魔法学園114
「ええっと……侍女たちっていうのは、ジョアンナさん付きの?」
「はい。正確にはお兄様と私の侍女たちです。彼女たちはとても仲が良いので、お兄様が学園にいらっしゃる時は、いつもおしゃべりをしていますから」
「……おしゃべりね」
ヴィヴィは皮肉げに呟いた。
おしゃべりをするのはかまわない。
それはある意味、女性の仕事と言ってもいいだろう。
ただし、幼い子供の前で――少なくとも聞こえている範囲でする内容ではない。
ヴィヴィとジェレミアがパートナーを解消した三年前、ジョアンナはまだ八歳だったかもしれないが、物事はそれなりに理解できる年齢である。
あの状況をどう説明するか考え、ヴィヴィは口を開いた。
「あのね、ジョアンナさん。私とジェレミア君は一回生で同じクラスになって、とても仲良くなったの。それから六回生になるまでずっと同じクラスだったのよ。そして、お互い特別に好きだと思える相手がいなかったから、パートナーを組んでいたの。ジェレミア君は立場的に気軽に女性を誘えないから」
「では、ヴィヴィアナ先輩は、ジェレミア兄様を友達としてしか思っていなかったということですか?」
「ええ、そうよ。でも――」
「ジェレミア兄様は、ヴィヴィアナ先輩のことが好きなのに、お気の毒だわ……」
「……ジョアンナさん、それは誰から聞いた話なのかしら? ジェレミア君ではないでしょう?」
とても十一歳だとは思えないようなため息交じりのジョアンナの言葉に、ヴィヴィは一瞬戸惑った。
だがすぐに、おそらく侍女の誰かの口真似をしたのだろうと気付く。
ジョアンナはヴィヴィの問いかけに、気まずそうな顔をして、もごもごと答える。
「侍女たちが話しているのを聞いたんです。殿下がお気の毒だって……」
「ジョアンナさん、噂話を聞くことは否定しないわ。私たち女性にとっての大切な情報源だもの。でもね、全てを鵜呑みしてはダメよ。私たちに求められるのは情報の選別。ジョアンナさんが何を信じ、どう行動するかによって、周囲に多大な影響を与えることは自覚しないと。特にジェレミア君やジュスト君に関することは気軽に口にしてはダメ。嘘か本当かは別にして、王女殿下でいらっしゃるジョアンナさんが言葉にしたってことは、全て真実になってしまうのよ。だから本当にこの人なら大丈夫って信頼できる人にだけ、打ち明けるの」
「本当に信頼できる人?」
「ええ。人を疑うのはつらいことだけれど、ジョアンナさんにはこの先、笑顔を浮かべながら心地よい言葉を口にして近づいてくる人がたくさんいると思うわ。もちろん、全員を疑えとまでは言わない。それに相手を見誤ることだってあるわね。ただ、少しだけ用心してほしいの」
「では……パートナーを申し込んできた男子もみんな……」
「あら、それはジョアンナさんが魅力的だからよ。だって、こんなにジョアンナさんは可愛いんだもの!」
ヴィヴィの言葉を真剣に捉えすぎて落ち込みかけたジョアンナを、ヴィヴィは慌てて慰めた。
実際、とても可愛い――というよりも美しいジョアンナの頬に両手を添え、にっこり笑う。
途端にジョアンナの顔がほころんだ。
「ヴィヴィアナ先輩がお姉様になってくださったらいいのに……。先輩は本当にジェレミア兄様じゃダメ?」
「……こればっかりは、お互いの気持ち――相性だからどうしようもないわ。でもね、ジョアンさんと私は友達として、これからもずっと付き合っていけるわよね?」
「でも、ヴィヴィアナ先輩が婚約者の方と結婚してしまったら、地方に行ってしまわれるのでしょう? こんなふうに毎日会えないどころか、めったにお会いできなくなってしまうもの」
「それは……」
ヴィヴィは再び答えを詰まらせた。
卒業後もヴィヴィは王都から離れることはないどころか、王宮に一室賜る予定でもあるのだが、それを今言うわけにはいかない。
結局、ヴィヴィは言葉を濁らせて返事をした。――大人になることは狡さを覚えることだなと思いながら。
「距離が問題ではないと思うわ。確かに、すぐ傍にいてくれたらって思うことも何度もあるけれど、二人の間に信頼関係があれば大丈夫だもの」
「ヴィヴィアナ先輩と婚約者の方みたいに?」
「――ええ、その通りよ」
ジョアンナに問われて、ヴィヴィは濁したつもりが、自分を納得させるための言葉だったと気付いた。
本当は大丈夫などではなく、何度も何度も傍にいてくれたらと思っている。思い続けている。
だけど、もうすぐ半年ぶりに会えるのだ。
また慌ただしい再会になるけれど、本当はまだ正式に婚約していないけれど、それでも会って、直接声が聞けて、触れられるのが嬉しい。
もうすぐやって来る喜びを想像して浮かんだヴィヴィの笑みを見て納得したのか、ジョアンナはお礼とおやすみの挨拶を述べて部屋へと帰っていった。
ヴィヴィはその小さな背中を見送ると、大きく息を吐いて部屋の中へ戻った。
翌日の放課後。
生徒会の仕事をしていたヴィヴィは、ちょうどジェレミアと二人きりになったことで、話を切り出した。
昨日のジョアンナの相談内容はともかく、ダミアーノについてだけは報告しておいたほうがいいと思ったのだ。
「ジェレミア君、少しいいかしら?」
「うん、何かな?」
ヴィヴィが声をかけると、ジェレミアは書類から顔を上げて微笑んだ。
その顔はやはりジョアンナに似ているが、笑顔には油断ならない何かが浮かんでいる。
だが、ほとんどの人はこの柔和な笑顔に騙されてしまうのだ。
「昨日、ジョアンナさんから聞いたんだけど、パートナーの申し込みを、ダミアーノ君からされているらしいの」
「……ボンガスト侯爵の?」
「ええ、お孫さん。ジュスト君の従兄弟ね」
ヴィヴィの話を聞いて、ジェレミアの顔から笑みは消えていた。
それどころか不機嫌な表情になっており、ヴィヴィは昨日のアドバイスが間違っていたかと不安になる。
「ごめんなさい、ジェレミア君。あなたに相談することなく、私はジョアンナさんに、自分の気持ちに従うべきだと答えてしまったわ。好きだなって少しでも思う相手を選ぶべきだって。試してみればいいって」
「ということは、ジョアンナはダミアーノ君以外にも申し込まれているわけだ」
「ええ、今のところは五人からって言っていたわ」
「やるな」
にやりと笑ったジェレミアは、真っ直ぐにヴィヴィを見つめた。
そして安心させるような笑みに変える。
「別に謝る必要はないよ。ヴィヴィアナさんの言う通りだから。気持ちというものは、どうにもならないものだからね。時々、自分で制御できればいいのにと思わずにはいられないけれど、残念ながらどうしようもない」
「……そうね。あの、でも余計なことかとは思ったのだけど、ジョアンナさんの立場を利用しようと近づいてくる人も多いでしょうから、気をつけてとは言ったわ。人を疑うことはつらいけどって……。今考えると、言い過ぎたような気がするわね。まだ一回生なのに」
「そんなことはないよ。むしろ、僕がもっと早くに言っておくべきだったね。ここは侍女たちに守られた王宮じゃないんだから。身体的には警備が行き届いているけれど、心理的には本人が自覚する以外に守りようがないんだから。ありがとう、ヴィヴィアナさん」
「いいえ。余計なことでなかったのなら、よかったわ。それで、ダミアーノ君のことは……」
「ああ、それはやっぱり周囲が言ってもどうしようもないからね。ジョアンナの選択に任せるよ。ジョアンナはヴィヴィアナさんのことが大好きなようだから、忠告はしっかり受け止めているはずだしね」
そう答えたジェレミアは、またあの油断ならない笑みを浮かべた。
思わず身構えたヴィヴィだったが、次にジェレミアの口から発せられた問いはとても簡単なものだった。
「それで、ヴィヴィアナさんのパートナーは当然ランデルト先輩なんだろう?」
「ええ、また強行軍で帰ってきてくださるの」
「そうか、よかったね」
「ありがとう、ジェレミア君」
ほっとして満面の笑みを浮かべたヴィヴィを、ジェレミアは目を細めて見つめた。
それからすぐにヴィヴィの喜びに同調すると、また書類に視線を落とす。
ヴィヴィも話を終わりにして仕事に集中した。
しかし、ヴィヴィは後になって、ジェレミアにもパートナーについて訊いてもよかったなと、ちょっとだけ後悔したのだった。




