86. ウォンの昔話②
「ちょ…待て待て待て、は?お前今なんて言った?」
「なぁに、そんなに騒いで。安静にしてなきゃ…」
聞き捨てならないエレインの発言に、ホムラがエレインに掴みかからん勢いで迫ると、ドリューンがホムラに近づき、落ち着かせるように肩を叩いた。
「え…?だから、女の子同士で…」
「女だァ!?誰が!?」
「え、ウォンが…」
「ハァァァァ!?」
何を当然のことを言っているのかと、エレインは不思議そうに首を傾げているが、ホムラだけでなく、ドリューンもアグニも目を見開きウォンが女性という事実に驚きを隠せない。
だが、これまでの警戒心のないエレインの行動が、ウォンがエレインの同性であると知ってのことだとすれば色々と合点がいく。
「……普段は顔を隠しているしな。意識的に女だと分からないように振る舞っている自覚もある。誤解していたとしてもおかしくはない」
ウォンも涼しい顔をしている。
「えー?私はすぐにウォンが女の人だって分かったけど…」
「言葉遣いもこうだし、さらしを巻いて体型も隠しているからな。分かるお前の方がすごい」
「えへへ」
ウォンの言葉を、エレインは褒め言葉と捉えたようで嬉しそうに頬を上気させた。
一方のホムラは頭がこんがらがって目が回りそうになっていた。
(狐の面野郎が女…?ってことは全部俺の勘違いってことか…?)
恋敵と思っていた相手が、ただの早とちりだと分かり、ホムラは脱力してがくりと肩を落とした。相手のことを詳しく知りもせずに勝手に嫉妬をしていた自分が恥ずかしい。
そんなホムラの様子を怪訝な顔でエレインが見上げている。その視線に気づいたホムラは、困ったようにエレインに微笑みかけた。
「…まあ色々混乱しちゃいるが、ともかくお前が無事で良かったわ」
「ホムラさん…助けてくれてありがとうございます」
「いや、俺は…」
エレインに柔らかく微笑まれ、自らの非力さに打ちひしがれていたホムラは気まずげに瞳を揺らした。
「それに、アグニちゃんも、ドリューさんも、ウォンも。みんなありがとう。意識は押し込められていたけど、みんなの声は全部届いてたよ」
「エレイン…」
「エレインちゃん…」
みんな嬉しそうに瞳を細めてエレインを囲む。アグニが水と果実を差し出すが、エレインはまだ上手く身体が動かせないようで、ドリューンがコップを口に添えてやる。果実はアグニが食べさせて、エレインは照れ臭そうにしつつも頬を緩ませていた。
…全部。エレインは全部聞こえていたと言った。
(…なんか、戦闘中にとんでもねぇことを口走った気がするんだが…俺なんて言った?)
ホッと一安心したのも束の間、ホムラはエレイン達の様子を眺めつつも、思考が散らかる頭の中で悶々と記憶を辿っていた。
その時、チラッとエレインがホムラを見上げ、バチッと視線が交差したが、エレインは少し頬を赤らめて視線を逸らしてしまった。
(……絶対なんか口走ったな。なんだァ?あー、くそ)
ホムラは思い出せないもどかしさから、自身の頭を掻きむしった。
◇◇◇
翌日、エレインは樹洞の中でゆっくりと身体を起こすと、手足や指先を動かして感覚を確かめた。
(うん、ちょっとぎこちないけど動く)
昨日は無事に意識を取り戻したものの、身体が金縛りにあったように自由に動かせずに終始皆の世話になってしまった。一晩様子を見てエレインの調子が戻ったら、エレインが意識を奪われていた間のことや、ウォンが知る犯人と思しき者のことを教えてもらうことになっていた。そのため、エレインだけでなく、アグニやドリューン、そしてホムラまでもこの75階層に世話になっている。
「ボスの間を空けたままにするってホムラさんが言った時はびっくりしたけど…」
そう、ホムラはエレインから片時も離れようとせず、頑として70階層に戻ろうとしなかったのだ。ドリューンが説得を試みるも、ホムラの意思は変わらなかった。結局はドリューンが70階層のボスの間の扉付近に植物を配置し、万一挑戦者がやってきた時にすぐに知らせが入るように工面してくれた。ホムラはドリューンに、今回だけの特別な措置だと念入りに釘を刺されていた。
樹洞の中を見渡すと、すでにウォンの姿はなかった。
外を覗くと、大樹の下に簡易的な草のベッドが三つ並んでおり、ホムラとアグニ、そしてドリューンが気持ちよさそうに眠っていた。みんな昨日の一件で流石に疲れが溜まっていたようで、昨夜もベッドに横になるなり気絶するように眠ってしまった。その姿を見て、改めて感謝の気持ちが強くなるエレインであった。
「起きたか。調子はどうだ?」
「ウォン!ありがとう、だいぶ身体が動くようになったみたい」
樹洞から三人の寝顔を眺めていると、両手一杯に木の実や果実を抱えたウォンが森から戻ってきた。朝食の調達をしてくれていたようだ。
ウォンはいつものように狐の面をしていた。
ウォンは木の実と果実をカゴに入れると、エレインに手を伸ばして樹洞から下ろしてくれた。
「ありがとう」
「気にするな」
その後、ウォンの見ようみまねで木の実の皮を破り、果実の下処理をしていると、甘い匂いに誘われるようにアグニが起きてきて、続いてドリューンとホムラも目を覚ましたので、そのまま朝食を取ることになった。
朝食を取りながら、昨夜の出来事についてドリューンが語った。
エレインはハイエルフの記憶と思しきものが流れ込んできたことや、意識を奪われた時の感覚などを語った。
そして最後に、ウォンが口を開く番となった。
「吸魂鬼は、その名の通り相手の魂を喰らう魔物。その特性から、他の魔物からも忌み嫌われる存在だ。ダンジョンに生まれた吸魂鬼は、俺とシン…恐らくエレインが言う闇魔法使いの二人だけだった」
「シン…」
エレインが小さく呟いた言葉に、ウォンは一つ頷きを返して話を続けた。
「シンは俺と違って自分の境遇を憂うことなく自由奔放に生きていた。俺は内気な性格だったからいつもシンの後を追いかけていたよ。他の魔物に馬鹿にされないように口調もわざと男らしくして生きてきた」
ウォンは静かな声で語る。75階層にそよ風が吹き、大樹の木の葉を揺らす。
「この100階層構成のダンジョンがある日突然誕生し、その中に俺たちのような魔物やモンスターが生まれ、そして10階層ごとに階層主と呼ばれる存在も生まれた。どういうわけか階を重ねるごとに強力な魔物が支配する構造になっていた。階層主は階層主になるべくして、ダンジョンからその生を受けたのだ」
皆がホムラに視線を向ける。ホムラは表情を変えず、ウォンの話に耳を傾けている。
「シンは自分自身が他の魔物よりも優れていると信じていた。だが、階層主として生を受けなかったことをずっと不満に思っていたようだ。他種族から迫害される吸魂鬼として生まれ、その存在意義を見出せなかったのは、俺だけではなかった。気丈に振舞っていたが…シンこそ自らの生まれた意味を、自身やダンジョンに問いかけ続けていたんだ」
ウォンは僅かに空を見上げ、どこか悲しげに息を吐いた。
「そのうち、シンはダンジョンの存在そのものを嫌悪するようになっていった。我らを生み出したのはダンジョンだ。何か理由があって生を受けたのだろうが、シンはダンジョンの駒となり生きることに辛抱ならなかったようでな、ハイエルフたちが地上に降りると聞きつけたシンは、彼らと共にダンジョンを去ったのだよ」
ーーーその時のことは、ウォンの心に鮮明に記憶されていた。目を閉じれば瞼の裏に浮かび上がるのは、いつものような悪戯を仕掛けるような悪い笑みを浮かべたシンの姿。
『おい、ウォン。お前も来いよ!こんなところで死ぬこともできずにダンジョンの思うがままに生き続ける気か?』
『…俺は残る。ここで、自分の生まれた意味を模索するよ。時間は十分すぎるほどにあるのだからな』
『…ふん、お前はそう言うと思ったよ。じゃあな、達者で暮らせよ』
『シンもな』
一瞬振り返ったシンの表情には、初めて寂しさの色が滲んで見えたーーー
「…恐らくだが、シンの狙いはダンジョンに混乱を招くこと。そしてついでに憎き階層主に一矢報いること、だろうな」
改めてホムラに視線を移したウォンは、さも当然だと言うようにシンがホムラに害意を持っていると言った。相変わらずホムラの表情は変わらないが、エレインはウォンの言葉に戸惑いを隠せなかった。
「そ、そんなこと…え?ホムラさんが階層主だからって、それだけの理由で?」
「ああ、シンならやりかねない。行動の理由なんてものは複雑に絡み合っているように見えて、根底にあるものは案外単純なものなのだよ。それに、大昔のハイエルフの魂を吸い取り保管できる魔物は…我ら吸魂鬼を除いて存在しないだろうからな」
他者の魂を利用し、ダンジョンを混乱に陥れようとした。その事実が、シンが犯人であると示していた。




