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元就の野望~全国版~。わたしはガチャを駆使して補佐します  作者: 那田野狐
第2章 有田中井手の戦い編

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第9話 有田中井手の戦い 前哨

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- 1517年(永正14年)10月 -


 俺が元就さまが支配する村で借り受けて開墾した田んぼと唐芋(サツマイモ)畑は大豊作だった。

具体的にいうと、米は村の耕作面積の10分の1という大きさで、収獲は村の3分の1を占めるという量だ。元就さまはこの結果を大変に喜んでくれた。来年はもっと大きな田んぼを任せてもらえそうだ。

 さて、安芸(広島)北部でも大半の場所で稲刈りが終わって農閑期となり、本格的な戦の季節が到来した。具体的には、春先に、武田元繁の檄文に応じて馳せ参じた国人衆の領地にいる農民兵が、今田城の近辺で野営を始めたという情報がもたらされたのだ。

 有田城の城主である小田信忠は、即座に手勢300人を城に籠らせる。


 10月17日。今田城を出立した武田元繁率いる総勢5000人の軍勢は、夕方ごろには有田城に到達し、城の包囲を始める。流石に、兵力17倍の差は如何ともし難く、有田城の城主小田信忠は武田元繁に対し降伏を申し込むのだが、武田元繁はこれを拒否。

 半年も前に臣従するよう檄文を送っているのだから、今更降伏しても受け入れられないというのが安芸武田氏側の言い分だ。そして戦いが始まると思ったが、安芸武田軍は、有田城を包囲しただけで動きを止めた。


- 多治比猿掛城 -


「三四郎。お主どう思う?」


 元就さまが、なぜ安芸武田が動かないのかと俺に質問するのと、評定の間に詰めていたご家来衆の目が俺に集まる。

 ご家来衆と言っても毛利氏の庶家で代々の毛利氏当主を補佐していた坂氏の一門である志道家の広長さん広門さん兄弟。毛利宗家の宿老である中村元明の子供である中村就親さん。毛利宗家の宿老である赤川就秀、元保の末弟である赤川元久さん。

 幼かった元就さまを追い出し多治比の所領を横領した井上元盛の次男だが、井上元盛の死後、元就さまに多治比の所領を返還するように尽力した井上俊秀さん。その井上俊秀さんに協力した井上俊久さん。(俺の元上司である井上光政さんも井上俊久さんの親戚筋に当たるらしい。というか井上さん多すぎである)

 そして、幼かったころの元就さまの後見人で、いまは隠居してご意見番の立場である国司元純さんの8人しかいないのだが・・・


「尼子氏の動向を窺っているのでしょう。雪が降れば山陰は動きが止まりますから」


 俺の指摘にその場の人間が一致して膝を叩く。そう。この時代の日本は小氷河期に片足を突っ込んでいる。進攻先に確実な拠点でもない限り、冬の中国山脈越えなどという無謀はできない。だが、早々に有田城を落とせばどうなるか?

 尼子氏は、雪が降りだす前に喜び勇んで安芸に進出してくるだろう。だがそうなると、安芸守護職としての復権を目論む武田元繁にはちょっと都合が悪い。嫁の実家で援助者でもある尼子氏が安芸に出張る前に、安芸北部は完全に支配下に置いておきたいのが本音だろう。


「雪が降りだすまで動かないと言うなら、色々仕込んでおきませんか?」


「ほう?」


 元就さまが片眉を上げる。


「武田元繁が家臣。熊谷元直の居城、三入高松城に調略をかけましょう」


「お主何を」


「城主が今田城に詰めてる今が策を弄する好機じゃないですか」


 俺の提案に元就さまがポンと手を叩く。


元純(じい)。近隣の村に調略を頼めるか?俊久。護衛として同行を。俊秀。大殿に手紙を出すので届けてくれ」


「「はっ」」


 多治比猿掛城が、対武田戦に向けて動き始める。



- 1517年(永正14年)10月末 -


 朝晩の空気が冷えてきた。微妙に史実からずれている気がする。そして、ようやく北に連なる山の天辺が白くなってきた。


「三四郎。その筒は何じゃ?」


 志道広長さんが焼き芋を頬張りながら尋ねてくる。いま多治比猿掛城では、空前の焼き唐芋(サツマイモ)ブームだ。甘くて腹が膨れてアツアツで、しかも量がある。調理方法が簡単なので自分で作れば毒を気にしなくていいのも人気の秘密だ。来年の春に各村で植えることが速攻で決まったのは言うまでもない。


「望遠・・・天狗の遠見筒です。お天道様は見ないよう、あの山を見てください」


 俺は、昨日のガチャで出たSRアイテムである望遠鏡を渡す。もっとも、外見は装飾のしてある竹筒なんだけどね。


「おお、これはすごい。遠くの山が近くに見える。ああ、山頂付近が白いな」


 そういって志道広長さんは僅かに考えこむ。


「そろそろ武田が動くという事か・・・そうそう三四郎。お主、元服する気は無いか?なにお館さまがな。その気があるならと仰っていてな」


 いきなりそんなことを言う志道広長さん。この時代、公家や武士でもない限り、子供の元服を祝うことはない。庶民が元服を祝うようになったのは江戸時代に入ってからの話だから、傭兵として売り込んだただの三四郎である俺が元服していないと思われている。

 元就さま、この戦で俺を家臣の誰かの養子にして元服させ、武士として正式に登用するつもりのようだ。そろそろ、食客などという肩書で元就さまの周辺をうろつかせる訳にはいかなくなったのだろう。ということは、この前、評定の間で家臣に会わせたのも計算の上か?


「実は宮庄殿がな・・・」


 広長さんが言う宮庄殿とは、吉川家家臣の宮庄経友さんのことだ。先日、吉川家の使者として城に来たときに槍を贈ったことで縁を繋いだ人だ。

 どうやら、贈った槍が実に手に馴染んだ様で、俺のことでアレコレ探りを入れているとのこと。で、俺が名無しの三四郎・・・武家の人間でない事。食糧として優秀な唐芋(サツマイモ)を多治比領に持ち込んだことを知ったようだ。多治比家が武士として俺を遇さないのなら、吉川家、いや宮庄家に欲しいということらしい。

 なんでも宮庄経友さん。親である吉川国経さんから宮庄という場所を所領に貰ったとき、宮庄を名乗って分家を立てたけど、人手不足で領地運営が回ってない。

 これは、前将軍の足利義稙を奉じて1508年(永正5年)に上洛するも、いまだ近畿から帰れていない周防(山口南東部)の守護大名である大内義興さんが原因だ。大内軍が上洛する際に次々と従属していった安芸の国人衆だけど、9年放置されていれば箍が緩む。

 そこに出雲(島根東部)の尼子経久が調略を仕掛け、安芸の国人衆は大内か尼子かで日々、離散集合して争っている。物理的に人材が擂り潰されているのだ。今回の戦も、尼子の支援を受けて従属していた大内に反旗を翻した安芸武田による勢力拡大だしね・・・


 で、元就さまは急いで俺の身分の体裁を整えることにしたらしい。元就さまに都合がいいのは、この戦いで俺が目立つ功績を挙げ、元就さまを烏帽子親に新たに家を興すこと。楽なのは国司元純さんの家に養子に入ること。

 手柄を立てれば元就さまを烏帽子親に、もしそうでない場合は国司元純さんの家に養子ということで話を進めることにした。


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[気になる点] >なにお館さまがな。その気があるならと仰っていてな」 屋形様って室町幕府だと免許制だから、近隣だと国持衆の武田か御相伴衆の大内のことかと思い変だと思っていました。 やっぱり、元就さんの…
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