魔法学園99
ヴィヴィはさっそく樹液についての考えを説明した。
すると、レンツォはかなり的確に理解してくれたようだ。
はっきり言って、ヴィヴィの説明は下手であった。
そもそも漆の概念はあっても、扱い方がさっぱりわからないのだから。
ただ漆器は紫外線に弱い、漆の液はかぶれることがある、くらいしか知らない。
それなのに理解できるレンツォは天才ではないかと、ヴィヴィは改めて思った。
どうやらレンツォも学生時代、何度も広場の木々を治療しており、傷ついた木の中には液体を流しているもの、その液体が固まったもの――要するに樹液や樹脂を見ていたのだ。
また、この世界でも樹脂を利用した生活道具はいくつかあり、そのうちの一つは家具を磨くために使われている。
そのため、樹液や樹脂を加工して防具に塗るという考えもすんなり受け入れられた。
「ヴィヴィは天才だよ!」
「いえ……たまたまです」
前世で漆のことを知っていたからこその考えである。
漆は漆器などの塗料に使われるだけでなく、接着剤としても使われていたと聞いたことがあったからだ。
しかも、ヴィヴィがなぜか確信を持っているだけで、まだ本当に〝ウルの木〟の樹脂が利用できるとはわからない。
「謙遜することはないよ。もしこれが本当に実用化できたら、また素晴らしい発見だ。ヴィヴィは陛下から何か褒賞をいただけるかもしれないな」
「それはないですよ。私はただの学生で、レンツォ様のお手伝いをさせていただいているんですから」
「学生なんてことは関係ないよ。それに、今回のことは私がヴィヴィを手伝っているんだ。ヴィヴィがいなければ、そもそもなかった発想なんだからね。――反論は聞かないよ。それよりも、さっそく始めよう!」
「……はい」
否定しかけたヴィヴィをレンツォは先に遮って、勢いよく立ち上がった。
ヴィヴィ的に言いたいことはあったが、素直に従う。
実験はすぐにでも始めたいのだ。
そして、結論から言えば〝ウルの木〟を削り、しみ出した樹液を集めて一日置いた樹液には、成木と同じくらいの防御性があった。
あとは樹脂の劣化状況を調べたり、どういった方法で塗布すると効率がいいのかなど、様々な実験が行われた。
さらには、まだ確実ではないが〝ジロの木〟も、樹脂に治癒魔法が保存できる可能性もでてきた。
しかも、攻撃魔法は保存されないようである。
このことに関してのレンツォの見解は、樹液そのものが己の傷を直すために発生するので、攻撃魔法は吸収し分解してしまうのだと。
ところが、治癒魔法に関しては、いざという時に己のためになるので保存しているのではないか、ということだった。
そして、長期休暇が終わる三日前。
ヴィヴィは後ろ髪を引かれる思いで、レンツォに後のことを任せ、学園に戻る準備を始めた。
課題はどうにか終わりそうで、明日には寮に戻るつもりである。
ランデルトには実験の詳細を書くことは控えたが、対・魔法についてのすごい発見をレンツォができるかもしれず、そのお手伝いができていることが嬉しいとの手紙を送った。
もちろん、もうすぐ会える喜びと、ランデルトが感心してくれるような魔法祭にするために準備を頑張るということが一番に伝えたいことではあったが。
その手紙を書き終えて執事に託した後、ヴィヴィはまた課題に取り組み始めた。
だが、頭の中はどうしても実験のことを考えてしまう。
やはり研究はとても楽しい。
今回、色々と経験したことで感じたことは、地方でもできそうだということだった。
確かに、不便はかなりあるだろう。
道具を揃えたくても、依頼書を書けば簡単に用意されるわけではないだろうし、レンツォのようなアドバイスをくれる先輩もいない。
(でも……ランデルト先輩と遠距離結婚は嫌だもの。不便だけど、どうにでもなるわよね?)
七回生にもなると、結婚生活についての話題も女子の間では多くなる。
すると、自分の姉や先輩から聞いた話として、色々な情報が飛び交うのだ。
ただ夫婦生活のことについてはキス止まりで、それ以上のことがあるらしいとはわかっているのに詳しくは知らないというもどかしさをみんな感じているらしい。
そのあたりは徹底しているなあ、というのがヴィヴィの感想だった。
その中で最近ヴィヴィが気になった話題が、結婚後に夫が地方に赴任した場合、王都に残る妻が増えてきたということ。
要するに単身赴任だ。
それは騎士に限らず、文官などでも多いようだ。
そして夫は文字通り、現地妻を娶るとか。
この世界では当たり前なのかもしれないが、ヴィヴィにとっては絶対に許せることではない。
(ちょっと待って。別に妻に限らず現地恋人がいてもおかしくないよね? というか、それが普通……?)
ランデルトに会えない寂しさを研究で埋めたつもりだったが、研究に夢中になりすぎてしまった。
手紙を送る回数も減り、届く回数も減っている。
今さらながらそのことに気付いて、ヴィヴィは頭を抱えた。
(仕事が忙しいから会えないとかって、自然消滅を狙うための常套句……)
前世の嫌な思い出がヴィヴィを苛む。
そのせいで課題はなかなか進まず、ヴィヴィは重い気持ちのまま、翌日の午前に寮へと戻った。
午後からは生徒会執行部の始業式前の会議があるのだ。
久しぶりに制服に着替えたヴィヴィはミアに見送られ、校舎へと向かった。
誰もいない校舎はがらんとしていて寂しく、少し怖い。
ただ教員室のほうでは人の気配がするし、時々は警備兵ともすれ違う。
聞いた話では警備兵は生徒会執行部や各クラス委員の顔と名前をしっかり覚えているらしい。
それどころか、上位貴族の出身者まで把握しているそうだ。
そのため、ヴィヴィは挨拶をすると名前を訊かれることもなく、いつも略式の敬礼で返されてしまうのだった。
生徒会室にはもうすでに三役とある程度のメンバーが揃っていた。
時間に遅れたわけではないので、ヴィヴィは挨拶をして席へと着く。
それから皆が集まり会議が始まったのだが、どうやらヴィヴィはぼうっとしてしまっていたらしい。
いつの間にか会議は終わり、皆が早々に帰っていく中で、ジェレミアに呼び止められてしまった。
「ヴィヴィアナさん、ちょっといいかな?」
「ええ。どうかしたの?」
「それはこっちのセリフだよ。今日の会議の間、ヴィヴィアナさんはずっと上の空だったよね? 何か心配事? まさか課題が終わっていないとか?」
「失礼ね。ちゃんと課題は終わったわよ。レンツォ様の下での勉強も楽しくて、充実した休暇だったわ」
ジェレミアはどうやら心配してくれているらしいが、少し冗談めかしているところが、気を使ってくれているのだろう。
ヴィヴィは怒ったふりをして答えながらも、ふと男性の意見を聞きたくなった。
そこで、昨夜から心配していたことを相談すると、ジェレミアに大笑いされてしまった。
「ちょっと、ジェレミア君! 笑うことじゃないでしょ?」
「いや、笑うことだよ。ランデルト先輩が別の女性を好きになるとか……」
「でもわからないじゃない。会えないと何をしているか、何を考えているかなんて全然わからないもの」
「わかるよ」
「どうして?」
「ヴィヴィアナさんこそ、どうしてわからないかな。もし、本当にランデルト先輩に新しく好きな女性ができたのなら、先輩はきちんとヴィヴィアナさんに打ち明けるはずだよ? 誤魔化したりなんてするような人じゃないよ、先輩は」
そう言われて、ヴィヴィは目が覚めたようだった。
ジェレミアの言う通り、ランデルトはそんな卑怯な人ではない。
「そう、よね。……ありがとう、ジェレミア君。ちょっと考えれば、すぐにわかることなのに、私がバカだったわ」
「大したことは言ってないよ。だけどたぶん、ヴィヴィアナさんは疲れているんじゃないかな? 何をしているのかよく知らないけれど、レンツォ殿との研究は上手くいっているんだろう? そっちに力を入れすぎてたんじゃない? 明日は一日ゆっくり休んだほうがいいよ」
「うん……そうかも。本当にありがとう、ジェレミア君」
ヴィヴィは晴れ晴れとした気分で笑ってお礼を言うと、ジェレミアも優しく微笑んで返してくれた。
めったにない本物の笑顔だ。
それからは二人で教員室へ鍵を返しに向かい、来るときのような心細さを味わうことなくヴィヴィは寮へと帰った。




