第18話 近江討伐その後のアレコレ
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1535年(天文4年)12月
細川晴元が企画した毛利氏の包囲網から六角氏が脱落したことで、上平寺城の包囲は解かれ、浅井軍と六角の残存兵は小谷城に引き上げた。計画の崩壊である。
また上平寺城に押し込められていた元京極軍の雑兵たちは、俺がつくった賤ケ岳の砦まで引き上げて来ていた。
衣川城に帰還を希望する者は資材や物資を運んでくる船が衣川城に戻る便に乗せて返し、引き続き兵務を希望する者は雇うことにした。兵務を希望する理由としては、京極氏から賦役として村の男衆が根こそぎ徴兵されているため、秋の収穫が見込めず冬の蓄えに不安があるかららしい。
ただ雇った雑兵にはイマイチ信用がないため、いまは砦の外に駐屯してもらい彼らが住めるところを作ることから指示を出す。賤ケ岳の砦は、建築物の優先順位を砦から元の補給基地に戻しているから雑兵たちが生活できるような居住スペースはないんだよね。今後の戦いの最前線となる上平寺城と観音寺城は既に食料や資材を運んで防衛力の強化を始めている。
さて今回の近江(滋賀)での戦いの結果だが・・・
まず六角氏の支配していた南近江(滋賀南半分)と伊賀(三重西部)は毛利氏の支配下となった。もっとも伊賀は、服部半蔵くんや百地正蔵さんを通じていままで地道に調略していたので、使者を送ったら簡単にこちらについた。
ついでに伊賀国人の伝手で娯楽作品ではライバル関係にある甲賀を支配する国人にも調略の手を伸ばしたところこれまたあっさりと配下に収まった。娯楽作品とは違い、伊賀も甲賀もそれなりに良好な関係にあるお隣さんだったよ。そうそう。甲賀忍者は主家に尽し伊賀忍者というとフリーランスな諜報工作員というイメージがあったけど、実際には伊賀忍者は山名や畠山、細川といった全国に飛び地のように領地を持った守護大名を顧客にしていて顧客の依頼を熟しつつ通り道となった国の情報を欲しがる他家に売る。
最初は伊賀側が持ちかけていた情報販売が、気付くと請け負っての情報収集になり傍から見れば・・・ということらしい。顧客には細川晴元がいたので、彼の御仁が接触してきた場合にはこちらに都合のいい情報を提供するようにお願いしたよ。情報を遮断することで更に影に潜まれるよりは、ピンポイントな接触でも動きを掴んだほうがマシだと元就さまも軍部も判断したからね。
あと六角家の家臣については、僅かな帰農者と在野に降った者以外は毛利家に属した。これは旧当主である六角定頼が説得したのが大きい。六角定頼を生かしておくのかって?周辺大名と血縁同盟を結び、楽市や一国一城の先駆けを行い史実では管領代までやった為政者を殺すなんて勿体ない。安芸(広島)で色々研修を受けさせた後に、九州でバンバン働いて貰う予定だ。
つぎに朝倉氏の領する越前(岐阜北西部を含む福井嶺北)方面は敦賀を占領することに成功した。慌てて朝倉軍2,000が敦賀を奪い返しに来たけど、「三国崩し改」による威嚇攻撃を行うとあっという間に撤退。以降、一乗谷に籠ってまったく出てこなくなった。
朝倉軍が出てこないというのなら、当分は近江で残る浅井ともども停戦交渉すらせずに放置するということにした。これは農繁期に農民たちに動員をかけた近江での米の収穫が予想以上に酷いことが判ったからだ。とてもじゃないが今回敵対した朝倉、浅井を相手に戦をやってる暇がない。
あと今回味方になった伊勢(三重北中部から愛知、岐阜の一部)と志摩(三重東端)を領する北畠晴具さんとの間に2年間の不可侵同盟が締結された。これは同盟が切れる2年後以内には毛利氏への臣従が想定されたもので、北畠晴具さんは2年をかけて家臣団を説得するらしい。
もっとも、2年後に毛利氏で活躍できる席があるかどうかは不明だと忠告もしておいた。2年後、手柄を立てさせ忠誠を計るために捨て駒上等で先陣を切らせる戦が残っているとは思えないからね。
それと朽木谷の朽木氏が臣従し、朽木氏の仲介で上平寺城に至るまでの領地を持っている国人もまた臣従したよ。我が軍の全容を間近で見た朽木貞綱くんが熱心に口説いた結果である。
「結局、細川晴元・・・いまは細川六郎か、彼の御仁は見つからないままか」
六角定頼さんの報告に元就さまはふうとため息をつく。そう。伊賀の国人たちに細川晴元への情報提供を制限しなかったように、今回もまた細川晴元には逃げられた。というか滞在の本命だと目していた六角氏では一度しか姿を見なかったそうだ。あとは代理人とか手紙による指示だったそうだ。すごいな細川晴元。ただ、今回の敗北で細川晴元の神通力は完全に消滅したといって良いだろう。だからだろう。公方がなにやら動き出した。
次章、室町幕府の終焉(予定)




