第9話 泥かぶれ
難産でした・・・
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1533年(天文2年)2月
武田信虎さんにお願いしていた、甲斐(山梨)における泥かぶれの患者が発生している地域の情報が纏められていく。ただこの時代の地図は、戦略的には秘匿しなきゃいけない情報なので俺が見ている地図は物凄く大雑把だ。俺のゴッドアイアースの前では無力だけどね。あとは武田が見せられると判断した資料に、俺が持っている情報を肉付けするだけのお仕事だ。
「ところで太郎くん。毎日、俺の部屋にやってきて炬燵に入ってゴロゴロしているように見えるのだが問題ないのかい?」
「うむ。俺の仕事は欧仙さまの監視だから問題ないのだ」
俺が船員の娯楽用に用意した仮名手本三国志妖艶義(なお登場人物が全て女体化していて挿絵も肌色が多い)の挿絵を興味深げに読みながら武田太郎くんは嘯く。そして武田太郎くんまだ12歳のお子様だけど、後方で控えている傳役の金丸虎義さんはなにも言わない。
これは今年の秋以降に上杉朝興さんの娘さんが武田太郎くんの元に嫁いで来るくるから、いまからそういうモノに慣らそうとしているからだ。本来は、肌色の多い挿絵で釣って三国志に興味を持たせるための本なんだけど、武田太郎くんは三國志が読めるで釣れた・・・
で、武田太郎くんの嫁は嫁に来た次の年に難産の末に亡くなる。子供だがやることはやる。名門の武家の頭領は世継ぎを作ってなんぼだからね。それに兄弟が多ければ領地を統治するのに便利である。弟に下剋上されたり、親が新たに生まれた子を贔屓にして廃嫡されることもあるけどね。
ちなみに武田信虎さんは、四男である武田次郎くん(長男と三男はすでに夭折している)を溺愛しているという。いま武田太郎くんがフリーダムなのはその辺も原因らしい。難儀やな。
話が逸れた。
この時代の難産や産後の肥立ちの悪さは、出産時の謎の迷信が大きく関与している。(※第三章第三話)金丸虎義さんには後で出産関係の虎の巻を渡しておこう。
-☆-
「この病気は、長さ一寸にも満たない虫が生き物の肝に住み着くことで起きるものです」
中国の医学書みたいな書物をバンバンと叩きながら、今回の泥かぶれの原因調査の発表会に集まっていた武田家家臣の皆さんに説明する。
彼らの手元には、日本住血吸虫の生息域と生活環(日本住血吸虫の一生を図解したもの。中間宿主である巻貝もしっかり記載している)を纏めた冊子もある。
発表会には、武田太郎くんと飯富源四郎くん。それと島津兄弟とゴウレンジャーの皆さんも参加している。あと、中国の医学書みたいな書物は俺が作ったニセモノだけどね。
「では証拠をお見せしましょう」
俺は、鹿の皮で作った手袋を装着し、鍛冶ゴーレムに作らせた小刀を掴んで、泥かぶれが蔓延している地域で死んだ下腹の膨れた状態で死んでいた犬を切開する。本当なら泥かぶれに罹った人間の腹を裂くのがいいのだが、武田信虎さん以外の武田家家臣の皆さんが屁タレたのだ。
仕方ないので、泥かぶれと同じ症状の乳を飲む動物がいるはずだと言って武田家領内を探し回ってもらった結果、目の前の犬が見つかり運ばれてきたというわけだ。
「うおぉ・・・」
取り出された犬の臓物の中から肝臓をとりわけ、用意していた板の上に載せる。
「部分部分に肉の瘤があったり白く変色したり、あと表面に糸くずみたいなものがあるでしょ?あ、これで拡大できるので覗いてみてください」
俺は、ガチャで出た望遠鏡のひとつをバラして作った拡大鏡を希望する人に貸す。
「川魚の体表で似たようなのを見たことが」
「そうです。名を血吸蟲といいます。幼虫は水の中、ある巻貝の中に生息していると中国の書にも書いてあるのです」
飯富源四郎くんの言葉に俺は相槌をうつ。
「なぜ寄生先を水中の貝から陸上の動物に変えるのでしょうか?」
「幼虫の頃は水中にいて小魚すら食べる勝ち虫が空を飛ぶようになって虫しか食べないように、血吸蟲もそういうものだと思ってください」
その説明で飯富源四郎くんは納得したようだ。はいそこちょろいとか言わないように。
「では、これを取り除くことが出来れば治療できるのでは」
「できますが、生きたまま腹を裂くことになりますよ?」
俺の言葉に、「治療できるのでは」と言った男が言葉を詰まらせる。ガチャで華佗やBJな天才外科医のスキルが得られるスクロールでも出れば可能だろうけど、現状では無理である。
「原因がこの白い蟲だとして、腹を裂く以外に治療法は?」
「ありません。この病気は、この白い蟲の幼虫が人間が水中に入ったときを見計らって人体に潜り込み、その後に肝に住み着きます。そのため蟲を殺す生薬を食べたところでその効果が患部まで届かないのです」
「おお、なるほど」と野太い声が上がり、その場にいた全員がうんうんと頷いているけど、理解しているのは船旅の最中に今回の病気の講義を受けていた島津兄弟とゴウレンジャーだけだろう。
「それだけ聞くと感染すると必ず死ぬと思うのですが、実際には死なない人がいるのは何故でしょう」
「体内にいる蟲が少なければ死ぬことは少ないでしょうが、一度に沢山の蟲に侵入されたり、少しだけでも毎年のように身体に侵入されているとやがて肝が壊れ腹に水が溜まります」
飯富源四郎くんの質問に答えを返す。
「ああ、だから発生する場所が、蟲の住む特定の場所に偏るのですね」
飯富源四郎くんの答えに「そうです」と返す。
「しかし、『泥にかぶれる』のが、この蟲が体内に入った印だったというのは驚きです」
好奇心旺盛な武田太郎くんに巻き込まれる形になった金丸虎義さんが感心したような声を上げる。水の中にいる目に見えない虫が刺したというのは、刺されたことに気付き難い蚊やダニを例に出して納得してもらった。
日本住血吸虫の存在を確認して貰った上で、泥かぶれの原因調査の発表会の〆は、泥かぶれを根絶するための指針だ。史実ですら、原因の特定から根絶まで100年以上。終息が宣言がされたのが西暦2000年だったという病気である。相当な困難が予想される。
え?根絶の陣頭指揮を執るんじゃないのかって?病気の原因と対策方法が判っているんだから、粗方の指示を出したら、俺がこの地にいる必要は無いよ。
ではなぜ甲斐に来たのかって?武田一族の面子を立てることはとても大事。
話が逸れた。日本住血吸虫の有効かつ簡単な対策方法は、日本住血吸虫の生息する地域では皮膚を水につけないことだ。だが、それを防ぐための服や足袋のようなモノを用意するには金がかかる。川での水浴びや稲作を諦めるというのも酷だ。
なので、まず収獲する穀物を水稲から麦や蕎麦へ少しずつ移行させること、ブドウや柿といった果物の栽培を提案する。饂飩や蕎麦切といった小麦や蕎麦の実を使った食べ物の作り方を伝授する。どうせなら美味しく食べてください。
ワインやエール酒の作り方は…教えなくてもいいか。
つぎに中間宿主である小さな巻貝の根絶方法として、鯉やカモといった巻貝を捕食するであろう生物の飼育もだ。鯉やカモは食用にも利用できるのも良い。あと発生地域の川を巻貝が住み辛いコンクリートで整備することも勧める。後に無人斎堤とか言われるかもしれない。
巻貝は水陸両用なので、川岸に石灰を撒くのもいいだろう。とりあえず甲斐の「泥かぶれ」問題の方針はこんなところかな?上手くいくといいのだが・・・




