閑話 三条西卿を偲ぶ会 (パロ成分多)
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1538年(天文7年)4月
ー 山城(京都府南部) 施薬院 -
「ガチャターイム!何が出るかな、何が出るかな、ちゃらぁららら、ららららぁ、ぽちっとな」
怪しいリズムを口ずさみながら服部半蔵くんがガチャ箱のボタンを押す。秘密じゃないのかって?御伽衆の幹部はみんな知っているから今更だよ。
がしゃん
SR 砲隊鏡(ドイツ軍仕様)
・・・戦闘拳銃級のオーパーツ・・・いや、既に望遠鏡や双眼鏡はあるからドイツ軍仕様というのに目をつむればそこまで希少ではないかな?ちなみに砲隊鏡というのは左右の接眼レンズから上にVの字状に伸びる2本の潜望鏡が配置された、カニ眼鏡とも呼ばれる双眼鏡だ。
最大の特徴は、対物レンズが上から横に90度可動することが出来るので、物陰に隠れながら観測することが出来る事だ。つまり・・・
「おお・・・これはこれは」
主上が、献上した砲隊鏡を使って内裏の壁越しに外の風景を見て嬉しそうに手を叩く。なおこの場にいるのは山科言継さんと九条稙通さん。言わば俺の身内だけなので主上のテンションも高く結構フリーダムだ。
「師よ。あの綺麗に飾られた一角は?」
主上が紅茶道の俺の弟子として尋ねる。主上として尋ねると俺が答えることを拒否できないだろうという配慮だと思う。
「明日行われる三条西卿を偲ぶ会の会場です」
「三条西卿を偲ぶ会?」
「故人の遺徳を偲び、宗派を超えてお別れを言うことが出来る場所を提供するのです」
逍遙院さんは俺との付き合いが長かったので、庶民と言われる人にも結構顔が広く知られていた。ある日突然、前触れもなく施薬院にやって来ては請われるまま参拝客に知識を授けることは日常茶飯事。気に入れば適当な紙に自筆の和歌を書いて参拝客に渡すような、後の世の鑑定を生業とする人達が悶死しそうなことまでしていた。
本堂脇に併設された本堂より大きい展示館に展示されている逍遙院さんが直々に複写した「源氏物語系図」は展示館の目玉でもある。
「ああ、それでこの遠見鏡か」
山科言継さんが指摘する。そう。主上が逍遙院さんの偲ぶ会に御臨席することは、会場が内裏に隣接する寺の跡地とはいえ不可能だろう。だが、この砲隊鏡を使って壁越しにご自身の目で式典を見ることは出来るだろう。
「師の配慮。嬉しく思う」
主上はにっこりと微笑んだ。
ごーん ごーん
昼を告げる寺の鐘が京の町に鳴り響く・・・・
逍遙院さんを偲ぶ会の会場北側に設えられた祭壇には巨大な逍遙院さんの肖像画が飾られ、その下の献花台に白と黄色の菊が山のように捧げられている。ガチャがご都合主義を炸裂させて、菊を大量に吐き出してくれなければこの光景はあり得なかっただろう。なお、菊の出どころは黙秘している。
「壮観だな」
貴賓席に座っていた元就さまが、苦笑いしながら声を掛けてくる。この時代に椅子というと折り畳みの出来るエックス脚の床几だけど、元就さま達が座っているのは西洋の玉座みたいな椅子だ。貴賓席にいる人達のお尻にあるクッションは、式典後にドナドナされる事が内裏の壁の向こうでこの様子をご覧になっている主上ともども決まっていたりする。
「儂の葬儀のときも頼むぞ」
その隣に座っていた尼子経久さんがカラカラと笑う。史実だと後三年だけど、原因は大内氏との安芸を巡る戦いで大敗北した際に憤慨して起こした脳溢血だから多分長生きする。一応塩分を取り過ぎないよう制限をかけておこう。
「では始めます・・・」
他の皆様にも頭を下げ、壇上に立ち、集まった五百人近い人々を睥睨する。なお、逍遙院さんを偲んで自主的に来た人が一割。元就さまを筆頭に毛利の重鎮を見に来たのが一割。施薬院を熱心に参拝している人が五分。残りが式典最後まで残っていたら出口で貰える普通の餅と黒ゴマを練り込んだ餅の二個セットのお土産を目当てに集まった人だ。
なお、この式典後、故人を偲ぶ祭祀やお盆などで訪問客に黒白の餅や団子を配ることが流行り、お盆では子供に盆玉と称して小銭を配る風習が生まれたとかなんとか・・・
以下読み飛ばし可。
「我々は一人の文化人を失った。しかし、これは悲しみを意味するのか?否!断じて否である!
明の国に比べ、我が国の文化の発展度は30分の1以下である。
にもかかわらず今日まで独自の発展をしてこられたのは何故か?
諸君!我が国の目的が正義だからだ。これは諸君等が一番知っている。
我々は周辺を海に囲まれ、文化圏からの孤立に曝された。
三条西卿の掲げる文化のための研鑽を神が見捨てる筈はない」
一拍置く。
「私の師!諸君等が愛してくれた三条西卿は死んだ」
「何故だ!?」
『お歳だったからねぇ・・・』 (来た人全員の心の中のツッコミ)
「新しい時代の文化を選ばれた我等が得るは、歴史の必然である。
ならば、我等は姿勢を正し、この状況を利用しなければならぬ。
我々はこの地を生活の場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日の文化を築き上げてきた。
かつて、三条西卿は独自の文化は島国の民たる我等から始まると言った。
我等は今、叡智を結集し、明の国を超え、初めて真の栄光を得ることができる。
この栄光こそ、我が国の文化人全てへの最大の慰めとなる。
民よ立て!三条西卿の遺志を創作意欲に変えて、立てよ!民!
我等こそこの国の文化に触れてこれた民であることを忘れないで欲しいのだ。
我等こそ文化を更に発展し得るのである」
(ジーク・ジ〇ン!(俺、心の中での渾身の叫び)
きーーーーーんんんんんんん
きーーーーーんんんんんんん
会場の真ん中にドンと鎮座した蓮の花が掘られた口径60センチの金色の磬子が甲高い金属音を奏でた。
演説は完全パロにすると意味不なので剪定
次章は尾張とか越中とか(多分)




