魔法学園142
当然、ヴィヴィの護衛とジェレミアの騎士との間に少々の悶着はあったが、すぐにヴィヴィが間に入ることで落ち着いた。
どう考えてもヴィヴィが悪い。
それなのに護衛たちを巻き込むわけにもいかず、ヴィヴィはおとなしくジェレミアの執務室に戻った。
そして部屋に入ると、そこにはジェレミアだけでなく、父と兄のヴァレリオまでいたのだ。
「お、お父様……お兄様まで。あの……ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「まったく迷惑ではないよ、ヴィヴィ。なぜ急にこんな話になったのかは知らないが、ジェレミア殿下との結婚が嫌ならはっきり言いなさい。我慢する必要はないんだ」
室内にマリルとフェランドの姿はない。
ヴァレリオは心配げな表情を浮かべており、ジェレミアはヴィヴィの言葉を立ったまま静かに待っていた。
「い、いえ、お父様。そうではなくて……」
当たり前だが、ヴィヴィの複雑な心境を代弁してくれる者はおらず、このちょっとした騒動の決着は自分でつけなければいけなかった。
家族の前で宣言するのは恥ずかしいが、ヴィヴィはどうにか勇気を出して父を真っ直ぐに見つめる。
「私は、ジェレミアく――ジェレミア殿下が好きです。ただ自分でも気づいていなかったせいで、色々と混乱してしまったんです。それでつい逃げ出してしまいましたが……もう大丈夫です」
最後はジェレミアを見つめて告げた。
どうやら自分は混乱すると逃げ出してしまう悪癖があるようだが、これからはそれも直さなければならないだろう。
ヴィヴィの言葉を聞いて、父よりも兄よりもジェレミアは驚いたようだったが、すぐに優しく微笑んだ。
「ヴィヴィアナさん、ごめんね。ヴィヴィアナさんの気持ちがわかって、嬉しさのあまり暴走してしまった。そのせいで、怖がらせてしまったね」
「ジェレミア君……」
「伯爵もヴァレリオ殿も、お騒がせして申し訳ありませんでした。ヴィヴィアナさんとはもっときちんと話をしてから、色々と決めたいと思います。ですから、どうか認めていただけませんか? 僕はヴィヴィアナさんを絶対に幸せにすると約束いたします」
「……ヴィヴィは本当にいいのかい?」
ジェレミアの誠意ある言葉に、父は渋々ながらも認めたようだ。
あとはヴィヴィ次第だとばかりに問いかけてくる。
ヴィヴィはジェレミアの言葉に胸がいっぱいだったが、それでもはっきり頷いた。
「はい、お父様。ただ……もう一度ちゃんと殿下と話をしたいので、どうか二人にしてもらえませんか?」
本当なら逃げ出す前に、ジェレミアとしっかり話し合うべきだった。
だが、してしまったことは仕方ない。
とにかくジェレミアに先ほどのことを謝罪して、その理由も説明したかった。
「話をするのはかまわないが、二人きりというのは――」
「父さん、いいじゃないですか。隣の部屋にはマリルさんがいますし、我々がいても無粋なだけですよ」
「しかし……」
ヴィヴィのお願いに難色を示した父に、ヴァレリオが口添えして助けてくれる。
父も迷ったらしいが、もともとヴィヴィのお願いには弱く、さらには以前にヴィヴィの好きにさせると言った手前、反対できなかったようだ。
大きくため息を吐いてから、ジェレミアに厳しい視線を向ける。
「本来なら許されることではありませんが、隣の部屋にはマリル嬢も――バレッツ夫人もいることですし、認めましょう。私は殿下を信頼していますからね」
とても臣下とは思えない言葉を口にすると、父はヴィヴィに向き直った。
途端に渋面が笑顔に変わる。
「いいね、ヴィヴィ。もし嫌なことがあったらいつでも逃げてかまわないんだ。それから、帰る前に私の部屋に寄りなさい」
「――わかりました。ありがとうございます、お父様、お兄様」
ヴィヴィには優しい言葉をかけて、父と兄はジェレミアの執務室を出ていった。
本当に家族はヴィヴィに甘い。
ジェレミアは穏やかに微笑んでいたが、二人が出ていくとヴィヴィに向き直った。
「ヴィヴィアナさん――」
「ジェレミア君、ごめんなさい!」
「何が?」
「に、逃げ出したりして……」
「ああ。いいよ、それは。逃げても絶対に捕まえるから」
「え……」
許してくれたようで、やはり怒っている。
そう感じたヴィヴィだったが、ジェレミアはそっと近づいてヴィヴィの手を握った。
「今日はもう逃げないね?」
「ええ」
「僕が怖かった?」
「ち、違うわ。その、決してジェレミア君から逃げたかったわけではなくて……ジェレミア君と結婚することによって変わる自分の立場に怖くなったの」
「そうか……」
たった一言だったが、ジェレミアがかなりほっとしたのがわかった。
いつも自信に満ちているように見えるジェレミアも、本当は不安だったのだ。
そんな当たり前のことに気付いて、ヴィヴィは目の前のジェレミアを見つめた。
恋をすると不安になる気持ちはよくわかる。
ヴィヴィがジェレミアにそんな気持ちを抱かせているのかと思うと、いけないとは思いつつ嬉しくなってしまった。
同時に、笑顔の奥にある不安を少しでも和らげたいとも思う。
自然と笑みが浮かんだヴィヴィを見て、ジェレミアは訝しげな顔になった。
「何か面白いことを言ったかな?」
「ううん。ただ、私はジェレミア君が好きだなって思って」
「……な、何を今さら! 知ってるよ!」
「うん、そうね」
顔を真っ赤にして、余裕の言葉を余裕なく答えるジェレミアが可愛すぎる。
十一年間の付き合いがあっても、今日はジェレミアについて初めて知ることばかりだった。
きっとこの先も新しい発見があるのだろう。
「ジェレミア君」
「……何?」
「これから、末長くよろしくね」
「え?」
今度はヴィヴィの言葉に、ジェレミアが驚いてばかりいる。
将来、新しい妃や跡継ぎなどの問題は持ち上がってくるかもしれない。
他にも問題は発生するだろう。
だがそれは、誰が相手でも前世でも今世でも同じ。
結婚生活は二人が協力してこそ成り立つものなのだ。
前世でも結婚の経験がないヴィヴィにとっては、話に聞いただけの未知の世界である。
それでも今、確実なことは一つ。
「ジェレミア君」
「……今度は何?」
「私も、ジェレミア君を幸せにできるように頑張るわね」
「……逃げずに?」
「できるだけ」
「そこは、約束しようよ」
そう言ってジェレミアは笑い、ヴィヴィも笑った。
しばらく二人で笑っていたが、ジェレミアは急に片膝をつき、驚くヴィヴィを見上げた。
「ジェレミア君……?」
「ヴィヴィアナ・バンフィールド嬢」
「は、はい?」
「僕と結婚すれば、この先様々な難題が待ち受けていると思う。だけど僕は必ずヴィヴィアナさんを守り、幸せにすると誓うよ。だから僕と――ジェレミア・インタルアと結婚してくれませんか?」
「も、もちろん、喜んで!」
ジェレミアからの正式なプロポーズの言葉に、ヴィヴィは感激して泣きだしてしまいそうだった。
それでもどうにか涙を堪え笑顔で了承すると、ジェレミアはずっと握ったままだったヴィヴィの右手にキスをする。
こんな物語のような場面は何度も夢に見ていた。
しかし、現実に起こると、夢だとしか思えない。
手の甲にキスされたことは舞踏会などで何度もあるのに、今この状況だとこんなにも嬉しく恥ずかしかった。
真っ赤になったヴィヴィを見上げ、ジェレミアはにっこり笑って立ち上がる。
その笑みはとても意地悪なもので、ヴィヴィが我に返って警戒した時には遅かった。
気がつけば、ヴィヴィはジェレミアの腕の中にいる。
だが、抱きしめられているわけではない。
ジェレミアの組んだ両手は背中に当たっているのに、ヴィヴィとジェレミアの間にはほんのわずかな距離があるのだ。
ちょっとジェレミアが腕に力を入れれば抱きしめられてしまうような、本当に囲い込まれている状態。
「あ、あの……」
「伯爵の信頼を裏切るわけにはいかないからね。今はここまでで我慢するよ」
抱きしめられそうで抱きしめられない。
触れそうで触れない唇。
このもどかしくも苦しく甘い拷問は、先ほどの仕返しに思ってしまう。
ジェレミアの表情を確かめたいのに、ヴィヴィは顔を上げることができなかった。
俯きやり場のない両手を胸の前で組むヴィヴィの耳に、低く楽しげな笑いが聞こえる。
約束なんてする必要はない。
ジェレミアを好きになった時から、ヴィヴィはもう逃げることなどできないのだから。
それでも悔しいので抵抗はしようと決意して、ヴィヴィは顔を上げると、ジェレミアににっこり笑いかけた。
そして思いっきり足を踏みつける。
「……痛いよ、ヴィヴィアナさん」
「だって、思いっきり体重をかけたもの」
「ああ、それでっ――!」
「それ以上言ったら、許さないわよ!」
さらに足に力を入れて、ジェレミアの腕が緩んだ隙に、ソファの向こう側へと避難する。
その姿を見て、ジェレミアは片眉を上げた。
「やっぱり逃げるんじゃないか」
「大丈夫。無駄な抵抗だってわかってるから」
ヴィヴィが答えると、ジェレミアは噴き出した。
その笑い声で二人の間の甘い緊張は解け、ヴィヴィも笑ったのだった。
そして、この日から二日後。
ジェレミア王太子とヴィヴィアナ・バンフィールド伯爵令嬢の婚約が発表されると、国中が喜びに沸いた。
その後、ヴィヴィの許には友人たちから次々と祝いの手紙が届けられていたが、その中にはランデルトからのものも含まれていた。
手紙には心からの祝いの言葉とヴィヴィの幸せを願う言葉が綴られている。
ヴィヴィは懐かしさと喜びに胸を詰まらせながらも、同じように心からのお礼とランデルトの幸せを願って返事を書いた。
こうして色々と慌ただしい日々を過ごしたヴィヴィは、婚約発表からひと月後、異例の速さでジェレミアと結婚式を挙げた。
周囲からは早すぎるとの声も多く上がったが、ジェレミアが頑なとして譲らなかったのは有名な話である。
それも今は、国王夫妻の仲の良さを伝えるためのエピソードの一つとなっていた。
もう一つの有名なエピソードといえば、国王夫妻は公式の場に出る時でも必ず手を繋いでいるというものだ。
本来なら国王の腕に王妃が手を添えるべき時でも手を繋いでおり、二人をよく知らない者たちを困惑させたりもしていた。
王弟であるジュスト殿下が一度その理由を訊いた時には「妃の逃走防止のためなんだ」とジェレミア国王は真面目に答え、ヴィヴィアナ王妃は呆れたように笑っていたらしい。
そんな仲の良い国王夫妻も今は二男二女の親である。
王妃は忙しい中でも乳母たちに全てを任せず、できる限り四人の子供たちの世話をしていた。
時には国王までもが駆り出され、泣きじゃくる幼い娘をあやし、走って逃げ回る息子を追いかけ、周囲を驚愕させているようだ。
まだ王太子だった頃のジェレミアには、新しい妃をとの声もあったようだが、ジェレミアはそれを一蹴してすませてしまった。
噂では、ジェレミアの腹心の部下であるフェランド・バレッツ侯爵が、お互いを想い合う愛が深いほど、子供も授かりやすいのだと進言したからだとも、単純にジェレミアがヴィヴィアナ妃以外に興味がなかったからだとも伝えられている。
そして、ヴィヴィアナ妃の四度目の懐妊がわかった頃には、新しいお妃をとの声もすっかりなくなっていた。
そういった王宮での内情が国民の間で面白おかしく語られるのも、国民が満たされた生活を送り、平和を謳歌しているからだろう。
インタルア王国はジェレミア国王の治世下で、これまでにない発展を遂げていた。
国王がいくつもの革新的な政策を打ち出し実行することができるのも、多くの優秀な臣下だけでなく、王妃の支えがあってこそだと言われている。
魔物は相変わらず出没するが、若き頃のヴィヴィアナ王妃と王宮研究室長であるレンツォ・ボンガスト伯爵の発明した魔法樹脂が大きく貢献し、人畜に被害を出すことはほとんどない。
それにはもちろん、第三部隊のランデルト・コンコーネ少佐を中心とした魔法騎士たちの目覚ましい活躍があってこそでもあった。
人々の平和は、国王夫妻が学生時代からの夢を叶えようと、努力を続けている結果でもある。
また、どんなに年月が過ぎようとも、国王夫妻はお互いを幸せにするという約束を忘れることなく守り続けた。
そして国王夫妻は――ヴィヴィアナとジェレミアの二人は、まるで物語のようにいつまでも深く愛し合い、幸せに暮らしたのだった。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
これにて『とある魔法学園の婚活事情』は完結です。
本当に、ありがとうございました。
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