80. ソロの挑戦者
それから数日の間、挑戦者が来てはホムラが返り討ちにし、合間にエレインの修行をし、夜にはダンジョンに潜る、そんないつも通りの生活を送っていた。
「あー、今日はやけに挑戦者が多かったな」
「そうですね。いい運動になりましたよ」
いつもと変わらぬ夕暮れ時、その日最後と見られる挑戦者を地上行きの魔法陣は放り投げたホムラは、腕を回して肩をほぐした。
「さて、裏でゆっくり休むか…ん?」
今日の晩ご飯は何にしようかなと呟くアグニと共に、ダンジョンの裏に戻ろうとした時、ギィィィとボスの間の両扉が開かれた。
「あ?こんな時間に珍しいな…しかもソロか」
すっかりお休みモードになっていたホムラであるが、指をごきりと鳴らして交戦モードに切り替える。
扉を開けて入って来たのは、三角帽を目深に被った一人の魔法使いであった。
「くくっ、魔法使い一人とは、アイツが来た日のことを思い出すなァ」
「本当ですねぇ」
ホムラは、ボッと手のひらに火球を作り出し、挨拶代わりに魔法使いの後方に撃ち込んだ。ゴウっと音を立てて燃え盛る炎をもろともせず、魔法使いは杖を構えた。相手は一人ということなので、アグニは壁際に下がってホムラに場を譲る。
「へぇ、根性ありそうだな。少しは楽しませてくれよォ!」
ホムラは叫ぶと同時に複数の火球を作り出し、魔法使いに向けて打ち込んだ。魔法使いは機敏な動きで火球を回避しつつもブツブツと何やら呟いている。魔法を詠唱しているようだ。
「『混沌より出し闇の力よ、かの者の動きを封じたまえ』。《漆黒の鎖》!」
「っ!この魔法は…!」
魔法使いが呪文を唱えると同時に、ホムラの周りに無数の魔法陣が現れ、ホムラに向かって数多の鎖が伸びてきた。この魔法には見覚えがある。ホムラは鎖が身体に触れる直前に、全身から炎を吹き出し、魔法の鎖を全て焼き尽くした。パラパラと塵となった鎖が黒い雪のように宙に舞った。
「そうか。お前、エレインの元パーティの闇魔法使いだな」
「ふん…ルナのことを覚えていたことは褒めるに値する」
ホムラが燃える瞳で見据えると、ルナは目深に被っていた三角帽を少しあげ、濃紺の瞳でホムラを睨みつけた。その目には静かなる闘志が宿っていた。
「一人で挑んでくるってことは…ちったぁ修行して強くなったんだよなァ?」
「当然。今日こそお前を倒す」
ホムラが挑発するように言うと、ルナは鼻で笑って高々と杖を掲げた。
「『地獄の炎よ。彼の者に裁きを与え、その身を灼熱の炎で焼き尽くしたまえ』。《地獄の業火》!」
「はっ!俺に炎で勝負を仕掛けるとはおもしれぇ!」
ルナが掲げた杖の先にはメラメラと黒炎が怪しく燃え盛っていた。ホムラは眼光を開きながら両手の拳を突き合わせると、バチッと火花を散らし、両手の間に巨大な白炎を生み出した。
「オラァッ!黒炎ごと飲み込めェ!」
ホムラとルナはほぼ同時に魔法を放った。黒い炎と白い炎が触れ合った途端、激しい爆風が巻き起こり、ボスの間に突風が吹き荒ぶ。
ジュッと激しい音を立てながら、相手の炎を飲み込んだのは白炎であった。
黒炎を飲み込んだ白炎は、衝突の衝撃で方向を変え、ルナの後方多角の壁に激突した。激しい揺れと共に壁が崩れ落ち、瓦礫が離散する。
「くっ…流石、炎の鬼神。炎では敵わない、か」
額に滲む汗を手の甲で拭い、膝をつきながらも杖をキツく握り直すルナ。ホムラはルナの動きに細心の注意を払いつつ、次の攻撃を待っている。
ピリッとした緊迫感に周囲が包まれたその時、
「ホムラさーん、アグニちゃーん?まだ戻らないの…って、ル、ルナ!?」
「っ!?エレイン…っ!」
日暮れにも関わらずダンジョンの裏に戻ってこないホムラとアグニの様子を見に、玉座の裏からひょっこりとエレインが顔を出した。その姿を目にしたルナは目を見開き、その瞳に殺意を宿した。
「ルナは…ルナの方がお前なんかより優れている…!それを証明してやる…『闇の暗礁より騒めく怨念よ。彼の者を喰らい尽くせ』《暗黒の流星群》ォォ!!」
「チィっ!エレイン、逃げろ!」
「え、わ、わわっ」
ルナは素早く呪文を詠唱すると、迷わずにエレインに渾身の魔法を撃ち込んだ。ホムラが駆けつけようとするが、それより早くルナの闇魔法がエレインに迫る。
エレインは目を見開き後退りをしーーー
「《水の壁》!!」
両手を突き出し防御魔法を唱えた。途端にギュルっとエレインを円形に包み込む水の防壁が巻き起こり、ルナの魔法を飲み込んでしまった。
「なっ…そんな初級の防御魔法に、ルナの魔法が打ち消されるなんて…」
その様子に絶句したのは、誰でもないルナ本人である。
咄嗟の出来事だ。エレインは補助魔法を使っていない。つまりエレインの素の力がルナ渾身の魔法を打ち消したと言うことを意味する。
「急にびっくりしたぁ…えっと、大丈夫?」
エレインは魔法を解除すると、呆然と立ち尽くすルナに歩み寄ろうとした。
「来るな!情けは無用。ルナはお前と『破壊魔神』を討つべく血の滲む修行をした。それなのに…ぐぅっ」
ルナが懸命に習得した魔法はホムラに届かず、ましてや鍛錬を積んだ得意の上級魔法ですらエレインに傷ひとつつけることも叶わなかった。
悔しそうに歯を食いしばるルナに、ホムラは呆れたように言葉をかける。
「はぁ…実際魔法の威力も上がってるし努力したことは認めるが、エレインも同じように毎日修行してんだ。強くなってるのは当たり前だろうが。いつまでも昔のままだと思うなよ」
「ルナ…」
ルナはホムラとエレインをキッと睨みつけ、歯を食いしばった。
(どうして。ルナは優秀でこんなところで躓くはずがないのに)
ルナは脱力し、だらんと腕を身体の横に垂らした。その時、コツンと何かがルナの腕に触れた。ポケットに手を入れて取り出したそれは、数日前に怪しい闇魔法使いから手渡されたガラス玉であった。
こんな物に頼らずとも、修行を積んだ今の自分であれば70階層を打破することもできるのではないか、そう思って挑みにきたが、結果は惨敗。このガラス玉は貴重な物だと言っていたが、それほどの威力の魔道具なのだろうか。
ルナが一人思案していると、エレインが「あっ」と小さな声を上げた。
「えっと…こんな時にごめんね?闇魔法の使い手であるルナに聞きたいことがあるんだけど…」
ルナは返事をせずにエレインを睨みつける。
「その、地上に特殊な魔道具を扱う闇魔法使いがいるって噂…聞いたことないかな?実はその闇魔法使いの情報を集めているんだけど」
「…」
特殊な魔道具を扱う闇魔法使い。それは正にルナにこのガラス玉を持たせた人物であろう。どういうことだ。あの闇魔法使いはエレインやホムラを貶めようとしており、エレインもまた闇魔法使いを探しているというのか。どのような関係があるのだろうか。
「くくっ…」
「ルナ?」
ルナは思わず自嘲した。
薄々勘づいてはいたが、あの闇魔法使いはルナを利用しようとしているのだ。ルナは自分の力でホムラやエレインを倒したいと闘志を燃やし続けてきた。だが、交戦して分かった。一朝一夕の修行ではこの2人には敵わないということが。であれば、怪しい闇魔法使いの策略に乗って、2人に一泡吹かせるのも一興ではなかろうか。
「知っている。と言ったらどうする?」
「っ!本当?詳しく話を聞かせて欲しいんだけど…」
「分かった。こっちに来て」
ルナがエレインの要望に答えてくれる素振りを見せたため、エレインは目を輝かせてルナに歩み寄った。
(このガラス玉が何かは知らない。でも、ルナはこれをエレインに投げつけるだけでいい)
エレインとの距離があと数歩ほどというところで、ルナはサッとガラス玉を掲げて力一杯エレインに投げつけた。
「わっ!?」
エレインは反射的にガラス玉を手で払い、ガラス玉はエレインの足元で粉々に砕け散った。
「チッ、外した…?」
「な、なに?」
エレインにぶつけることが叶わず、ルナは舌打ちをした。そして踵を返して部屋の隅にある地上への帰還用の魔法陣に飛び乗った。前回この魔法陣で地上に帰還した時、ルナは気を失っていたが、70階層に挑んだ冒険者の情報を集め、この魔法陣が地上に通じていることを知ったのだ。
「あっ!ルナ、待って…!」
エレインが追う間も無く、ルナの姿はあっという間に消えてしまった。
「なんだったの…?というか、この黒い靄…なんだか嫌な感じがする…」
ガラス玉が砕け散り、中に閉じ込められていた黒い靄がエレインの足元に纏わりつくように渦を巻き始めている。モクモクと次第に質量を増す靄に、エレインは何とも言えない不気味さを感じた。
(何だろう…痛い?心の奥を締め付けるような…)
エレインは靄を払おうと足を振るが、靄はまるで命を宿しているかのようにエレインの足に絡みついた。
「おい、エレイン。大丈夫か?」
「ホムラさん…!何か凄く嫌な感じがします…わ、わわっ!?」
遠目に見ていたホムラも異変に感じたのか、エレインに手を伸ばしながら近づいてくる。エレインもホムラの手を取るべく、ホムラに手を伸ばしたのだが、足に絡みついた靄があっという間にエレインの身体を包み込んでしまい、それは叶わなかった。
「エレイン!」
「ホムラさっ…」
(何!?何かが…身体の中に入ってくる…!?)
エレインの奥深くに何かが入り込んでくる。熱くて痛くて、意識が朦朧としてきた。身体の奥底の、何かをこじ開けるような、侵されるような不快感がエレインを襲う。
「あ、あ…あああぁぁぁぁぁぁっ!!」
「エレインーーっ!!」
ボスの間には、エレインの悲鳴とホムラの叫び声がこだました。




