第5話 烏合の衆の欧仙軍。三ツ星(茶釜)を掲げ大和に入る
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1532年(享禄5年)3月
- 京 山城(京都南部) 施薬不動院 -
俺が傭兵を募集するという話は瞬く間に広がった。しかし集まった傭兵は500人ほど。なにしろ、京まで逃げていた三好元長さんが「一向宗を討つべし」と檄を飛ばし、京の法華宗門徒を中心にした兵3000ほどが集結し、摂津(兵庫南東部から大阪北中部)に向かって進撃を開始していたから。
ちなみに摂津に侵入した三好元長軍には、先の戦で離散していた摂津の堺公方軍と河内(大阪東部)の畠山軍の残党が合流して兵7000ほどに膨れ上がり大坂本願寺を目指して進撃しているという。
「貫蔵さん、煙蔵さん、半蔵くん居る?」
「「「はっ、ここに」」」
部屋の隅が滲み、今川貫蔵さん、世鬼煙蔵さん、服部半蔵くんが姿を現す。
「貫蔵さん近隣から集めてこられるかな?」
「丹波(兵庫東部から京都西部)の雑兵に波多野の牢人、大和(奈良)の雑兵で300人ぐらいでしょうか」
今川貫蔵さんは指を折りながら数える。
「まあそんなものか。三日ほど出陣の準備時間をかけるから集められるだけ集めてきてください」
「御意」
今川貫蔵さんは姿を消す。
「若狭(福井南部)の輸送基地を再起しましょう。煙蔵さんは補給隊を指揮してください」
「御意」
世鬼煙蔵さんは姿を消す。
「半蔵くんは伊賀(三重西部)を動かして大和(奈良)に侵入した一向一揆軍の攪乱を。一揆軍には勢いしかない。十分な食料や武器を用意してる訳じゃないから、突くならそこだな」
「厭戦気分を蔓延らせます」
服部半蔵くんが姿を消す。
「勝てますか?」
精密な大和の地図とにらめっこしながら戸次親守くんが聞いてくる。
「追い返すだけで・・・って拙いな」
「え?あ・・・農繁期の前でしたね」
戸次親守くんも気付いたようだ。中国地方最大だった大内氏の崩壊は、農繁期前に働くべき農民を毛利氏との戦争に動員して大損害を受け、その後の食糧事情を悪化させたのが原因だ。今回の一向一揆軍も農繁期前に15000もの数が蜂起している。そして三好元長さんの三好軍が7000。しかも宗教対立が原因。どちらが勝っても血の粛清待ったなし。摂津が荒れるのはほぼ確定。よし元就さまに報告だ。
・・・俺が傭兵を募集したこと。集まりが良くないことが噂になったのだろう。近隣から10000人近い人が集まってきた。感謝感謝ではあるが、女子供と年寄りが大半だった。集まった理由も疱瘡が流行した時に助けてもらったからという理由からだ。
申し出は有り難いが、ここで更に農業を放り投げたら飢饉待ったなしである。いざというとき京を守ってくださいとお願いして、兵として腕に少し覚えのある人200を除いて解散して貰う。武器も食料もない10000人近いを短期間雇用とか、勘弁してほしい。
結局、なんやかんやで5日後に近隣(主に丹波)から2000人ほどの戦に覚えのある人が集合。兵の数は3000となった。薬師寺を守るだけなら問題ない。毛利の旗指を掲げるのはチョット問題なので、俺のもうひとつの姿である施薬院欧仙としての家紋である三ツ星(よく見ると三つの茶釜)の家紋が描かれた旗指を掲げて出陣だ。
- 大和 薬師寺 -
「首領さま」
服部半蔵くんが一人の男を連れてやって来た。
「龍王山城城主。十市兵部少輔遠忠と申します」
「畝方石見介元近と申します」
丁寧な挨拶を受けて俺も挨拶を返す。
「残念ながら興福寺は、大和国内の一向門徒によって火を掛けられました」
十市遠忠さんは悔しそうに残念そうに言葉を吐く。うーんやりたい放題だな。
「で、その不届き者どもは?」
「一部は逃げて、南に侵攻してきた一揆軍に合流。越智弾正忠(家頼)殿の高取城を攻めております」
「危ないのでしょうか」
「良舜坊(筒井順興)殿と我が父遠治が救援に赴いております。なに、断続的な攪乱攻撃を受け一向一揆軍の士気は最悪。ほどなく打ち破れましょう」
十市遠忠さんは力強く応えてくれる。ついでに、この辺りは一向門徒衆はすでに追い払っているという。
「しかし、一向宗の暴挙は許せませんが、ここで欧仙殿と知己を得たのは感謝したいですな」
かかっと十市遠忠さんが笑う。何故でしょう?と聞き返すと十市遠忠さん。三条西実隆さんこと逍遙院さんから歌道や書道を習っていたそうで、俺のこともよく知っているらしい。友達の友達か。なら、みな友達だな。
「兵部少輔殿。これも何かの縁でありましょう。高取城への後詰め。お手伝いいたします」
「おおなんと。ご助力感謝いたします」
十市遠忠さんは深く頭を下げる。
「親守。兵を1000ほど抽出。残り2000はこのまま薬師寺を守れ」
「はっ」
側に控えていた戸次親守くんが小さく頭を下げ走っていく。
「半蔵。引き続き後方の攪乱を」
「はっ」
服部半蔵くんが姿を消す。翌日には施薬院欧仙としての家紋が描かれた旗指を掲げた兵が出撃するのであった。




