第2話 月が赤いですね(謀将たちの悪だくみ)
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1533年(天文2年)4月
- 京 -
「ぶふぁ」
足利義晴さんとの謁見が無事終了し、控えの間に帰ってきた小山田虎親がど派手に息を吐いてその場に座り込む。俺は「はいご苦労さん」とねぎらいの声を掛ける。
「しかしなんだ。将軍さまを相手にビクともしないとか、すげーなお前」
小山田虎親は恨めしそうな顔をする。しかし、こっそりと、でももう何度も主上とお茶会をしている俺に隙は無いぜ。もっとも最近は主上から師匠とか呼ばれているんだよね・・・
「しかし良かったな。左京大夫(武田信虎)殿が望んだように、太郎くんに叙位任官と将軍さまから偏諱を賜って」
俺の仲介が功を奏したのか史実通りというか、武田太郎くんには朝廷から従五位下、大膳大夫が足利義晴さんからは「晴」の字が偏諱として与えられたのだ。
史実と違うのは、叙位任官が太郎くんの結婚のときで使者が俺だということ。予想通りである。そして任務を遂行した小山田虎親は、主上の即位式まで暫く京で情報収集と公卿との顔繫ぎのために暗躍するらしい。百地正蔵さんを紹介しておいたよ。むろん小山田虎親の監視も兼ねているだけどね。
1533年(天文2年)5月
- 備前(岡山南東部) 三石城 -
安芸(広島)を出立した元就さまは、備後(広島東半分)から備中(岡山西部)を経て備前三石城まで進出していた。5万の兵を率いての行軍速度としてはかなり速い。これは備前を治めていた浦上氏が、毛利からの臣従の要請をあっさりと承諾したからだ。
理由としては、現頭領である浦上政宗くんが若干10歳の子供であること。手を結び援軍が望める勢力が、隣国の播磨(兵庫南西部)の赤松政祐しかおらず、その赤松政祐が、2年前の大物崩れで父の浦上村宗を討った仇であることが挙げられる。
浦上氏の家臣の中には臣従を良しとせず出奔した者もいるけどどこに行くんだろうね?まあ、砥石城の城主である宇喜多興家さんが配下になったから良しとしよう。ちなみに宇喜多興家さんは中国地方三大謀将のひとりに成長する宇喜多直家の父親である。
一方、播磨の赤松政祐は毛利氏に降ることを良しとせず、置塩城に籠城して徹底抗戦の意思を見せているという。三好海雲さんの援軍をアテにしての拒否だったはずだが、三好海雲さんがあっけなく毛利氏に降ったことで梯子を外された恰好だ。本人としても振り上げた拳が降ろせないのだろう。
それに加え、彼には2年前に援軍の振りをして細川高国さんの軍を背後から襲って敗北させた過去がある。毛利氏に降伏したと見せかけて、元就さまの本隊が通り過ぎた後で裏切る可能性があるからと、こっそり誅殺される可能性があると考えているのかもしれない。ただ、このまま籠城していても、赤松氏の家臣たちによって無理やり隠居させられるか物理的に首が落ちる未来しかないと思うけどね。
「元近よ。御山を焼くのか?」
元就さまの質問を聞いた口羽広良さんが渋面を作り、尼子経久さんと愚谷軒日新斎さんと龍造寺家兼さんと吉岡長増さんが悪い笑みを浮かべる。なお毛利氏領内での信仰は自由だ。だがキリスト教。お前はダメだ布教させない。
教えは立派だと思うが、この時代にキリスト教の教えを広めている組織(イエズス会)と援助している商人たちが最悪である。彼らは中国を貪り食う気満々だし、日本人の存在を知ってからはキリスト教で洗脳して中国侵略の尖兵に仕立てるべく画策してくる。だから絶対布教を許してはいけない。(重要なので二度言います。)
でもあと10年もしないうちに日本に来るんだよなぁ・・・
おっと、話が逸れた。
「我々が攻めるのは御山ではなく麓の門前町である坂本です」
とりあえず元就さまが抱いた懸念を取り除く。なにしろいまの比叡山は、半将軍といわれた細川政元が行った焼き討ちで廃墟に近い状態にあって焼く意味はあまりない。
「大して変わらんだろ」
元就さまが苦笑いする。
「策があります。御山は焼きません。寧ろ焼けてもらっては困る」
尼子経久さんの言葉に愚谷軒日新斎さんと龍造寺家兼さんと吉岡長増さんが頷く。彼らは今回発動させる坂本侵攻のための指揮官である。
「既に策は策定されているのか?」
「宗教勢力が保有する武力の排除は、我ら御伽衆、一向宗を叩き出す前から複数用意しておりましたから」
俺の自信たっぷりの返事に元就さまはジト目を向けたけど、やがてふむと呟く。
「まずは話を聞こう」
待ってましたと吉岡長増さんが側に置いていた箱を開け、中から紙の束を取り出す。中国地方三大謀将ふたりによる策謀の仕上げが始まった。
その日、東の空に登った丸い月が赤銅色に染まったとか何とか・・・




