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魔法学園80

 

 翌朝。

 意気揚々とレンツォの部屋へ訪れたヴィヴィは、誰もいないことにがっかりした。

 長椅子で眠ったような形跡があり、食事の跡も見られるが、本人がいない。


「お嬢様、レンツォ様はお留守のようですね。このままお部屋にいるのはまずいのではないでしょうか?」

「でも、鍵が掛かってなかったんだからいいんじゃないかしら? そもそも、私たちが来ることはお父様から聞いているはずなんだもの。いないほうが悪いのよ」

「――なかなか図太いお嬢さんだな」


 ミアと二人、入口に立って話していたヴィヴィは、いきなり聞こえた声に驚いた。

 声のほうへと振り向けば、続き部屋になっているらしい場所から、半裸の状態で若い男性が歩いてくる。

 半裸というよりも、腰にタオルを巻いた状態で、濡れた髪を拭いているので、どうやら湯を浴びた直後らしい。


「お嬢様!」


 慌ててミアが庇うように前に出て、ヴィヴィの視界を塞ぐ。

 危険からミアを守るというより、未婚女性が目にしてはいけないものから隠すといった目的のようだ。


「大丈夫よ、ミア。あんな貧弱な体を見ても何でもないから」

「え? い、いえ、そうではなくて……」


 確かにヴィヴィはお嬢様だが、男性の上半身裸くらい前世ではいくらでも、今世でもこっそり闘技場を覗いて見ているので平気である。

 むしろ闘技場で鍛錬の終わりに騎士科の生徒たちが汗を拭うために上半身裸になる姿は、女生徒たちのご褒美なのだ。

 しかし、ミアの言い分は当然だが違うらしい。


「ふむ。確かに私の体は貧弱だろうな。運動はせず陽にも当たらず、最近は食事さえろくにしていない」

「それは健康のためにもよくないですよ。医者の不養生っていうか、薬師の不養生? 人の病気や怪我を治すための薬師が病気になってどうするんですか。研究に没頭するのはいいですけど、やはり切り替えは必要です。三度の食事に、きちんとした睡眠。これが健康にも頭の回転にもいいんですよ」

「確かに、そなたの言う通りだな。昨日、新たに本を読もうとして、そこに置いてあった手紙に気付いた。少々疲れも感じたので、書いてある通りに食事をとり、睡眠をとった今では、かなり頭の中がすっきりしている」

「体もじゃないですか?」

「そうだな」

「お二人とも! お話はあとになさってください! あのレンツォ様? あなた様はとにかく何かお召しになってください!」


 ヴィヴィとレンツォが顔も合わせず会話を続けていると、ミアが口を挟んだ。

 本来なら身分の高い者たちの会話に割り込むなどしないのだが、状況が状況だけに我慢できなかったらしい。


「おや、そういえばそうだ」

「そうでしたね。では、私たちは外にでております」

「いや、かまわない。着替えは隣の部屋だ。座って待っててくれ。ああ、君は悪いけど、そこにあるお茶を淹れてくれると嬉しいな。頼むよ」

「は、はい。かしこまりました」


 半裸の男――レンツォはミアの言葉に自分の恰好を思い出したらしい。

 そしてヴィヴィの申し出を断り、昨日片づけて座るスペースのできたソファを勧め、ミアにはお茶を淹れてくれるように頼んで出ていった。


「変人……なのかもね。でも期待したほどじゃないわ」

「お嬢様……私はお嬢様が信じられません」

「そう? まあ、細かいことは気にしなくていいじゃない。手伝いましょうか?」

「いいえ、どうぞお掛けになってお待ちくださいませ」


 ミアに促されておとなしく座って待っていると、レンツォが服を着て戻ってきた。

 ちょうどお茶も入ったところだ。


「さてと、改めて自己紹介をするべきだろうな。私はレンツォ・ボンガスト。王宮勤めの薬師だよ。君は、バンフィールド伯爵のお嬢さんだね?」

「はい。ヴィヴィアナ・バンフィールドと申します。どうぞヴィヴィとお呼びください。そしてこちらは、私の侍女のミアです。基本的な魔法は扱えますので、きっとお役に立てるかと思います」

「ふむ。まあ、昨日はこの部屋を片付けてくれたようだし、助かった。どうも研究に没頭すると、全てが見えなくなって部屋も散らかし放題になるんだ」

「勝手に触ったと、お怒りにならないのですね」

「なぜ、怒る? このように綺麗に片付いて、しかも書籍については、とてもわかりやすくなっている。実に便利だ」

「そうですか……。それでは、さっそくお役に立てたようで安心しました」


 ここは勝手に触るなと怒るのがお約束だと思っていたのだが、普通に感謝されてしまい、ヴィヴィはなぜか残念に感じた。

 レンツォはちっとも変人ではないと思う。

 そう思ったヴィヴィはその後、それがかなり間違っていたことを痛感することになった。


 ヴィヴィとしては弟子入りしたつもりだったのだが、レンツォにはまるで同僚のように扱われるのだ。

 しかもミアまで。

 普通に、この実験結果についてはどう思うかと問われ、さっぱりわからないと答えると、もっと勉強しろと本を渡される。

 雑用を言いつけられることもなければ、レンツォは自分でしようとしてミアが慌てて引き受けることになる。

 すると「ありがとう」お礼を言い、部屋が綺麗に片づけられると喜んだ。


「確かに、変わっている人よね。レンツォ様は」

「はい。私もかなり薬草に詳しくなってしまいました……」


 ぽつりと呟いたヴィヴィに、ミアも大きく頷いて答える。

 ヴィヴィたちは今、レンツォに頼まれてとある貴族に薬を届けて戻るところだった。


 何が一番に変わっているかというと、レンツォは何事においても〝頼む〟のだ。

 命令されたことは一度もなく、それはミアも同様だった。

 これが父の言っていた「身分も、性別も関係ない」ということなのかと感心してしまう。

 いつもこんな態度なのなら、ボンガスト侯爵家直系の人間であるレンツォが変人扱いされるのも当然だった。


 もうすぐ長期休暇も終わる。

 直接教えてもらったわけではないが、自然と薬草についての知識を身に着けていたヴィヴィは満足していた。

 ただし、このままレンツォの許を去るのは心配だった。


「レンツォ様は、世話好きの弟子をとるべきよね……」

「さようでございますねえ。せっかくあそこまで綺麗になったお部屋が、また散らかるかと思うと……」


 二人してレンツォのこれからを心配して、ため息を吐いた。

 いっそのこと父に頼んでレンツォの世話係を手配してもらおうかと考え、そうなるとボンガスト家と確執ができるかもしれないと思い至る。

 それでも何か他に方法はないだろうかと考えながら歩いていると、ふっと目の前に影が差した。


 何かと顔を上げれば、見知らぬ男性が三人。

 ミアがヴィヴィを庇うようにさっと前に立つ。

 つい最近もこんなことがあったなと呑気にヴィヴィが思っているうちに、男性たちはにやにや笑いながら口を開いた。


「この辺では見かけない娘だな」

「新しいメイドか? お前たち、名前は何て言うんだ?」


 どうやらヴィヴィたちを王宮仕えのメイドと勘違いしたらしい。

 たちの悪いナンパだなとヴィヴィが白けた目で男性たちを品定めしていると、ミアが堂々と答えた。


「こちらは、バンフィールド伯爵のご息女でいらっしゃいます。ですから、このように紹介もなく話しかけられるなど失礼です」


 途端に、男性たちはげらげらと笑いだした。

 そんな状況の中で、ヴィヴィは面倒なことになったなとため息を吐いた。




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