魔法学園138
「ヴィヴィ、大丈夫なの?」
「大丈夫よ、マリル。だけどマリルは大事な時期なんだから、大丈夫かどうかわからない私に会いに来るなんて無茶をしないで」
「だって、会わなきゃ大丈夫かどうかわからないじゃない。ちゃんとヴァレリオ様にはお伺いしたわよ。ヴィヴィは病気なのかって」
「お兄様に?」
屋敷に突然訪ねてきたマリルを部屋に通したヴィヴィは、その言葉に驚いた。
兄とマリルがやり取りをしていたなんて思いもしなかったのだ。
「社交の場にまったく出てこないし、フェランドから研究室にも来ていないようだと聞いて、どうしたのかと思って。でもヴィヴィに手紙を書いても、きっと私に心配かけないように大丈夫としか返ってこないとわかっていたから、突撃することにしたの」
「そういうわけだったのね……」
あのおとなしかったマリルから『突撃』などという言葉が出てきたことで、ヴィヴィは久しぶりに笑った。
みんなそれぞれ大人になったというのに、ヴィヴィだけちっとも変わっていないように思える。
それも前世からまったく進歩していない。
結局、今も自分の気持ちから逃げてしまっていることにようやく気付いたヴィヴィは、勇気を出してマリルに打ち明けることにした。
「私……すごく今さらなんだけど……」
二人ともソファに座り、お茶を用意してくれたミアが気を利かせて下がると、ヴィヴィはためらいがちに口を開いた。
マリルはそんなヴィヴィを焦らすことなく、ゆっくり待ってくれる。
「ジェレミア君のことが……好きみたいなの」
「まあ……」
懸命に絞り出したヴィヴィの告白に、マリルはいささか間の抜けた声で答えた。
それきりしばらく沈黙が落ちる。
ヴィヴィはこれでマリルとの友情も終わるかもしれないと、支離滅裂なことを考えてうろたえていたが、ようやく口を開いたマリルはとても冷静だった。
「要するに、ジェレミア君への気持ちを自覚して動揺してしまった結果、今の状態なのね?」
「え、ええ……」
「それで、ここ何日もお家に閉じこもって出た結論は?」
「け、結論?」
「このまま誰にも会わずに引きこもる、何事もなかったように研究を続ける、ジェレミア君に好きだと伝え――」
「ダメよ!」
「どうして?」
「どうしてって……。それよりも、マリルは驚かないの? 私がジェレミア君を好きになって」
あくまでも冷静なマリルに圧倒されながらも、ジェレミアに告白するという選択には強く反応してしまった。
それでもマリルは動じない。
思わずヴィヴィが話題を逸らしても、マリルは気を悪くした様子もなかった。
「私、ヴィヴィと仲良くなった頃はすごく不思議だったの」
「不思議?」
「ええ。フェランドとジェレミア君とずっと一緒にいて、どうして好きにならずに、意識せずにいられるんだろうって」
「それは……」
「でもフェランドに関してはすぐにわかったけどね。あんなに軽薄な人を好きになれるわけがないわ」
「……マリルがそれを言うの?」
「私だから言えるのよ」
フェランドを評するマリルの言葉に、ヴィヴィはまた笑った。
するとマリルは胸を張って答える。
「今だから言えるけど……というより、もう知っているかもしれないけれど、私も最初はジェレミア君のことが好きだったの。きっとクラスの女子の半分以上がそうだったと思うわ。だって、本物の王子様なんだもの!」
「確かにね………」
ヴィヴィも実際、初めて見た時は興奮したことを思い出す。
それが、この世界で生まれ、身分高い貴族の家で育ったマリルでさえ思うのなら、誰だって興奮するだろうし、ジェレミアはうんざりしていただろう。
「まあ、フェランドも当時から女子にはすごく人気があったけど、私はいつの間にか二人よりも、二人と一緒にいて平気でいられるヴィヴィに憧れるようになったの」
「私?」
「そうよ。あの頃の私はジェレミア君からフェランドに惹かれるようになっていて、それをフェランドもわかっているようだったから、悔しくて絶対好きになんてなるものかって誓ってたわ。そんな私から見て、ヴィヴィは誰に対しても怖気づくこともなく、平等でかっこよかった」
「それなら、あとでさぞかし幻滅したでしょう?」
「もしそれが、ランデルト先輩のことを言っているのなら、すごく嬉しかったわ。先輩のことで一喜一憂している姿を見て、親近感を持ったというか……ヴィヴィも普通の女の子なんだって。今考えれば当たり前なんだけど、学生時代って色々と夢見てしまうでしょう?」
「そうね」
こうして改めて学生時代の話をするのはくすぐったくもあり、楽しくもあった。
マリルから見た学園生活がまた新鮮でもある。
ところが、元来しっかり者のマリルは根本的な話を忘れてはいなかった。
「それで、どうしてジェレミア君に告白することはダメなの? 上手くいけば万々歳じゃない。そもそもジェレミア君は……ヴィヴィに好意的なんだから、上手くいくはずよ」
「だからこそよ。好意的だからこそ……ジェレミア君はたぶん私の気持ちを打ち明ければ、無下にはしないと思うわ。でも、そうすれば今の関係は壊れるもの。私は今のジェレミア君が好きなのであって、私に気を使ってまで夫になってほしいとは思わないの」
「要するに、ヴィヴィは怖いのね。それで適当な言い訳を見つけて傷つかないように逃げているんだわ」
気持ちをずばりと当てられたヴィヴィは言葉を失った。
もう言い訳のしようもない。
言葉を詰まらせるヴィヴィに、マリルはさらに続けた。
「卒業前、私がフェランドからパートナーに申し込まれて悩んでいた時、ヴィヴィは言ってくれたわよね? 自分の気持ちに正直になるべきだって。それで正直になった結果が今の私。幸せよ? だけど、ヴィヴィにはヴィヴィの選択があると思うから、私が強制することはしないわ。ただ同じことを言いたいだけ。自分の気持ちに正直になってみるべきだって」
そう言って笑うマリルはすっかり魅力的な大人の女性に見える。
マリルにはマリルの葛藤があって、今の幸せを掴んだのだ。
ヴィヴィは口にしていいものか少しためらい、問いかけた。
「マリルは、怖くないの? フェランドがその……他の人を……」
「好きにならないか? 新しい妻を娶らないか?」
「え、ええ……」
ヴィヴィは言葉を濁したが、マリルははっきりと口にした。
それだけでも、本当にマリルは強くなったと思う。
「それはもちろん怖いわよ。でもまだ起こってもいないことを心配しても仕方ないと割り切ることにしたの。それが私の出した結論。そして今のところは心配いらないみたい」
マリルの言う通り、フェランドはあれだけ学園では浮名を流していたのに、八回生になってからはぴたりと噂も止んだ。
王太子付き秘書官になってからは、以前よりももっと女性たちから言い寄られることが多くなったようだが、フェランドはマリル一筋なのだ。
それには本当に皆が驚いている。
「それに、考えてみて? 私が別の人を好きになって、フェランドを捨てるかもしれないわよ?」
「確かに、そうよね……」
この世界の貴族間では一夫多妻制が圧倒的に多く、離婚率も高い。再婚率も。
ヴィヴィの両親のほうが稀なのだ。
ランデルトの実母も別の男性と再婚していたが、小さい頃には会いたくなればいつでも訪ねていたと言っていたことを思い出す。
ただマリルの口からそのような言葉が出てくるとは思わず、ヴィヴィは呆然としながら頷いた。
するとマリルがくすくす笑う。
「結局、先のことなんて誰にもわからないのよ。そう結論を出したからこそ、私はフェランドの申し込みを受けたの。後悔するなら、望むものを手に入れてから後悔したほうがずっといいって。ヴィヴィはこのままで後悔しないでいられるの?」
「私は……」
マリルに問われて、ヴィヴィは戸惑った。
挑戦しないよりは、挑戦して後悔するほうがいいとは前世でもよく聞いた言葉なのだ。
しかし、状況があまりにも違う。
「私は、もうすでに後悔しているわ。自分の馬鹿さ加減に。どうしてもっと早く気付かなかったのかって」
「どういうこと?」
「もう遅いの。だって、ジェレミア君は……もう相手を決めてしまったから」
「まさか!」
本来は秘密にしておくべきだとわかっていたが、ヴィヴィは我慢することができなかった。
再び込み上げてきた失恋の苦しみに、ついマリルに全てを打ち明ける。
「本当よ。ジョアンナさんがはっきり聞いたそうよ。ジゼラさんに申し込むって、ジェレミア君がカンパニーレ公におっしゃっていたって」
「……ジゼラさんに?」
「ええ」
「ジョアンさんが?」
「そう」
「……」
マリルは信じられないとばかりにヴィヴィに何度も確かめた。
それからしばらく考えるように沈黙し、ようやく口を開く。
「そんな重大な話を、私は誰からも――フェランドからも聞いていないわ」
「それはそうよ。重大だからこそ、慎重に進めているんだと思うわ」
「もちろん、フェランドだって全てを私に話してくれるとは思っていないわよ。ヴィヴィが冷凍庫を発明した時も、陛下が発表されるまで私は知らなかったんだから。ただね、そういう話はたいてい女性側から漏れるものなの。それがないってことは、おそらくジェレミア君はまだ申し込んでいないのよ」
「でも時間の問題だわ」
「そう、時間の問題よ。だからヴィヴィは明日、ジェレミア君に会うべきね」
「……え?」
「ちょっと便箋を貸してもらえるかしら? 今から急いでフェランドに手紙を書くから」
「フェランドに?」
「ええ。明日、ジェレミア君に時間を作ってもらえるようにね。時間がわかり次第ヴィヴィに伝えるから、そのつもりでいて」
「ちょ、ちょっと待って!」
マリルの提案に唖然としているうちに、マリルはどんどん話を進めてしまう。
慌ててヴィヴィは止めに入ったが、マリルは断固とした表情で首を横に振った。
「ダメよ。ヴィヴィに任せていたら、問題の時間が過ぎてしまうわ。だからこれは絶対。明日、時間になったら私が迎えにきますからね」
本当に、マリルはいったいいつからこんなに強くなったのだろう。
まさかヴィヴィがマリルにここまて圧倒される日がくるとは思いもしなかった。
ヴィヴィは未だに頭がついていかないなかで、マリルが居間の隅に据えられた書物机に向かうのを呆然として見ていた。




