疱瘡という死の象徴を退治して衛生観念を啓蒙し、病気の流行を抑え込み、読み書き算術を教えたことで民衆が考える力を養ったため状況が大きく変わった。
死後の利益より現世の利益。これは史実の織田信長もやっていて、一向宗の無効化に成功しているんだよね。いやぁ、一向宗が拠点を摂津石山に・・・今の大坂城に移す前に畿内から叩き出せて良かったと改めて思うよ。




