第2話 立志未だならず松平清康逝く
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逍遙院→三条西実隆
1535年(天文4年)12月
- 尾張(愛知西部) 守山城 -
- 三人称 -
松平清康。西三河(愛知東部)を武力で制圧し、東三河の国人衆を従属させ、三河の大半を配下に収めた若き英傑。もっとも譜代重臣や一門との間で仲が非常に悪い事も有名で、とくに叔父の松平信定とはとくに悪かった。
その松平清康が兵8,000を称する大軍で三河岡崎城を出立した。なかに野盗に近い傭兵や陣借りを望む牢人が1500人ほど混ざっていて、牢人のなかには三河を探りに来た今川の諜報機関になった風魔衆が混ざっている。
「突撃!」
ちょっとタレ目のドングリ眼に幼さが残る精悍な子狸顔の男、松平清康が指揮棒を振り下ろすと鬨の声を上げ、松平軍が守山城に攻め込む。
「応戦しろ!」
口元の髭が取って付けたような違和感を感じる優男、織田信光が指揮棒を振りかざす。風切り音が鳴り響き矢が松平軍に降り注ぐ。
「掲げ。駆けよ」
それを見たケツ顎三白眼への字口の巨漢、本多忠豊が叫ぶのと同時に松平軍の歩兵は板を空に掲げて駆ける速度を上げる。これである程度の被害が抑えられてしまうので、日本では西洋のような盾が発達しないのだ。
「毛利とは全く違う戦いですね」
守山城の大手門近くで守備に就いていたへの字の細い眉にタレ目気味の糸目の男、本郷剛士は攻め寄せる松平軍を見て呟く。
「まあ、頭領は一方的な射程距離から大量に、そして一気に殲滅する戦法を好みますからね」
太くきりりとした眉毛に細い目、鷲鼻に太いモミアゲの男、東郷十三は肩に担いでいた皮の箱を降ろす。本郷剛士も東郷十三も毛利家の重臣である畝方元近の家臣だが、今は身分を隠して守山城で織田側の陣借り牢人をしていた。
「新型かね?」
「畝方三十五式狙撃銃です。銃身に溝を刻み弾を紡錘形にして、改良され爆発力が増えた火薬で撃ちだすことで弾の射程が伸びました。近江での戦がもう少し長引けばそちらで実験したのですが・・・」
そういって東郷十三は皮の箱から一丁の銃を取り出す。この畝方銃。形状は火縄銃というより明治時代に日本陸軍が採用した三十年式歩兵銃によく似ている。この銃。銃身にライフリングが施されて弾丸が紡錘形だったりと時代的にツッコミどころ満載の銃なのだが、この銃を設計したのは仙人として名高い畝方元近だ。畝方元近が発明したモノだと言えば誰も疑問に思わない。また改良された火薬とは黒色火薬よりもゆっくりと燃焼する褐色火薬のことで、黒色火薬と無煙火薬の中間のような火薬であり、畝方銃のために開発された火薬でもある。
「よし、あの兜首を貰おう」
銃に取り付けた小型望遠鏡を覗き込み、空気抵抗で弾道がお辞儀するのを計算しつつ銃口の向きを調整すると引き金を引く。
たーん
乾いた音が響き、松平清康の頭が柘榴のように弾ける。近くにいた家臣の阿部正豊が慌てて松平清康の頭の欠片をかき集めるが、極端なパニック状態による異常行動である。なおこのときの阿部正豊の行動は松平清康の頭を一刀で両断にしたという話へと変化していく事になる。
松平清康が討たれた(撃たれた?)ことで松平軍は瓦解。烏合の衆と化した兵士たちは三河へと逃げ出し始めた。
「逃がすな!追撃せよ」
守山城の大手門が開き、馬に乗った織田信光が出て来て指揮棒を振るうと、三間半の長さの槍を掲げた織田兵がワラワラと守山城から吐き出され松平軍の追撃にかかる。結果、織田軍は松平軍を追って三河へと逆侵攻し、岡崎城を占領することに成功した。
1536年(天文5年)1月
- 摂津(兵庫南東部から大阪北中部) 大坂城 -
- 主人公 -
1534年(天文3年)3月に摂津の石山本願寺跡地で建設が始まった元就さまの畿内での拠点である大坂城が完成した。で、同時期に建築が始まった足利義晴さんの山城(京都府南部)での居城である二条城のほうは完成が遅れている。大坂城のほうが先に完成したのは、石山本願寺の資材が大坂城に流用できたのが理由だが、そのことで足利義晴さんが物凄く拗ねた。ものすごく面倒臭い。
さらに足利義晴さんがヘソを曲げることがあった。まあ毛利氏にとっては慶事なんだけどね。まず毛利氏と北畠氏との間で婚姻が成立した。俺の養子のひとりである桔梗が、元就さまの養女となり、北畠晴具さんの側室として嫁に行った。まあ毛利氏において婚姻同盟というのはほとんど意味がないんだけど、畿内ではまだまだ効果があるそうだ。
また、もうひとりの養子である菊が逍遙院さんの養女になって山科言継さんの正室として嫁ぐことが決まった。山科言継さんはいいとこの子息だけど母親が宮中に仕える身分の低い女性だったこともあって縁がなく、いままで独身だったというのは驚きである。山科言継さんと菊とは臥茶七曜で面識があったらしい。とりあえず祝言は山科言継さんが武蔵(東京、埼玉、神奈川の一部)から帰ってからとなる。
なんだかんだ言って逍遙院さんとは10年。山科言継さんとは父親である山科言綱さんとの縁があっての付き合いだから、こうなるのも自然の流れか・・・残った末の義娘である花梨も早く嫁に出せという妻たちからの圧が高まったのは言うまでもない。
で、山科言継さんと義理とはいえ縁続きになったので臥茶七曜を隠れ蓑にして山科荘の開発に着手しよう。毛利氏は山城の道路や橋の整備はしていてもそれ以外は手を付けていないからね。ああ、俺の施薬院と施薬不動院は例外。そうだ、折角だから手に入ったばかりのキャベツを春と夏に分けて植えようか。
頭を唐竹割ということでケネディ暗殺ネタに絡めて見る
さて末っ子はどこへやろうか




