魔法学園76
「ヴィヴィアナ君、ラストダンスをお願いできますか?」
「はい。もちろん喜んで」
ラストダンス前の曲が終わると、ランデルトがヴィヴィを迎えにやって来た。
ヴィヴィはランデルトに誘われて顔を赤くしながら、差し出された手を取る。
未だにランデルトに名前を呼ばれると、胃がきゅっと縮んだような気がして苦しくなるのだ。
ランデルトの笑顔も凶器だが、その低い声もヴィヴィには凶器だった。
かなり慣れてきたが、それでもまだこんなに威力がある。
しかも、付き合って半年にもなるのに、こうして腕を組んだりするのも数回。
社会的に当たり前ではあるのだが、すごく大切にされている気がして、ヴィヴィは嬉しかった。
「足の怪我はもうよろしいのですか?」
「ああ、もちろん。すっかり治ったよ。ありがとう」
闘技場でもしっかり鍛錬する姿は見ていたのだが、やはり心配になってヴィヴィが尋ねると、ランデルトは嬉しそうに微笑んで答えた。
ちなみに、あの食堂でのデートからしばらくして見かけたランデルトは、またダニエレとともに顔に怪我をしていた。
とにかく、無理をしているようではないので安心したヴィヴィに、ランデルトが急に話題を変えて問いかける。
「そういえば、先ほどはジェレミア君と何かあったのか?」
「はい?」
「彼にしては珍しく……動揺していたようだったから」
「ご覧になっていたんですか?」
「それは……やっぱり見てしまうというか……」
ヴィヴィが驚くと、ランデルトは顔を赤くして言い淀む。
どうやらこれは、ヴィヴィと同じようについ目で追ってしまうということらしい。
(それに、ひょっとして、もしかして、自惚れじゃなくて、まさか嫉妬してくれてる!?)
たとえ自分の恋人だとしても、やはり嫉妬はしてしまうものだ。
ヴィヴィも先ほど、知らない女生徒と踊っていたランデルトを見て、すぐに目を逸らした。
仕方ないとわかってはいても、他の女性を腕に抱いて微笑んでいる姿は見たくない。
そこでヴィヴィは気付いた。
ランデルトは騎士科ということもあり、女子生徒と一緒にいることはほとんどないが、ヴィヴィは今までジェレミアやフェランドとよく一緒にいたのだ。
五年の付き合いから遠慮もほとんどなく、馬鹿馬鹿しいやり取りを楽しんでいた。
昨年の今頃はランデルトとクラーラ先輩との仲を誤解して、ヴィヴィは諦めながらも嫉妬していた自分を思い出す。
「あの……」
「うん?」
「えっと、今日の交流会は大成功ですね」
「そうだな。今のところ問題なく無事に終わりそうだ」
ジェレミアやフェランドは本当にただの友達なのだと言おうとして、結局ヴィヴィは言わなかった。
わざわざ訊かれてもいないのに、言うこともない。
そもそもランデルトが何とも思っていなかったら、余計なことでもある。
そのため、口にしたのは交流会のことで、ヴィヴィは一人心の中で決めていた。
たとえ友達でも、必要以上に仲良くするのはやめよう、と。
それは自分たちだけでなく、この先現れるであろうジェレミアの好きな人に対する礼儀でもあるのだ。
(それにしても、ジゼラさんのことはどうなったのかしら……?)
二人は傍から見ていてつかず離れずのようで、よくわからない。
だが詮索することでもないので、ヴィヴィは目の前のランデルトに集中した。
どうか魔法祭の舞踏会でもこうして踊れますようにと祈りながら。
やがて曲は終わり、お互い礼儀正しくお辞儀をすると、ランデルトは離れていってしまった。
これから閉会の挨拶をするためだ。
ヴィヴィは会場から、壇上へと上がるランデルトをうっとりと見つめた。
すると、演台の前に立ったランデルトは、ちらりとヴィヴィを見て口の端を上げる。
それはほんの一瞬で、おそらく生徒のほとんどが、ランデルトが笑ったことに気付かなかっただろう。
だからヴィヴィは一人、自分に向けられた微笑みに悶えていた。
(ダメ、興奮して倒れそう……)
気分はすっかりアイドルファンである。
本当に、あんなにかっこいい人が自分の恋人――彼氏だとは信じられない。
そもそもランデルトの魅力に気付いていない女子が多すぎる。
人気者になるのも複雑だが、みんな見る目がないなと思ってヴィヴィが周囲を見回すと、先ほどの数人の女子生徒とは違った視線に気付いた。
それは、男子生徒からランデルトへの熱い視線である。
雰囲気的に騎士科の生徒だとわかる者も多いが、四、五回生あたりの男子生徒も多い。
(うん、わかる。わかるよ、その気持ちも)
おそらくヴィヴィが男でもランデルトには惚れていただろう。
憧れの先輩として。
(そういえば私、前世では『来世は男に生まれ変わりたい』って思ってたなあ)
子供の頃は何も考えていなかった。
どちらかというと高校生の頃までは女子を楽しんでいたと思う。
ただ大学生になり社会人になり、毎日の服のコーディネートに朝の化粧、下着の締め付けの苦しさに、毎月のものの憂鬱、夜は化粧を落としてからお肌の手入れ……などなど、面倒でうんざりしていたのだ。
極めつけは三十歳を間近に友達が次々と結婚していく焦り。
そこまで思い出して、ヴィヴィは拍手の音に我に返った。
慌ててヴィヴィも拍手をする。
ランデルトの挨拶はいつも簡潔だ。
耳に心地よい声を聞いていただけで、内容を聞き漏らしていたことに後悔する。
だが、壇上を下りるランデルトを見つめながらも、ヴィヴィの頭の中には前世のことが占めていた。
みんながぞろぞろと会場を後にして寮へ帰り始めると、ヴィヴィも流れに乗ったが、いつものようにマリルやアルタを捜すことはしなかった。
前世では色々なイケメンダメ男と付き合った記憶はあるが、結婚をしていた記憶がいっさいない。
要するに、三十歳前までの記憶はあるが、それ以降がないのだ。
(私って、早くに死んじゃったのかな……)
今まで自分が死んだ原因など考えたことはなかったが、急に怖くなってきていた。
家族の顔はおぼろげながら思い出せる。
イケメンダメ男はイケメンだったというだけで、顔は記憶にない。
男運は悪かったが、家族や友達には恵まれていた記憶はしっかりあるのだ。
だからこそ、早く死んでしまったことで、家族や友達を悲しませたのだとしたら、すごく申し訳ない気持ちと苦しさに襲われてきてしまった。
「ヴィヴィ!」
「……マリル」
ぐんぐん沈んでいたヴィヴィに、明るく声をかけてくれたのはマリルだった。
振り向いて笑顔を浮かべたつもりだったが、マリルはヴィヴィの顔を見て眉を寄せる。
「どうしたの? 顔色が悪い……ひょっとして気分が悪いの? 会場は暑かったものね。どこかに座って休む?」
「え? あ、違う違う。大丈夫よ。ちょっと考え事をしていただけ」
「本当に? ヴィヴィはすぐ我慢するから心配だわ」
「本当に大丈夫なんだけど……」
「うーん。確かに、顔色はよくなってきたみたいだけど……。ヴィヴィはみんなのことはあれこれと心配して世話を焼いてくれるのに、自分のことに関しては無頓着だから……」
「そ、そうかな?」
「そうよ。だから私はヴィヴィが大好きだけど、そこが不満なの。もっと私を頼ってね。頼りないとは思うけど」
「ううん、そんなことないよ。私はマリルの存在に何度も救われてるんだから」
「本当?」
「ええ、本当。だから、これからもよろしくね」
「それなら任せてちょうだい」
心配するマリルと話しているうちに、ヴィヴィは元気になってきていた。
前世では早く死んでしまって家族や友達を悲しませたかもしれない。
だけど今、こうして自分を心配してくれる友達がいて、大切に思ってくれる家族がいる。
だからこそ、前世の分まで今世で幸せになろう。
知らないうちに心に溜まっていたわだかまりがすっきりしたヴィヴィは、アルタやリンダとも合流して、楽しく笑いながら寮へと戻っていった。




