表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元就の野望~全国版~。わたしはガチャを駆使して補佐します  作者: 那田野狐
第15章 旧体制の落日編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

133/278

第4話 鹿苑院の茶入と大物崩れ

閲覧・感想・ポイント評価・ブックマーク・誤字報告ありがとうございます

1531年(享禄4年)7月


- 越前(岐阜北西部を含む福井嶺北) 敦賀 -


「ご無沙汰しております。また、出陣の前の忙しい時期にもかかわらずお会いいただきましたこと、感謝いたします。太郎左衛門尉殿」


 俺はそう言って頭を下げる。


「いや、こちらこそ。あと儂は敦賀郡司辞した後に出家して宗滴を名乗っておりますれば。そちらの名前でお願いしますぞ、欧仙殿」


 小太郎さんこと朝倉宗滴さんがかかと笑う。どうやら敦賀郡司の職を養子の朝倉景紀さんに譲った際に出家したらしい。


「で、此度の訪問は如何様で?」


 朝倉宗滴さんが、値踏みするような目でこちらを見る。


「吉光のお礼を言いに来たのです」


 そう言って俺は懐から一通の書状を取り出して宗滴さんに渡す。朝倉宗滴さんはざっと書状を読み苦微笑を浮かべる。書状には資金と食料併せて5000貫文の支援を申し出ることが書いてあるのだ。


「安芸(広島)に真宗は?」


 朝倉宗滴さんは書状の意味を正しく理解したようだ。


「穏健派だけですな」


「そちらに利があるとは」


「はは・・・(信仰を)弾圧するつもりはありませんが、今の山科。あれはいけません。」


 現在一向宗のトップは第10世法主の本願寺証如だが、実権を握って差配しているのは本願寺証如の外祖父である本願寺蓮淳という、一向宗内での権力集中を図るために北陸と近畿の騒乱を量産している男だ。

 今も加賀(石川南部)にある若松本泉寺、松岡寺、山田光教寺の賀州三ヵ寺との抗争のため近畿と東海の一向門徒に動員をかけ兵を送っている。

 朝倉宗滴さんは賀州三ヵ寺を支援するための軍を起こしている最中なのだ。


「現世利益を求めない死兵ほど厄介なものはありませんね」


 俺の言葉に朝倉宗滴さんは悪い顔をする。


「ただ、毛利から朝倉への支援という形は宜しくありません。宗滴殿が(それがし)に吉光を売っていただいた代金・・・という名目で納めてください」


「いやいや、流石にそれは・・・そうだ、これを持っていけ」


 そう言うと朝倉宗滴さんは違い棚に置かれていた箱を手に取り俺に差し出す。


「鹿苑院(足利義満)さまの茶入だ。これを持って行け」


 これは結構なものを頂いた。


1531年(享禄4年)8月


 細川高国さんと浦上村宗の連合軍が摂津(兵庫南東部から大阪北中部)中嶋に兵10000を率いて布陣。一方三好元長さんは摂津住吉に兵7000を率いて布陣を完了させる。細川高国さんたちの軍が半分になっているのは、堺公方が他所へ逃亡しないように包囲するために軍を分散させたためだ。

 事ある毎に近江に逃げている細川高国さんらしいと言えばらしいが、これからの彼らの事を考えれば悪手だ。ただ、何が起こるか細川高国さんには言ってない。細川高国さんと三好元長さん。どちらが生き残って欲しいかと言えば三好元長さん。

 元就さまを九州探題に任命したことを恩着せがましく言って上洛させた細川高国さんにこれ以上タカられても困るのだ。あと、三好元長さんにはあの勢力との対決でも共同歩調が取れるからね。


- 三人称 -


「管領さま。播磨(兵庫南西部)から赤松左京大夫(政祐)殿の援軍が到着しました」


「そうか。これで目の前の三好筑前守が潰せるな」


 供回りのひとりからの報告を聞き、細川高国は安堵の息を吐く。細川高国・浦上村宗の連合軍と三好元長の軍が摂津・阿倍野の森を挟んで、ただ矢を打ち合うだけの小競り合いが続いてほぼ2カ月。

 連合軍内に酷い厭戦気分が蔓延していたのだ。


「掛かれ!」


「「「応!」」」


 戦場に着陣した赤松政祐軍から鬨の声が上がり、細川高国軍に襲い掛かった。


「な、なんだと?」


 細川高国はいきなりの状況変化に狼狽える。同時に三好元長軍からも鬨の声が上がり、そこで細川高国は三好元長と謀って赤松政祐が裏切ったことを理解する。


「とにかく浦上掃部助殿の軍と合流だ」


「はっ」


 細川高国は浦上村宗と合流すべく軍を動かすが、浦上村宗軍は、播磨で徴収した兵が我先にと赤松政祐軍へと寝返り既に瓦解していた。


「浦上掃部助、討ち取ったり!」


「薬師寺与次・三郎左衛門尉、討ち取ったり!」


「波々伯部兵庫助、討ち取った!」


 浦上村宗を始めとする兜首を討ち取ったと言う声があちらこちらから上がり、ついに細川高国軍も瓦解する。

 後に「中嶋の野里川は細川管領軍の兵士の遺体でみっしり」と囁かれるほどの死者が出たという。

 細川高国は10騎ほどの供回りを引き連れ、命からがら大物(だいもつ)城へと逃れたが、大物城は既に赤松政祐に占領されていた。

 堺公方を逃がさないように包囲すべく自軍を分散させたが、分散させていた兵の大半が元々の主(赤松政祐)の寝返りに応じたことで、逆に細川高国の包囲を完成させていたのだ。細川高国は更なる袋小路、尼崎へと落ち延び行ったという。

 この戦いは後の世に大物崩れと呼ばれることになる。

有名な九十九髪茄子の茶入。本来なら宗滴さんから越前小袖屋に質流れします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ