魔法学園133
(あ、ジェレミア君……)
ヴィヴィは父の部屋から研究室へ帰る途中で、回廊の向こう側を歩く集団の中にジェレミアを見つけ、足を止めた。
集団はジェレミアを取り囲むように護衛騎士が四人、事務官が三人と大所帯だ。
すっかり遠くなった存在に寂しさを感じていたヴィヴィだったが、その中の一人がジェレミアに声をかけてこちらを指さした。
よく見ればそれはフェランドで、ヴィヴィに向けて大きく手を振り、ジェレミアまでもが手を振る。
ヴィヴィは目立たないように、魔法使いのものとよく似た研究者用のローブを纏っていたのだが、かなりの注目を浴びてしまった。
(な、何てことをするのよ……)
手を振り返すこともできず、ヴィヴィはぺこりと頭を下げて、急ぎ踵を返して父の部屋へと戻った。
声は聞こえないが、絶対にフェランドは笑っている。たぶんジェレミアも。
ジェレミアの進行方向にいた人たちは頭を下げていたが、その人たちでさえ気にしていたようだったので、あとで見ていた人たちから噂になるだろう。
「おや、ヴィヴィ。忘れ物かい?」
「お父様、ごめんなさい」
「うん? 何のことかね?」
ヴィヴィは先ほどあったことを父に話した。
すると、父は大笑いする。
「ヴィヴィ、それは気にしないでいい。言いたい人には好きなように言わせておきなさい」
「ですが……」
「確かに、ヴィヴィを殿下のお妃にという声も少なくはない。未だにね。正直に言えば、カンパニーレ公には何度も頭を下げられたよ。ヴィヴィは殿下と仲が良かったから、相性もいいと思われていたようだね」
「そうなんですか? ですが、私は何も聞いておりません」
「ヴィヴィには近寄らせないようにしていたからね。当時のヴィヴィは傷ついていたし、今は研究に熱中している。私たちはヴィヴィに好きに生きてほしいと思っているんだ」
「お父様は……お父様たちは私に甘すぎます」
そんな話があったことなどまったく知らなかったヴィヴィは、驚きながらも家族の優しさに感謝した。
しかし、父は真面目な顔つきになり首を振る。
「いや、私は後悔しているんだよ。ランデルト君のことをもっと早くに認めていれば、あんなことにはならなかったんじゃないかとね」
「まさか! それは違います! あれは……あのことは、不運が重なって……。誰にも、どうしようもなかったんです」
あの時はヴィヴィも色々と悩んだが、父のせいだとは一度も思わなかった。
自分の至らなさに苦しみ、ランデルトに腹を立てたりもしたが、今ふと気付く。
もう胸の痛みはない。
懐かしさとともにほんの少し疼く程度だ。
「ヴィヴィ」
「はい、お父様」
「私は後悔をしているが、だからこそ同じことを繰り返そうとは思わない。もう邪魔はしないから、ヴィヴィは自分の人生を思う存分楽しみなさい」
「……ありがとうございます」
思いやりに溢れた父の言葉に、ヴィヴィは満面の笑みで答え、再び退室の挨拶をして部屋を出た。
回廊から望める庭には色とりどりの花が咲いている。
まだ少し肌寒いが、季節はすっかり春で、ヴィヴィが卒業してから二年になるのだ。
ランデルトに別れを告げられてからは二年以上が経つ。
やはり時間は優しくヴィヴィの心を癒してくれていた。
(とはいえ、私も二十歳過ぎて婚約者もいないんじゃ、この世界ではすっかり嫁き遅れ予備軍ね……)
春になり、仲の良かった友達や後輩から結婚式の招待状が続々と届いている。
そのことを思い出し、ため息を吐きながら研究室のドアを開け、ヴィヴィは固まった。
「……何をしているの?」
「やあ、ヴィヴィ。お邪魔しているよ」
「久しぶりだね、ヴィヴィアナさん。せっかく会えたのに、無視するなんて酷いな」
「あ、挨拶はしたわよ?」
「あれが?」
言葉遣いが昔のままになっていることにも気付かず、ヴィヴィはソファに座ってのんびりお茶を飲んでいる旧友二人に問いかけた。
しかし、二人とも――ジェレミアからもフェランドからもまともな答えは返ってこない。
護衛兼付き添いの侍女もヴィヴィの背後で同じように驚いており、部屋に残っていたもう一人の侍女は、ひとまずお茶を出したものの、どうしたものかと戸惑っている。
「あの場であれ以上、どうすればいいっていうの? いえ、そんなことより、ここで何をしているの?」
「息抜きだよ」
「ここで? 先ほどたくさんいらした殿下の護衛騎士たちは?」
「ヴィヴィを驚かそうと、帰って来るまでは少し離れていてくれって、頼んだんだ」
「では、成功したわね」
ヴィヴィは両手を腰に当て、ソファでくつろぐ二人の前に立った。
そして再び同じ質問をしたが、返ってきたのは信じられない答え。
しかも、フェランドの答えはふざけていて、二人を睨みつけるように見下ろしていたヴィヴィだったが、もう我慢できなかった。
ついに噴き出し、笑ってしまったヴィヴィに、二人も一緒になって笑う。
「もう、二人とも信じられない。二人が息抜きするのは勝手だけど、私の邪魔になるとは思わないの?」
「大丈夫。ヴィヴィアナさんにも息抜きは必要だから」
「そうそう。行き詰まってるんだろ? マリルから聞いたぞ。だから励ましに来たんだよ」
「息抜きは強制なのね?」
笑いながらヴィヴィは二人の向かいに座る。
改めてジェレミアとフェランドに会うのは、マリルとフェランドの結婚式以来、半年ぶりだった。
しかし、マリルとは頻繁に会っているので、フェランドとの惚気話も聞かされており、そこまで久しぶりには感じない。
侍女の一人がヴィヴィにもお茶を淹れてくれ、お礼を言って一口飲んでから、懐かしい会話を楽しんだ。
「それで、ヴィヴィはランデルト先輩とは連絡を取っているのか?」
「あら、それはマリルから聞いていないの? もちろん取ってはいないわよ。でも、近況は耳にしているわ」
「ふーん。本当に先輩のことは吹っ切れたんだな。前みたいに、泣きそうな顔にならない」
「それはもう二年も経ったんだもの。さすがにね」
「あれだけ先輩大好きだったのになあ。でも、ヴィヴィが未だに婚約もせず研究に打ち込んでいるのは、先輩のことを忘れられないからだって噂が最近流れているんだよ」
「ああ、なるほどね……」
フェランドらしい遠慮のない質問に答えながらも、やはりヴィヴィは自分がほとんど動揺していないことに気付いた。
そして話を聞けば、また噂。
呆れながらヴィヴィが呟くと、黙って聞いていたジェレミアが口を開いた。
「何か、心当たりがあるの?」
「たぶんだけどね。最近、お茶会や夜会に出席する機会が増えたから。お茶会では恋人はできたのかと訊かれ、夜会では男性から誘われて、どちらも研究が忙しいからと答えているせいだと思うわ」
「へえ……」
半年ほど前から疎かにしていた社交も始めたのだが、やはりバンフィールド伯爵家の娘として、何かと目立つらしい。
女性たちはただ単に知りたがりなのか、探っているのか、男性たちはヴィヴィそのものよりも、ヴィヴィの持っているものに惹かれて声をかけてくるのだ。
(この調子だと、新しい恋は無理そうだわ……)
そう考えていたヴィヴィは、ふと視線を感じてそちらに向いた。
すると、ジェレミアがじっと見ていたのだが、ヴィヴィと目が合った途端ににっこり笑う。
「さてと、そろそろ仕事に戻らないと」
「そうですね、殿下」
ジェレミアが立ち上がると、フェランドも口調を変えて答え、立ち上がる。
ヴィヴィも見送りのために立ち上がると、ジェレミアはいつもの嘘くさい笑みを向けた。
「それでは、研究の邪魔をして悪かったね、ヴィヴィアナさん」
「……いいえ。とても楽しかったです」
「じゃあな、ヴィヴィ」
急に距離を感じてしまったジェレミアに、ヴィヴィは先ほどの気安さをなくして答えた。
フェランドは相変わらずだったが、二人を見送った後もどことなく胸の中がざわついて、しばらく研究を再開する気にはなれなかった。




