第3話 新型戦艦『角盤』就航
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元就さまういず内閣府との2日間の協議の末、嫁さん二人の帯同が認められた。ついでに、島津貴久くんと伊作又四郎くん改め島津又四郎(史実での島津忠将)くん兄弟を同行させることにする。
将来有能な武将になるというのが解っているので、子供の頃から積極的に英才教育を施している訳だ。
甲斐(山梨)に向かう前に、今川貫蔵さんに筑後(福岡南部)の筑後川沿岸や備後(広島東半分)の芦田川支流や高屋川流域での泥かぶり・・・日本住血吸虫症についての調査を依頼する。
「では調査の方よろしく頼む」
「御意」
今川貫蔵さんは小さく頭を下げ、俺からの指示書を受け取る。無論、病気の原因が目に見えないほど小さな寄生虫で、淡水に生息する巻貝が中間宿主であること。この巻貝が生息している川辺では肌を晒して水辺に近寄らない事などの注意事項も忘れない。
また、水辺に生石灰を撒くことで巻貝を駆除出来ることも伝える。石灰石はセメント生産のため豊後(大分南部)や周防(山口南東部)で大量に産出させているので、護岸工事のついでに肥料になるとかいって撒いて貰うことにしよう。これも、有望な鉱山が検索できるゴッドアイアースさまさまである。
1532年(天文元年)11月下旬
- 安芸(広島) 仁保島 仁保城 港 -
「今回の行程は、安芸(広島)から瀬戸内海を通って摂津(兵庫南東部から大阪北中部)で一泊。その後紀伊半島を回って尾張(愛知西部)で一泊し武蔵(東京から埼玉と神奈川の一部) に入る」
俺の言葉に、嫁さん二人に島津貴久くん島津又四郎くん兄弟そして島津又四郎直属のゴウレンジャーの皆さんが頷く。ちなみにゴウレンジャーとは島津又四郎くんの身辺警護を務めるリーダ-で捕手術の達人本郷四郎剛士さん。鉄砲の名手である東郷十三重朝さん。大槌の使い手である巨漢の南郷次郎三郎氏親さん。剣と槍の使い手である西郷九兵衛基純さん。そして又四郎くんのお世話係だと言い張る隠密少女の北郷美華ちゃんの5人だ。
「そして我々が船旅で使うのがこれだ」
俺は、港に鎮座する全長56メートル、全幅12メートル、吃水約4メートル。3本あるマストは前方に28メートルのフォアマスト。真ん中に32メートルのメインマスト。後方に18メートルのミズンマストを配する大型帆船を紹介する。伊達家が江戸時代に建造したサン・ファン・バウティスタ号よりほんの少し大きいガレオン船である。
ちなみに、両舷には鉄製の『三国崩し』の改良型がそれぞれ3門が搭載され、艦首には巨大な弩が設置されている毛利水軍の最新鋭戦艦である。名前は『角盤』。中国地方最高峰である大山の別名が由来である。
「これは・・・師匠。紀伊の水軍と一戦交えるおつもりですね?」
おお、島津貴久くんは感がイイね。前回、紀伊半島を通ったときは、運んでいるのがバレると厄介な御仁を輸送もとい護送した関係で、紀伊の海賊衆には少なくない金を要求されたのだ。奴らにかける慈悲などない。叩けるときに叩くのだ。
「喧嘩は高く買う主義なんだよ」
「「「でも、明らかに喧嘩売ってますよね?この船」」」
その場にいた俺以外の全員が口を揃える。まあ、帆まで含めて全体が真っ黒な船体というのは威圧感が半端ないか。いや、夢の中で茶坊主が「一切を黒く塗るのが宜しいかと」って提言したんだよ。あれ?赤く塗れだったか?ああ、赤は塗料が漆しか思いつかなかったから却下したんだよね。
まあ黒といっても表面を焼いて柿渋を塗っただけの黒に近い焦げ茶だけどね。黒檀で作れば?ははご冗談を。
- 摂津(兵庫南東部から大阪北中部) -
船員から堺の港が見えてきたという報告を聞いて、俺たちは戦艦『角盤』の船倉から出てくる。
「おう。あれは正しく堺の港。もう堺とは。師匠。前回乗った『赤城』より格段に速いじゃないですか」
島津貴久くんは目を丸くしながら俺を見る。
「3カ月あれば南米までは行けるぞ」
たしかサン・ファン・バウティスタ号がそのくらいの時間で到着している。
「南米というと、大日本海(当時の日本での太平洋の呼称)を挟んだ反対側にあるという港町ですね」
島津又四郎が目をキラキラさせる。ちなみに石見(島根西部)の愛宕司箭院学舎の生徒なら、地球が丸いことや地動説は基礎知識として知っている。島津又四郎くんのように海外に興味のある子なら近隣の情勢も嗜み程度には知っていたりする。
そのせいか、学舎の卒業生には、俺に琉球(沖縄)を併合しましょうとか、高山国(台湾)を早めに占領しましょうと提案してくるものがそれなりにいる。たぶん、『角盤』の存在を知ったら機運が高まるだろうなぁ。
まあ『角盤』が4隻ほどあれば海上からの一方的な攻撃で琉球と高山国はあまり苦労することなくに手に入るだろうけどね。




