第17話 六角の脱落
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- 南近江(滋賀南半分) 大津 -
- 三人称 -
ただひたすらに南下し大津の近くまで逃げ込んだ六角軍。残存する兵の数はおよそ1,200。一方的な敗北であるにも関わらず、いまだこれだけの兵が残っているのは六角定頼の人徳だろうか。
「残念だが此度の戦は負けじゃ。儂は甲賀大明神の威徳に縋るべく、甲賀山にて暫く潜伏する。」
身に着けていた鎧と兜を近習に渡しながら、六角定頼は甲賀山の方向を眺めて大きくため息をつくと、後藤賢豊は神妙な顔つきで小さく頭を下げる。
ちなみに甲賀大明神とは、六角定頼の父で六角氏12代当主でもある六角高頼のこと。たびたび幕府と問題を起こしては討伐軍を差し向けられ、不利になると甲賀衆を頼って甲賀山へと逃げ込み難を逃れていた人物で、死後に朝廷から甲賀大明神という神号を贈られて(恐らく、六角高頼が厄神になる前に封じたものと思われる)いるためか、六角には「死なない限りは負けない」どこぞの漫画に出てきたゲリラみたいな信念があった。
「放て!」
どーおおおおん
六角定頼の目論見を打ち砕く命令と大太鼓の荘厳な音が鳴り響き、大量の矢が山なりに六角軍へと降り注ぐ。敗走して逃げ込む方向から行われる攻撃。六角軍が瓦解するには十分な一撃だ。
「武器を捨てろ」
「抵抗を止めろ」
「降伏せよ」
毛利兵が抵抗する六角兵を槍の柄で打ち据えながら六角兵に降伏することを勧告していく。雑兵から兜首まで、ここまで逃げてきた六角軍の兵士1,200人あまりは大津を前にしてその大半が討ち死したり降伏することで終わりを告げる。
六角軍の幹部では六角定頼の弟である大原高保や六角両藤のひとりである後藤賢豊。甲賀二十一家の三雲行定が討ち死。六角両藤のひとり進藤貞治や大津の青地長綱。甲賀二十一家の山中貞俊などが降伏した。
しかし降伏したり討ち死にした六角兵の中に六角定頼の姿はなかったという。
- 北近江(滋賀北半分) 賤ヶ岳 -
- 主人公 -
毛利氏の越前(岐阜北西部を含む福井嶺北)敦賀への進攻で朝倉の本格的な動きを封じ、毛利軍の退路を断つべく動いていた六角軍本体の壊滅的な敗北を喫したことで細川晴元の策は崩壊したと元就さまと軍部は確信したようだ。
今川貫蔵くんから直接、渡辺勝さんを救うという作戦が近江(滋賀)東部への本格的な侵攻作戦へと変更されたことが告げられる。もっとも作戦が変更されても、ここに砦を建設することは変更されない。というか、砦の規模を拡大することになった。
どすん!
ゴーレムが土嚢の上に乗り、手に持った巨大な木槌を振り下ろす。たちまちのうちに直径10センチはある木の杭が、長さ2メートルの柱になって地面にそびえ立つ。
日の出とともに始まった柱を立てる作業は直線に並んで30本。間隔を約3メートルあけて四方を囲むように立っており、柵として十分な機能を有している。また、柵の外には工兵がスコップやツルハシで幅1メートル深さ1メートルほどの空堀を掘る作業を行っており、掻きだした土は土嚢袋に詰められて土塁として積み上げられていた。安芸(広島)三入高松城の城壁改修から研鑽が始まった毛利氏の建物構築術だけど、最早芸術といっていいだろう。(自画自賛)
「資材が圧倒的に足りなくなって現実逃避するのは判りますが指示を出してからにしてください」
作戦目標が変更されて部隊を再編したことで副官筆頭になった尼子詮久くんがツッコミを入れる。なお指揮権的に戸次鑑近くんが副官次席で島津忠近くんが副官三位。不測の事態のときの指揮権の優先順位ともいう。
「陣地の真ん中と四隅に3メ-トル(既に毛利で長さの表記は尺ではない)の物見と連弩の櫓を建てましょうか。当面は土嚢を積んで土台としましょう」
「逆茂木は均等に配置しますか?」
砦の防衛担当である島津忠近くんが尋ねる。
「そうですね。北の空堀の底に杭を仕込んで蓋をしてその前に逆茂木を配置しましょう。落ちれば儲けもの。敵を一か所に貼り付けるのが目的ですね」
「上手くいきますか?」
砦からの迎撃担当である戸次鑑近くんが尋ねる。
「一割でも戦闘継続の意思が維持出来ないようにすればこちらの勝ちですからね。あとは三国崩しが到着するのを待つばかりです」
「首領。お待たせしました」
噂をすれば影参上!もとい影が差す。前面にタヌキの顔部を備えた、前脚が大きく残りの脚が短い六対十二脚の足を持つ多脚ゴーレム「灰色熊」が車体後部のぶっとい尻尾を振りながらやってくる。ゴーレムの頭部には服部半蔵くんが座り、荷台には大筒「三国崩し」が鎮座していた。
「三国崩しの運搬ありがとうございます。それで六角はどうなりました?」
俺の問いに服部半蔵くんは「甲賀山中の隠里にて六角四郎を捕縛しました」と答え、経緯を話し始める。簡単にいうと、賢いガチャ産の狼をリーダーとする狼軍団による臭いの追跡だ。
幸いなことに、六角軍を殲滅させた大津近くの戦いで六角定頼が直前まで身に着けていた鎧や兜が押収されており、追跡は非常に簡単だったそうだ。そして捕縛された六角氏当主の命により、観音寺城に籠っていた六角軍は抵抗を止め城を明け渡したという。
・・・ええっと、もしかしてここで砦を造ってるのって全部無駄になったって事ですか?続いて「お気付きになりましたか?」という謎の軍師の言葉が頭をよぎったのは言うまでもなかった。




