第5話 だが断る(確実)
閲覧・感想・ポイント評価・ブックマーク・誤字報告ありがとうございます
1537年(天文6年)10月 ― 越前(岐阜北西部を含む福井嶺北) 北ノ庄砦(史実の福井城のある辺り) ―
越前での少し早めの稲刈りも終わり、越前と加賀(石川南部)の一向宗門徒の説得のため下間頼慶さんが北に向けて旅立った。本願寺証如さんが書いた「浄土真宗本願寺派に帰属せよ(要約)」という手紙をガリ版印刷で大量に刷って、先行する僧兵さんに配ってもらい、その後に下間頼慶さんが説得して回るという流れだ。
この時代、信者にとって法主のお言葉は絶対である。史実で一向宗が強かったのも一向宗に尽くせば死後は極楽。背けば死後は地獄と説かれたことが理由。ただでさえ生きてても地獄で死んでも地獄って状況だから、一向宗に従えば死んだら極楽って言われたらそりゃあ頑張るしかないよね。
なお毛利氏領内では、この手の煽りが通用しない。死後の世界より現世利益。飢饉が起きそうになれば簡単な仕事を即座に用意し、腹いっぱい食べさせている。ちなみに毛利領内で人気の小遣い稼ぎはコンクリート板の作成だ。道路の敷石だったり建築の壁だったり護岸の基礎だったりと使い道はそれこそ無限に近いものがあるのだ。
「励みなさい」
きりっとした切れ長の目の青年インテリ美坊主こと下間頼慶さんの長男で補佐の下間光頼くんが、昨日から越前や伊勢(三重北中部から愛知、岐阜の一部)長島から仕事を求めてやって来た浄土真宗本願寺派の門徒さんに声を掛けている。
「励みなさい」というのは、これから門徒の皆さんは、毛利氏主導の道路工事に従事するからだ。なぜ伊勢長島の門徒さんが居るのかというと、本願寺証如さんに続いて北畠氏も毛利氏に従属したことで、伊勢長島の願証寺も浄土真宗本願寺派として毛利氏に従属することが決まったから。願証寺も本願寺証如さんの鶴の一声で、降伏もやむなしということになったらしい。
そして、他の宗派や毛利氏からの迫害を恐れて願証寺に逃れていた畿内の門徒さんの内、畿内に帰る場所が無かったり少しでも銭が欲しいという一部の門徒さんがやって来たということだ。なお、願証寺に見切りをつけた門徒と称して毛利氏の御伽衆が大量に三河本證寺に侵入したのは言うまでもない。
「欧仙さま。よろしいですか?」
下間光頼くんの弟である坊主頭の美マッチョである下間真頼くんが三日月のようなしゃくれた顎の細い目の男と潰れ大福のようなぽっちゃり顔の男と一人の小狸のようなお子様を連れてやって来た。三人ともそこそこ身なりが良く、大人である二人の腰には刀がある。ということはこの三人は武家で、しかもそこそこの出身の者ということが推測できる。
「構いませんよ。で、三河の方ですか?」
俺の指摘に大人三人が酢を飲んだような顔をする。
「某からすれば、そちらの方々が何を驚いているのかその方が不思議です。一応、毛利軍の将として最前線に出張ってきている身ですよ?」
僅かに声のトーンを落とす。浄土真宗本願寺派の影響力が殆ど無い美濃(岐阜南部)の国人が浄土真宗本願寺派の坊官に伝手があるとは思えないし、これから攻める加賀(石川南部)の国人が子供を連れて謁見と言うのはおかしな話。なら消去法的に三河の国人であると踏んでカマをかけた訳だ。
「まあいいでしょう。某は、畝方施薬院頭従四位上大江元近朝臣と申します。ああ、東国では施薬院欧仙の方が通りがいいですね」
去年。主上の娘さんの病を完治させたり、その娘さんと毛利義元くんとの縁を取り持ったりしたことで、この春に俺の朝廷での官位が上がったんだよね。
「施薬院・・・頭?」
「従四位上?」
従四位上と聞いて、刀持ちの二人と下間真頼くんの顔色が急激に悪くなる。従四位上というのは俺が田舎者だろうが成り上がり者だろうが新参者であろうが毛利氏では早々に越えられない身分差という壁だったりする。
「欧仙さま。松平千松丸と申します」
空気を読まない、いや読めない松平千松丸くんが元気な大声で挨拶をする。
「おお、松平と言えば三河の松平次郎三郎殿の子息殿か」
「はい。今日は欧仙さまにお願いがあってやってきま、むぐげぎ」
再び空気を読まない発言をしようとした松平千松丸くんの口を細い目の男が慌てて押さえる。
「某、き、吉良左兵衛佐持広と申します」
細い目の男、吉良持広さんが頭を下げる。
「某阿部大蔵定吉と申します」
大福男、阿部定吉さんが頭を下げる。これはあれだな。本来頼るべき今川氏が現在東西で割れていて、松平氏の本拠地だった三河の岡崎城奪還の目途が立たず毛利氏を頼ってきたパターンか?
・・・だが断る!毛利氏の武官、文官の報酬は既に俸禄制だ。土地の奪還に手を貸すことはない。




