魔法学園103
「……痛い」
「当たり前です! 思いっきり叩いたんですから!」
「お嬢様……」
「いきなり無茶をするのはやめてください! 今の傷は上級治癒魔法でしか治せませんでした! 私じゃ無理だったんです! それなのに……樹脂に効果がなかったらどうするんですか!?」
「あー、でも私は最上級の治癒魔法も扱えるし――」
「あの出血で、ショックで失神していたら!? それでもおかしくないほどの傷でした! 私が焦って樹脂をひっくり返したりしていたら、塗るのが遅かったりしたら、失血死していたかもしれないんですよ!?」
「……ごめんね、ちょっと軽率だったみたいだ」
「みたい、じゃなくて、軽率なんです! 私をそこまで信用しないでください! ご自分をそこまで軽く扱わないでください!」
「う、うん……」
「お、お嬢様……そのあたりにしておきませんと……」
ミアに止められて、ようやくヴィヴィは口を閉ざした。
何度も深呼吸を繰り返し、動悸を鎮める。
だがやはり、怒りはなかなか収まらない。
「あの、お茶の用意がちょうどできておりますので、お二人ともご休憩なさいませんか?」
「あ、いいね」
「……ありがとう、ミア」
未だにレンツォを睨んだまま、ヴィヴィはミアにお礼を言って、三人で実験室から出た。
そしてソファに座り、ミアの淹れてくれたお茶を飲むと、やっと気持ちも落ち着いてくる。
「……確かに、証明の仕方はどうかとは思いますが、あの樹脂がすごいことはわかりました」
「そうだろう? それにヴィヴィが言った治癒樹脂って名前はいいね。だけど、発見はまだ他にもあるんだ。そうだな、名前は防御樹脂ってところかな?」
「防御樹脂? 〝ウルの木〟の樹脂ですか?」
「それもある」
「それ〝も〟?」
冷静になったヴィヴィはレンツォの発見を認めて言葉にした。
だがレンツォは意味深に笑う。
訝しむヴィヴィに、レンツォは声を弾ませて説明した。
「〝ジロの木〟が最上級治癒魔法を含んでくれたら、もう言うことはないんだけど、これは追々研究を続けるとして、先ほども言ったように防御樹脂の話だな。〝ウルの木〟は〝ジロの木〟と違って防御性が高いだけで、やはり防御魔法を与えても著しく成長することはなかった。それは、先ほど見たよね。樹脂に防御性を含むのはもう結果が出たことではあるけど、〝ジロの木〟の防御魔法を与えたものの樹脂も同様に防御性を含むことがわかったんだ。私が苗木にそれぞれ中級防御魔法と上級防御魔法も与えていたのは覚えているね?」
「はい。成長速度に変化はないようでしたが、やはり防御性に差が出ているのですか?」
「その通り。そして、先ほどと同じように〝ジロの木〟の普通の樹脂に熱魔法を与えた欠片を混ぜ合わせ、柔らかくして防具に塗れば、あとは冷めて固まるのを待つだけ」
「ですが、それだと熱魔法に弱いってことになりませんか? せっかく楯に塗っても溶解してしまっては……」
樹脂の簡単な利用方法が見つかったのはいいが、簡単すぎて引っかかった。
そんなヴィヴィの疑問はやはりレンツォもすでに持ったようだ。
レンツォはにやりと笑って答える。
「さすが、ヴィヴィはいいところに目をつけるね。それに関しては実験済みだよ。一度乾燥させると、熱にも強くなるみたいなんだ。なぜかはまだ解明できていないけどね。それに以前、ヴィヴィが言っていた太陽光線については、まだ実験途中だよ」
「なるほど……。では〝ウルの木〟の樹脂はどうやって溶かすのですか? 〝ウルの木〟は魔力を弾きますよね? となると、〝ジロの木〟の熱魔法を与えた欠片を混ぜ合わせることも難しいのではないでしょうか」
「普通は魔法ではなく直接熱を与えてみるだろうね。だけど、〝ジロの木〟の樹脂を混ぜるとどうなるかなと思って試してみたんだ。すると驚くことに、反発もなく溶解したんだ。それでさらに好奇心が湧いて……」
「〝ジロの木〟の防御樹脂と〝ウルの木〟の樹脂を混ぜ合わせたのですか?」
「正解」
「それでは、まさか……」
「そうなんだ。どちらの樹脂だけの防御性よりもかなり高い防御性を誇るものが出来上がったんだよ。しかも、まだそこまでの期間を試したわけではないが、耐久性も最高なんだ。さっそく見てみないか?」
「……はい」
ちょうどお茶を飲み終わったヴィヴィは、カップを置くと立ち上がり、またレンツォとともに研究室に戻った。
そこで今までの実験に使った盾代わりの鉄片を見せてもらい、新たに樹脂を塗った三種類の鉄片にレンツォが攻撃魔法を放つ。
やはり防御性でも耐久性でも二種類の樹脂を混ぜ合わせたものが、かなりいいようだ。
「……すごいですね」
「だろう? これらも全て、ヴィヴィのお陰だよ」
「いえ、私は何もしておりません。レンツォ様が実験を重ねた結果ですから」
「いやいや、そもそもはヴィヴィの〝ジロの木〟と〝ウルの木〟の効果の発見から始まったことだからね。しかも樹脂を利用するなんて……。いつかは考えついたかもしれないけれど、こんなに早く実用化できそうなのは、やはりヴィヴィの発案のお陰だよ」
「そう、ですかね……」
あまり謙遜するのもよくないかと、ヴィヴィはレンツォの褒め言葉を受け入れた。
すると、レンツォは次に驚くべきことを口にする。
「このことは、明日にでもバンフィールド伯爵に報告しようと思う」
「父にですか?」
「もちろんその後に、僕の上司にあたる筆頭薬師のサイル殿と、筆頭魔法使いのオクト殿に報告し、陛下へお伝えすることになる。これほどの発見だからね。地方で魔物と戦ってくれている部隊にできるだけ早く使ってもらったほうがいいだろう?」
「はい」
「ただ、他国へこの情報をどうするかの問題も発生する」
「他国へ、ですか……?」
「ああ。この国はもちろん、どの国も今は戦をしているわけではないから、この樹脂の使い方としては、対魔物に限られてくる。だが、このインタルア王国の防具の性能が格段と上がったとすれば、他国も興味を持ってどうにかその秘密を探ろうとするだろう。私としては今のこの平和な時代に国家機密として隠すよりは、さっさと情報を高値で売ってしまったほうがいいと思うんだよ。これに関しては、他国よりも防具を扱っている商会に情報を売ったほうがいいだろうね」
レンツォの言うことはヴィヴィにも理解できたが、どうして父であるバンフィールド伯爵へ先に報告するのかがわからなかった。
もちろん父がこの王宮で高い地位にあることは知っている。
次兄のヴァレリオは外交官を目指してもいるので関わってくるのは当然ではあるが、なぜ一番に報告するのか。
そんなヴィヴィの疑問に気付いたらしく、レンツォは今までの明るい表情を一気に真剣なものに変えた。
「これは予想でしかないが、おそらく陛下をはじめとした重鎮方が出す結論としては、情報は売る。しかし、決定的なことは機密とすると思うんだ」
「決定的なこと、ですか?」
「そうだ。正確には〝ウルの木〟に関してはなかったことにするだろう」
「え?」
「〝ウルの木〟がなくても、〝ジロの木〟だけで防御も治癒も十分だからね。ただ〝ウルの木〟の樹脂を混ぜれば、防御率・耐久性がよくなるというだけだ」
「だけって言いますが、魔物と戦う騎士や兵士たちにとっては死活問題です」
「だが、切り札はとっておくべきだ。今は平和な世の中だが、いつ戦争が始まるかはわからないだろう?」
「……ムカつく」
頭ではわかっていても、感情がついていかない。
思わず本音を漏らしたヴィヴィの言葉に、レンツォは目を見開き、次いで苦笑した。
「気持ちはすごくわかるよ。それでも、これが政治だ。だから〝ジロの木〟の樹脂だけでも、今よりずっと助けになるんだと、前向きに思うしかない」
「……はい」
「まあ、これはまだ私の予想でしかないから、最終的にどうなるかはわからないけれどね。それで話は最初に戻るが、私がバンフィールド伯爵に先に報告するのは、ヴィヴィのことを相談するためだよ」
「私ですか?」
「うん。ヴィヴィがここのところ私の研究室に通っていたことは知られている。だからこの発見にヴィヴィが関わっているのは隠しようがないからね。おそらく、私とヴィヴィは注目されるだけでなく、各国が欲しがるだろう」
「まさか……」
「信じられないかもしれないけれど、これもまた政治だよ。いっそのことこの発見をなかったことにするか、私ではなく筆頭魔法使いのオクト殿が発見したことにするぐらいしないとね。だが、いつかは知られることになる。もう動き出してしまったことは止められない。ヴィヴィはその中心となるはずだ」




