第2話 尾張の場合 信秀の下剋上成る
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1530年(享禄3年)4月下旬
細川高国の上洛要請を受け、京に出向いた織田達勝軍兵3000は、京、山城(京都南部)と南近江(滋賀南半分)の国境付近で、細川晴元配下の柳本賢治軍と睨みあったが、とくに何かをするでもなく尾張(愛知西部)に戻る。
もっとも、上洛を要請した細川高国はとっくの昔に京から遁走しており、今回の織田達勝の上洛もほぼ見栄のためだけに行ったに過ぎない。尾張に入ったところで出迎えられた織田達勝とその供回りたちは手際よく拘束される。
「貴様ら、縄を解け。儂は尾張守護代の織田大和守達勝だぞ!」
織田達勝は青筋を立てて怒鳴り散らすが、彼を捕らえた兵たちは何の動揺も見せない。
「大和守さまには、前の守護、斯波左兵衛佐さまの殺害を指示した容疑がかかっております」
ひとりの兜首が姿を現す。
「貴様、平手五郎左衛門!さては弾正忠の」
織田達勝は、自分の部下の部下である見知った顔が現れたのを見て吠えた。
「弾正忠さまは忠告されましたよね?この時期に本拠地を空けて京に行くなど正気の沙汰でないと」
平手政秀は悪い顔をして言う。
「平手さま」
「なんだ?」
雑兵が平手政秀に声をかける。
「兵を解散しても良いのかと問い合せが」
「ああ、遠征軍の大半は賦役であったな。弾正忠さまより銭を預かっておるから配ってから解散させよ」
雑兵は「はっ」と返事をすると踵を返して去っていく。
「まったく。田植えの前のこのくそ忙しい時期に農民を連れて京観光とか呆れるばかりだ」
ぶつぶつとボヤキながら平手政秀は織田達勝の方に振り返る。
「では大和守殿。清洲に戻りましょうか」
これから自身が遭うであろう恥辱に織田達勝の顔が真っ青になった。
- 尾張(愛知西部) 勝幡城 -
平手政秀によって清洲まで縄を打たれてドナドナされた織田達勝は武家としての面目を潰した。しかも確たる証拠は無いが、状況として織田達勝が一番怪しいだけで犯人扱いされるという本人噴飯の状況である。
「織田弾正忠を討て!」
当然だが嫌疑不十分で釈放?された織田達勝は即座に織田信秀を討つため兵1500を集め挙兵した。
「待ってました!」
織田達勝の挙兵を聞いて織田信秀はパンと膝を打つ。
「領民に布告せよ。戦である。参加するだけで30文。さらに生き残れば30文を払う。更に今なら先着1000人に槍を貸すぞ」
「はっ」と声を上げ、傍に控えていた文官が部屋を退室していく。織田信秀の銭払いの良さは既に知れ渡っており、その効果か、はたまた織田信秀の人徳か、たちまちの内に兵4000が集まる。
「圧倒的ではないか。我が軍は」
布告して僅かな時間で勝幡城に集まった兵士を見て鎧姿の織田信秀は叫ぶ。
「やっぱり戦いは数だよ。兄貴」
織田信秀の左隣にいた彼の2番目の弟である織田信康が大きく頷く。織田信秀は眉毛が薄く目は三白眼だがアゴのしゅっとした顔だが、織田信康は眉毛が太く濃く四角い顔をしている。なんと言っても目立つのは左頬の刀傷とその大きな身体。何というか全く似ていない兄弟である。
「策は如何しましょう。三郎兄上」
織田信秀の左隣にいた三番目の弟である織田信光が尋ねる。こちらは頬がこけていて神経質そうな顔をしている。こちらも織田信秀、織田信康の二人の兄どちらにも似ていない。
「兵力差は2.5倍。策など要らんだろう。孫三郎」
織田信康はぎろりと織田信光を見る。
「兵力差が2.5倍だからこそ策ですよ?与次郎兄上」
明らかに見下したような顔で織田信康を見返す織田信光。
「与次郎、孫三郎。出陣の前に和を乱すな」
織田信秀の言葉に「はん」と鼻を鳴らすと、織田信康は苦虫を潰したような顔になる。
「達勝の方が先に手を上げたのだ。その辺を突けばいいだろ?ああ、兵を分けて達勝の他の城も落しておくか。任せていいか?孫三郎」
「兵を500ほど」
「任せた」
織田信秀の言葉に織田信光は「御意」と言い小さく頭を下げる。
「では狩りといこうか」
「「「「おう」」」」
その場にいた全員の声が響いた。
- 土佐(高知) 山路城 -
- 主人公 -
勝幡城を出撃した織田信秀軍と清洲城を出撃した織田達勝軍は誓願寺付近で激突。織田信秀はこの戦いで三間(約五・四五メートル)の槍を1000用意して兵に装備させ織田達勝軍を圧倒したという。
俺が有田中井手の戦いで織田信長の戦法を利用したように、織田信長の親父が俺の戦法を利用したらしい。長槍の利点に気付くとは中々である。
結局、織田達勝は清洲城に撤退する前に織田信康に討たれ、織田達勝が支配する城は弟の織田信光によって占領。その勢いのまま尾張は信秀によって統一され、斯波義統により織田信秀は守護代に任じられたという。




